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門前の小僧、カメラを構える【写真】

うちの奥さんから「もうすっかり門前の小僧だ」と言われた。

どういう意味かといえば、僕のカメラ熱のせいで今まで気にもしなかったカメラやレンズの広告に視線が行くようになったらしい。
今まではそんな物には全く視線も行かず、「F値」や「mm」とか書いてあっても関心はなかったらしい。
そりゃそうでしょう。

僕もそうだったから。
むしろ、なんなら写真やカメラの趣味を敬遠していたからなぁ~

でも、そんなことを言いながらも小僧、いや奥さん自らもカメラを持ち出す機会が増えた。
むしろ「明日は単焦点にしようかなぁ〜」なんて言ってる時もある。

予備バッテリの準備やレンズ交換は僕任せだけど同じ趣味を楽しめるのはありがたい。
何せカメラ関連の商品は高価なので家族の理解がないと続けられない。

撮影後の写真データをバックアップするのも僕の役目なんだけど、やっぱりというか当然というか僕と奥さんでは写真が違う。

その差は技術ということではなく、切り取り方なんだなと。

夫婦とはいえ感性は異なるもんだなと思う瞬間。

当然、感性が違うので同じ場所に立ってもふたりともがカメラを構える時の方が少ない気がする。

上高地と梓川

以前、二人で上高地に行った時もかっぱ橋からの風景をせっせと撮影していたのは僕の方で、奥さんは眼の前の大パノラマに圧倒され網膜ファインダー(肉眼のこと)で満喫していた。

でも、あの風景はさすがにカメラには収まりきらない。

写真であの肉眼で見た風景に迫れるのかな?
プロのフォトグラファーでも難しいんじゃないかな?

写真が現実を全て写すものでない以上それは致し方ないことかとも思う。
逆に肉眼では見ることができないものを見せてくれるのも写真の魅力のひとつだと思う。
なので、それはどちらがどうこうということではないんしゃないかな。
趣味なんだから時にシャッターを切らなくたっていい。
シャッター切らなきゃいけない症候群とでもいうか、そんな強迫観念には囚われたくない。
写真はもっと自由であっていい。


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