時間という境界

様々な事情があり、通っている大学からもバイト先からも若干離れた場所に住んでいます。
通学・通勤には公共交通機関が必須という距離です。

確かに不便は不便なのですが、今住んでいるところがとても気に入っているということで満足して暮らしてきました。

しかし、中高6年間を徒歩で通ってきた私にとっては、通勤ラッシュの満員電車がどうにもしんどく、なぜこんな場所を選んだのかと後悔することも少しばかりありました。

そんなある日、混雑した電車の中でふと思いました。

通勤・通学の移動している時間で、頭の切り替えをしているのではないか。

「人間は様々な文脈を同時に生きている」と最近読んだ本にありましたが、私も大学生だったりバイトの労働者だったり、様々な文脈をこなしつつ生きています。
その文脈にとらわれぬよう、家ではプライベートの時間を過ごせるよう、移動している時間に頭をクールダウンしているのではないか。

そういうふうに通勤・通学時間に意味を見いだすことができて、それなら今やっていることもきっと無駄ではないだろうという気がしてきました。
あとは、朝、遅刻しないようきちんと早めに家を出ることを心がけるのみです(今日は財布を忘れて家に取りに帰っていたら遅刻しました)。

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