遠い夢のなか 2023/12/04

 眠りと悩みの中間のような営みで暗い夜をやり過ごす生活を送っていた。美食美酒でモヤモヤ気分を霧ばらいしようにもストレスのせいか飲酒量を0か100でしか選べない。たまに友人と遊んでは鬱憤のために飲みすぎて、頭痛と後悔に苛まれながら翌夕方までを潰し、その罪悪感で眠れないまま朝になる。
 心身ともに不健康な暮らし、その元凶は間違いなく修士論文という数万文字に及ぶモンスタータスクであったのだが、散々苦しんだ甲斐あって先日教授に初稿を提出した。PDFファイルとWordファイルを添付して「添削お願いします」と送信するとき、鬼ごっこでタッチするときやボンビーを他の社長になすりつけるときと全くおなじ安堵を覚えた。これで今は向こうのターン。しばらくは安全というわけである。

 初稿提出の翌日、はずむ足取りで早朝に出発し牡蠣の名産地・日生に赴いた。友人らと4人での小旅行、しかもたらふくの牡蠣でお腹を満たせるのだから楽しくないわけがない。景勝地に立ち寄ったりサービスエリアによったり、最高の土曜日であった。高速道路や商業施設の混み具合から、久しぶりに曜日を意識できた。


 亡き祖父母の家で夏祭りを過ごす夢を見た。父の運転する車を降りて玄関を開けると漂ってくる椎茸出汁の匂い、広い廊下、珍妙な置物。ほどなくして台所から祖母がでてきて、ひとしきり可愛がられたあとにお線香をあげてきなさいと指示される。母の見様見真似で手を合わせてからは急にほっぽりだされて一度所在なくなるが、久しぶりに会う従兄弟がいつも照れくさそうに遊びに誘ってくれるのだ。近くの自然公園を探検したり用水路でザリガニを釣ったり、近所の犬を撫でにいったり既に家を出た大兄が残していったスケボーで怪我をしたりするうちに日も暮れて、帰ると畳張りの大きな客間に、オードブルや寿司や煮物が並べられる。私は当時からよく食べる子供で、「いっぱい食べなさい」と言われるから遠慮なく食べていただけなのに「お前はくいしんぼうだなあ」と笑われるのが癪であったが、その恥よりもエビフライを優先していたのだから、実際くいしんぼうだったのだろう。食べ終わって、庭で花火をして、従兄弟とお風呂に入って、明日は墓参りが終わったらすぐ露店行くぞ!と約束し、ワクワクしながら慣れない枕で眠った。物心ついてから小6くらいまでは毎年遊びに行っていた覚えがあるのだが、父親がせせこましい犯罪で逮捕されてからは行けていない。
 その地域の夏祭りには4つの目玉イベントがあった。数百発のスターマインで締めくくられる花火大会、商店街にずらっと並ぶ露店、こどもたちが引くお神輿、そして灯籠まつりである。
 灯籠まつりは、その響きからは想像もつかないほど過酷で暴力的な祭りである。一般的に想像されるような小ぶりな灯りではない。全長4メートルもあろうかという障子紙張りの巨大な灯籠を十数人の男たちが担ぎ、隣町のそれとぶつけ合う。風神雷神や般若や龍、それどころかシヴァやサタンのような異国の絵柄がつけられた灯籠もあり、そのまわりでは若い衆が勇敢な歌を歌いながら本物の剣で舞っていた。いま思えば無秩序に融合した異常宗教の趣きさえあった。さっきお小遣いをくれた叔父や犬を撫でさせてくれた近所のおじさんが、昼の安穏とした表情とは打って変わった修羅の形相で青筋を浮かべながら酒を煽り、他町内の灯籠が目に入るやいなや奮い立つ。向こうからも怒声や罵声が聞こえ、すべてのボルテージが上がりきった時に双方が衝突、あいた障子穴から巨大な蝋燭が見えたかと思うと、劣勢で傾いたほうの灯籠が組み木ごと火に包まれ、一帯に黒煙が立ち込めるのである。その野蛮さには鳥肌立ったものだが、更に恐ろしかったのはそんな男たちに対して協力的で好意的な女衆である。よく来たねえ、大きくなったねえ、かっこよくなったねえと撫でてくれた祖母の顔に原始的な匂いが僅かに滲み、凹凸の顔が火に照らされていたのが焼き付いている。

 ビルのある都市で幼少期を過ごした皆さんにはわからないかもしれないが、夏の日本の田舎風景には、真に迫ったノスタルジーがある。それは踏切やカーブミラーのような表面的な田舎っぽさではなく、映り込むセーラー服のような創造的な好ましさでもない。ああいう空漠としたのどかさの中に住んでいる人々が、冠婚葬祭でのみ見せる苛烈なハレを意識したとき、不自然に静まり返ったケの田んぼがおぞましく感じられてくるのである。

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