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鑑定士の往復書簡 了祜2月16日

冴夜先生こんにちは。
もう2月も半ばなのですね。
毎年この季節は怒涛の速さで毎日が過ぎていきます。
そして、予防薬を飲んできましたがいよいよ花粉の季節です。

一年に一度ゲンズブールの音楽が聴きたくなったり、
3月には「三月の水」という曲を聴きたくなるのと同じように?
年に一度安岡正篤先生の本をふと開く時期があります。
講演の書き起こしだったりしますが、そうなんだ!と光が射すこともあれば、全く難解で頭に入らないこともあります。
数十年前とは言え、時代の流れがとても速くなっているので整合させながら読み進めるという作業が入るせいかな、とも思うのですが。。。

夫が気取らず「安岡正篤一日一言」というライトな本を買っていて放置していたので
(読んだら折り目だらけか付箋だらけなのでわかりやすいですw)
今年はこれを持ち歩いています(笑)。

読んでいるとやっぱり東洋思想というか、算命学から考えることに通じているのだな、と気づかされることばかりです。

「凡、非凡の分かれ目」
凡と非凡のわかれるところは能力の如何ではない。
精神であり、感激の問題だ。

安岡正篤「一日一言」より

他にも精神の聖火を燃やすという項目もありました。
これは先日のきくちゆみこさんの本やあの夢の話を思い出さずにはいられません。

年に一度何かしら開いているのに、気になったり記憶に残るものがいつも異なるので、
やはり自分の中に入ってくるものには、タイミングがあるのかなぁと、段階があるのかなぁと、
面白くわくわくします。

何をしていても、一つの流れに後押し、強く促されているような出来事があるなんて、ちょっとゲームの謎を紐解いていく冒険をしているような気持ちになります。


実際、凡でも非凡でもどちらでもよいのですが、感激したり、好奇心を持ったりするのは持って生まれた才能次第な気がします。
私もいつまでも楽しめる気持ちを持ち続けていられたらなあ。

ところで、発達障害のある人はそうでない人よりも見た目も若くなる傾向があるとされています。
理由をざっくり簡単に言うと、いつでも思考も感情も常に今このときを生きているからだそうです。
永遠に好奇心と、感度の高いアンテナを持ち続ける姿からもうなずけます。
どうしても、社会で生きていると、どうしてもそんな自分を普通じゃないと仕舞い込んでおこうとしてしまいがちですが、
そしてきっとたくさん傷ついてきた人も多いと思うものの。。。
それでも自分を発揮して生きていくという決意と覚悟が必要なのかもしれませんね。。。

簡単に決意と覚悟と言うと壮大に感じられるものですが、
理解してくださる人、仲間、家族という存在があればちょっとの勇気だけで良く、
世界って変えられるものなのだな、を体感している今日この頃。
本当にありがたいなと思っています。

そろそろ、遠くに出かけていきたい欲が強くなってきた今日この頃です。
無事に新年度を迎えて外に出たい。。。
冴夜先生はたくさんお出かけされていますが、次はどこへ!!!
そして鑑定レッスン楽しみにしています★
こころを開いてたくさん学びたいです😊


了祜

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