泥んコ 2023/09/01

 「ビジネスマンとしての経験の差」という文言を見かけて、オエ、と思った。ビジネスマンという漠とした肩書を誇る感覚と、その道を邁進しようとする殊勝で愚直な姿勢が、ちょうど嫌な塩梅にかけ合わさって気持ち悪かった、のではないかと思う。
 野原ひろしが美しく語られる際、ほぼ必ずサラリーマンという属性が利用される。満員電車に揺られるのも上司にヘコヘコ謙るのも、情けないように見えてすべて愛する家族のためなのだ、といった具合に、生活のために辛酸を嘗める泥臭さがヒロイックなものとされる。これがあまり好きではないのだ。体育会系特有の空気感、とまで言っては乱暴かもしれないが、前時代的な非成果主義の匂いがうっすら漂っているように感じるのだ。逆説的に「ツラくない努力は努力とは呼べないぞ」みたいなガタイの良い思想が透けている気さえする。(一応書き添えておくと、別に私はバリバリの成果主義者というわけではない。ただ、ツラさに価値を見出すのは本当に気色悪いなとは思っている。)
 「ビジネスマンとしての経験の差」からそこまで推測するのは深読みだとは思うが、この言葉を果たした人間が、ビジネスマンという属性に特有の世界を見出しているであろうことは無理なく読み取れるのではないだろうか。そしてそれが、今後彼が経験を積み重ねるうえでの精神的支柱になるであろうことも想像に難くない。
 あとは彼が「ビジネスマン」という言葉に具体的になにを託しているのかさえわかれば意図は紐解かれるわけだが、「ビジネスマン」「としての」「経験の差」というそれぞれの言葉からはグラウンドの土のような感じが滲み出ている。どうせ高校時代に丸坊主だった野球部が、大学で一旦髪を伸ばしてセンターパートにして、社会に出るにあたってなんの疑いもなく"ビジネスマン"を目指してツーブロックにしたみたいな、そんな奴が手なりで吐いた言葉なんだろうな。しょうもない。私も半年後には社会人なので、これを他山の石としよう。

 そういえば11/11の文フリ東京の抽選通ったのでもしよければお越しください。日記まとめたやつと、あとはなにか文章とかを出す予定です。

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