失せ物 輝く 2023/11/06

 昨晩ワイヤレスイヤホンを紛失し、帰宅後ひとしきり落ち込んだ。それほど良いイヤホンを使っているわけではないが5000円は諦めきれない。数分呻いて気が済んだので、お忘れ物自動受付サービスのチャットボットに詳細を伝え、寝た。明朝10時以降に再びアクセスすると捜査に進捗があるという。
 アラーム無しに起きると七時過ぎで、カーテンの隙間からは曇り空が覗いていた。最近あまりにも空の機嫌が良かったし、そろそろ揺り戻しの雨が降るはずだと卜占時代のような予測を立てて生活していたので、幸い洗濯物は溜まっていない。お忘れ物自動受付サービスが調査結果を持ってくるまではまだ時間がある。コーヒーを飲みながら10枚切りの食パンをフライパンでトーストし、修論を書き進める。スキマ時間で作業をすることの真価は「スキマ時間を活用している俺」に並々ならぬ満足感を覚えられる点にある。500字しか書けなくたって構わないのだ。余談だが、修論執筆に必要なデータは既に揃っていて、もはや手と頭をちょちょいと動かすだけで完成する。あと25000字くらいどうってことない、はずだ。
 10時ちょうどにチャットボットくんを詰問すると「終点駅にてたしかにお預かりしています」とのことで、まあ5駅くらいなら自転車で行ける範囲だろう、スポーツの秋サイクリングの秋と漕ぎ出したのだが、そのときには雨を予測していたことなどすっぽり忘れていて、道中ちょうど不快なサイズの雨粒に顔を叩かれながら駅に到着。入口がわからなくて真っ赤な駅員呼び出しボタンを押した。こんにちは、どうしましたか、という素朴な対応をすこし快く思った。改札ではなく駅舎側面の扉から入れという指示を受け廊下や階段を進んでいくと、平成初期の商工会議所のような雰囲気をした事務所に迎えられた。ヤニ臭そうな背広のジジイたちが一斉にこちらを向き、またすぐ雑談に戻る。イヤホンはあった。いっしょに百円ライターも落としていたようで、そちらも受け取るため同じサインを2回した。

 小雨のなか5駅も漕いで落とし物を受け取るだけってのもなんだか味気なく、どうせなら思い出の1ページや2ページ重ねてやろうじゃないかと駅前の寂れた喫茶店に入った。老婆の店員さんが、いらっしゃいませ、ではなく、こんにちは、と声をかけてくれた。今日はやけにこんにちはと言われて嬉しい。ブレンドコーヒーを注文すると「うちはチョコケーキが美味しいのよ」と販促され、吝かではない私は朗らかに「チョコケーキ、いいっすねぇ」と図らずも淫夢語録のような口調で追加注文した。老婆と雑談しながら食べたが、もさもさしていてあまり美味しくなかった。
 こじんまりとした個人喫茶店でパソコンを開くのは躊躇われる。けれども今日は店側との関係構築も済んでいたので「ちょっと作業させてください、長居しちゃいそうですみません」と声をかけると「あらかっこいい、素敵ね、いいのよ」とニコニコしてくれた。落とし物のせいで台無しと思っていた日が輝いていくのを感じる。良きところで切り上げて退店し、再びチャリを漕いだ。雨はほぼ上がっていた。

 くぅ〜疲れました!の元スレを読んでいたら「コピペが潤う」というレスがあり先見の明に驚いたが、この弱い感動を誰に共有すればいいのかわからないので、ここに書いておく。

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