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【ピアノ教室】ベトソナ1番のレッスンを拒否られた話

ソナチネソナタ

クラシック音楽では同じジャンル・形式で、規模の違いを示す用語。でも、ピアノ教室では、この2つの言葉の間に高い壁が存在すると思うのは私だけでしょうか。。。

例えば、子供の頃にピアノを習っていた先生がよく言っていました。

うちの教室はソナチネ程度でやめていく生徒が多い。。。

また、前のピアノ教室の発表会で、主宰の先生が教室を卒業していく子供たちにおっしゃっていました。

ソナタレベルの曲を弾けるようになれば、もうどこに出しても大丈夫。安心して見送れます。

「程度」も「レベル」もほぼ同じ意味ですが、前者(ソナチネ)はネガティブ、後者(ソナタ)はポジティブな言葉として使われている印象を受けませんか? ただの音楽用語なのに。。。私だけ?

ネットでも同じようなことが言われているのを見たことがあります。
実際、昔からソナチネ程度でやめる生徒って多いんでしょうね。私自身も小3の冬から小学校卒業まで3年ちょっとピアノを習い、まさにソナチネ程度でやめましたから。

先生方も悪気があって言っているとは思いませんが、要するにソナタレベルに到達できなかった私は、安心できないレベルなんだな、何となく解釈しました。

以降、息子のピアノレッスンに付き添いながら、このことは常に頭の片隅にあり、それについて考察を続け、自分の頭の中で「要するにこういうことだ」と結論づけました(注:あくまで私個人の考えですよ!)

1.基礎をおろそかにしている者には限界があり、到達できるのはソナチネ程度の曲である。
2.基礎ができている者はソナタレベルに到達でき、それがロマン派、近現代などいろいろな曲を弾く基礎にもなる。

ならば、今度こそ、ソナタレベルに到達してやろうじゃないか!と、自分がピアノレッスンを再開した際に決意しました。

ソナタを習う前に前段階になる曲の練習もするべきでしょうが、まずは実際にソナタを習うことで自分に足りない基礎力・テクニックがわかるはず。

そう考えるとともに、目標として習うべき曲は、やはりベートーヴェンのソナタしかない。それも19、20、25番といったソナチネアルバムに載っているものではなく、本格的なソナタへの入門として定評がある1番(Op.2-1)1楽章が曲も短く、難易度も最適であると判断しました。

そしてベトソナの1番は自分のなかでいつしか、とても重要な意味のあるマイルストーンになっていました。

何とベトソナ1番のレッスンを拒否られる

そんな想いを秘めながらレッスンに通っているうちに、ちょっとショッキングなことが起きました。

ベートーヴェン生誕250年にあたる2020年の発表会の出し物として、ほかの大人の生徒たちと先生方が一緒にベートーヴェンのソナタ・メドレーをやったのです。

私はそのことがすごくうらやましく、また事前にメドレーについて全く声をかけてもらえなかったのがショックでした😿(そのとき私はプーランク/愛の小径を習っていたからというのもありますが)

なので、その発表会の後、次に習う曲として、M先生(=のちに私を強制退会にした先生)に、「私もほかの大人の生徒と同じような曲を習いたいです。ベートーヴェンのソナタをやりたいです」と直談判しました。

すると、M先生は不機嫌そうに、

ダメです。
vc_archetさんはベートーヴェン好きじゃないでしょう?
そもそも、何を弾きたいんですか?

と、いきなりの拒絶です。
M先生は普段から「大人は弾きたい曲を弾くのが一番」と言っており、実際にほかの大人の生徒にちょっと無理めの曲でも弾かせたりしています。なので、まさか拒否されるとは思ってませんでした。

再度、「1番を習いたいんです」と頼んでみましたが、

ダメなものはダメです。

と繰り返すばかり。理由を聞いても答えてくれません。ほかの大人の生徒には教えているのに、なぜ私にはダメなのか、全く理解できませんでした。。。

お互い険悪な雰囲気になってきたので、その場を離れて帰り支度をし、ドアを開けて教室から出ていこうとすると、

vc_archetさんに「1番はない」です。

と、M先生はわざわざ出口まで私を追いかけてきて、そう告げました。(今、思えば、これがM先生との関係がこじれるいちばん最初のきっかけだと思います。ほんと理解不能だけど)。

その後も折を見て、ベトソナ1番のレッスンを頼んでもダメでした。一応、理由については答えてくれましたが、

あなたには合わないからです。
何でそんなに1番を弾きたいんですか?

