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空いた左側

ある日、先祖へのお線香をあげていた朝のこと、手を合わせて目をつぶった瞬間
左側が軽い・・・・
という感覚が広がりました

左側に空きがある

自分でもどう言えばいいのかまったくわからないのですが
説明が出来ないのですが
目を閉じて広がる私の宇宙空間のような所の話です
これまで目を閉じる度に
自分の視点位置も徐々に移動していました

さあ、いよいよこいつはちょっと
変なとこにいるヤツ的な感じになってきたでしょうか?
それでも話を進めていきます

この「空いた左側」は
何で埋まっていたのだろう?
と考えた。
そもそも埋まっていたなんて考えてなかったけれど。
「空いた」という事は本来そこに
何かがあったはずです。

去年年女で60の還暦を迎えました。
そして理想の人生に近づくべく
「私」にしかできない仕事
「私」だからこそ出来る仕事
を目指して
今の「足もみ」という官足法の
健康維持の施術をする仕事に流れ着いた。
それが3年前。
それまでのサービス業とは全くちがうサービス業 
「健康指導員」というのが正しいだろうか?
当然技術も知識も話術も全てを
持ち合わせなければならない
思った以上にレベルの高い場所です

私は「今まで」の自分はどこに勤めてもそれなりにやりこなせて
結構やりきれると思っていました

ところが今回は様子が違い
マニュアルのない、お客さんの方が「足もみ健康法」については
先輩 という立ち位置で自分の仕事の仕方がまったくつかめず
何でも発言に「遠慮」が出て
何を話していいのやら?
こんな事言ったら
「そんなことあんたに言われなくてもわかってるわ」
みたいな・・気まづい雰囲気になったりはしないか?
(下手くそめ、お金払いたくないわ)
なんて言う妄想のセリフすらも
頭の中を駆け巡る
そんな卑屈な態度と先生のブラッシュアップゆえの決して誉めない、悪い所を厳しくついてくる教え方にへたれてしまい、どんどん猫背の姿に・・・・
あっという間に仕事のできない部類の人間となりました
「キャラ」を自分でそう決めつけてしまいました。
自分の弱さと捨てきれない
「私なら出来るんじゃないか」
という根拠のない自信とプライド

今までの「私」のやる気、明るさ
はすっかり消えていました

新人なのだ
出来なくて当たり前なのだ
なぜ指摘される度に私はツラいのだ?
直せばいいのだから
へこむ必要などないじゃないか?

けれどお客さんからは「プロ」として見られ、その対価を頂いている事が
怖くて仕方ない
こんな気持ちが3年も続き、同じ事を繰り返し 厳しい言葉を言われ・・
もう迷子という状態だった。
どうしてこんな事になってるんだと
おたついてる感じでした。
苦しいとすぐ振り返る、ただ普通に働いて、普通に人と会話をして
グチを言ったり笑ったりしていた
「普通の自分」
舞台のセンターで太鼓を叩く自分
人を笑わせてた自分
探しては眺めて気持ちを癒していた。
「昔の私達」
「私がいっぱい」

私の中に「新しい私」を入れる場所がない
私の中は昔の私がひしめき合って新しい私を入れる場所がないのだ

何を言われても
「前は注意されればすぐ直せた」
「なんでもやりきれた」
「期待された」
「任せられた」
笑って過ごしていた
明るい私だった・・・・
私の回りには素敵な人がいっぱいいた
誰も私を「足りない人間扱い」なんてしなかった。
あの時の幸せだった私はどこ行ったの?
そんな私でいっぱいだったのだ。

この「空いた左側」は
3年迷路を歩き回るうちに
今までの私が少しづつ姿を消していったのだろうか?
なぜ突然空いたんだろう?

人は同じ「今」にいない
ずっといるようでいない
常に違う「今」を生きている。

それがこの「空いた左側」なのかもしれない。
3年間はこの空間を作る為の作業時間
だったのだろう
捨てたくない過去の栄光のような
沢山の想い出を整理整頓する時間だったのだろう。
それだけ私のここからの人生は
これまでとは違うものになるという
事なのだろうか?

新しい関係
新しい出会い
新しい私

やっと準備が出来たのかもしれない

この、「空いた左側」に
ここからの新しい「私」を
沢山つめていきたい。
受け入れて生きたい。

人には突然こんな時が
訪れる

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