私はどべじゃない 2024/04/09

 自らの陰気な性格を正当化できていた頃、すなわち中学から大学まで、非常に大きな自尊心に守られて生きてきた自覚がある。「俺はお前らを見下すことができる、だからお前らよりも高いところにいる」という幼稚なトートロジーに十数年支えられた結果、残ったのは実体のない自信と確かな陰気だけであった。自己肯定感を重宝がる昨今の風潮において、私は周りより有利な特性を持っているのでは?と錯覚しそうになるが、真に価値ある自己肯定とは揺るぎない論拠を持ったものである。そんな崇高なもの私にはない。

 先週の入社式、仰々しい場所で立食パーティが催された。社会とはかくも格式高きものなりやと慄きながら烏龍茶をひたすらに飲んだ。入社前研修で同班だったメンバーと初めて対面で会い、いやいやその節はどうも、と大人びたことを言い合ったが、その大人びた振る舞いを茶化す人はもういなかった。周りのテーブルを見回しても似たような光景で、毎秒どこかで会釈や自己紹介が発生している。私も例に漏れず、何度か自己紹介を披露する必要があった。趣味は読書ですなどと露骨な壁を作るのも薄ら寒いし、かと言って映画を週8本見ますとカルチャーぶるのも自意識が許さないので、結局「まだ東京に出てきて日が浅いので、近所を歩くのが楽しいです。最近は初めて皇居に行きましたよ^ ^」と漬物のような自己紹介でお茶を濁した。隣席からは「カラオケが趣味で、最近安定して90点以上取れるようになってきました」「えっすごいですね!ちなみに何歌われるんですか?」「そうですね…色々歌うけどVaundyとか好きですね」「あーいいですね!」とすべすべした会話が聞こえてくる。
 パーティも酣、ふと足元を見るとみんな黒光りする靴を履いている。色褪せた茶色の靴を履いているのは私だけで、別に目立とうと思ったわけでもないのに目立ってしまっていることに気づいた。社会にピタリと適合できるような謙虚さは持ち合わせておらず、かと言って自意識や人目を無視する陽気さも持ち合わせていない。スーツの大人たちの中で自分は最下位なのではないか、という遣る方無い不安に胸を苦しくしながら帰宅した。

 それから一週間ほど経った。聞かなくても良さそうなガイダンスや基礎研修しか受けていないが、それでも既にわかったことがある。まったくもって不安がる必要はない、ということである。人事でもない研修担当者に必死のアピールをかけて空回るフレッシャーズ、彼らのどこが怖いというのか。一生懸命で可愛いではないか。下を見て安心するのは情けない、という言説は綺麗事だ。自分より下には誰もいないのでは?という耐え難い不安を乗り越えるためには、必ず一度下を見ねばならない。そう思うと、入社して一週間も経たぬうちに安堵を得られたのは幸いであった。

 内定から入社までの間、取得を推奨されていた資格がいくつかあり、やるぞ〜と参考書などを買ったものの、結局手に何もつけないまま入社した。3月31日までは頭の片隅に「勉強しなきゃな」の意識があり、何かに追われているような気持ちで過ごしていたのだが、4月に入ってからというもの憑き物が落ちたように晴れやかな心地だ。思えば大学入学から院卒までの6年間、いや、高校くらいからずっと「勉強しなきゃ」が脳の一部を食っていた。遊んだり休んだりしようとすると、必ず一抹の後ろめたさを感じていた。それがいまは、業務時間外で研修内容を進めようものならむしろ叱られるのだ。こんなに素晴らしいことがあるだろうか。ワークライフバランスという概念を作ってくれた人に心からの感謝を。ちなみに「入社したんだし、もう資格取らなくていいよ」とは言われていない。

 5月19日の文学フリマ東京38に出店することが決まった。前回に引き続き2回目の参加である。春休みにいったタイ旅行の記録と、ほかにあと1冊くらい出せたらいいなと思い鋭意制作中。お時間ある方はぜひお越しください。


この記事が参加している募集

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?