心底嫌そうに言います。合う、合わないっていったい何だよ?

確かに僕が本当に好きなのはマイナーな作曲家の小品ですし、ベートーヴェンがすごく好きというわけではありません。それに人によって合う曲、合わない曲というのもあるでしょう。

でもですね、生徒が自己のレベルアップのためにあえて「本格的なソナタの入門として、ぜひベートーヴェンのソナタ1番を教えてほしい」と頼むのならば、ピアノの先生というものはそれを喜びこそすれ、決して嫌がったり、拒絶したりしないものだと私は思っていました。

別に英雄ポロネーズやラ・カンパネラを教えろと言っているわけではないんです。同じベートーヴェンのソナタでも、いきなり熱情とか、ワルトシュタインとか、月光3楽章とか、ハンマー・クラヴィーアを教えろと言っているわけでもないんです。

自分でよくよく考えて難易度設定をし、頼んでいるんですよ。でも、強制退会になるまで、M先生からベトソナ1番を習うことはついに叶いませんでした。。。

新しい教室の先生にも頼んでみたところ。。。

で、別のピアノ教室に通うことになりましたが、そんな経験をしていたので、グリンカとグラズノフの小品とフランス組曲をやったあとに今習っている先生から「次に何をやりますか」と聞かれたとき、おそるおそる「ベートーヴェンのソナタ1番をやりたいです」と言ってみました。すると、

1番! いいですね!
音大を目指す子はよくレッスンする曲です。
勉強になりますよ。やりましょう!

と、あっけなく快諾をいただけました。
まさに私が想像していたピアノの先生というものの反応そのもの。
本当、この違いはいったい何なのだろう。。。

今となっては想像でしかありませんが、おそらくM先生は自分が贔屓にしている大人の生徒が1番を弾いていたので、私には絶対弾かせたくなかったんだろうな、と思っています💣。

1番はその教室ではすでにいろいろな人が発表会で弾いていたので、まさかそんなはずはないと思いましたが、私が1番を弾くことが不和の一因になると判断したんだろうな、と。
(ピアノの先生ともあろう者が本当にこんなくだらない理由でレッスンを拒絶するとは想像でも思いたくないですが。。。)

でも、私がピアノの先生というものを理想化しすぎていただけで、こういうことはピアノ教室ではわりとあることなのかもしれません。

個性派ラーメン屋の親父そっくりといいますか、いい意味でも悪い意味でも俺様ルールで運用するのが、個人のピアノ教室の特徴なんでしょう。

ただ、私は発表会で弾くとは一言も言っていないのに、マウントを取るようなやつだと思われていたとしたら心外です。どちらかというと、発表会ではほかの人にかなり気を使って人気曲は弾かず、大人の生徒が誰も弾かないようなマイナーな小品ばかり選んで弾いていたんだけどなぁ。。。

で話をもとに戻して、今やっとベトソナ1番を習うことができたのですが、この曲は本当にいろいろと学びというか気づきがあり、自分が想像した通り、レッスン面で非常に優れた曲であることを改めて認識しています。

特に今の先生には、ツェルニー40番+ベトソナ1番の合わせ技でレッスンを受けているので、その相乗効果をすごく実感します。私にとって、かつての先生から拒否られるという因縁の曲であったベトソナ1番を丁寧に教えていただき、今の先生には感謝の気持ちしかありません。

今度こそ、ソナチネとソナタの間にそびえる高い壁を越えられると実感できそうで、練習に身が入っています。

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