クウェートの女性たち

Sep 11, 2014 (Thu)

クウェートの男女が上手にセパレートされた世界では、私は女性の世界に入り込むしかない。
食堂(カフェテリア)とバスの待合室は男女別であり、図書館の座席すらそうなのだ。
こちらに来て1週間ほど経つが、私は未だに戸惑いを感じつつある。
男女をセパレートしない社会で生きてきた人間はその境界に漂うか、どちらかに迎合するかしかない。

だから、クウェートで男性に接する機会は少ない。
その分たくさんの女性に出会った。私が暮らしているのも女子寮だ。

クウェート人女性(他の湾岸諸国やアラブ諸国の出身者も含めて)の多くはへジャブで髪の毛を隠し、アバヤで全身を隠し、場合によってはニカーブで顔のほとんどを隠している。いずれも黒で統一されているので、クウェート大学の女子用カフェテリアでは黒ずくめのまるで魔女のような女性たちを目にすることになる。
彼女たちをよく観察すると、かなり派手な化粧をしブランドものを持ち歩いている。豪華な指輪をはめ高級そうなサングラスをかけている人も目立つ。
アラブ人は元々彫りの深い派手な顔立ちだが、さらに眉をくっきりと際立たせ、アイラインをかなり太くはっきりと引き、おそらくファンデーションも相当塗っているのだろう、肌をかなり綺麗に見せている。
彼女たちが歩いたあとは、やたらと化粧の匂いが立ちこめる。
湾岸諸国は豊かだとはよく言ったものだが、クウェート大学の女子学生はブランドものの小さなハンドバッグを持ち、教科書などは手で持ち歩いている。トートバッグか何かに入れた方が効率が良いのではないだろうか。
クウェートは車社会なので、彼女たちはその格好のまま自分の車を運転して通学する。寮に住むためにバスで通学する人も多い。

そんな女性たちを目にし、日本でいつも履いていたジーンズにシャツやカットソーを着て、コンバースのリュックを背負って登校している私は気後れしてならない。
早く慣れたいものだ。

そんな大学で、日本で着ていたのと同じ服を着て、明らかにアジア人とわかる顔立ちの私は目立って仕方がない。
また、私たちにも私たちの文化があるもので、他の日本人や留学生たちと男女交えて話している様はかなり目立つらしい。
特に、クウェート空港に到着したとき、日本人の男女4人で迎えを待っていたときに感じた視線は痛かった。

自分が女性だからかクウェート人男性の生活は今ひとつ見えてこないのだが、女性よりも「セレブ」の要素は薄いようにも思える。
男性も皆一様にクウェートの民族衣装を着ているが、きらびやかな女性に比べたらまだ話しかけやすさがある。
アラビア語では男性形の名詞に女性形を表す記号をつけて、女性形を作る。
女性というものは男性に比べて特別な、目立つ存在なのだろうか。

よく観察してみると、へジャブやアバヤを一切身に付けていない女性もいる。
アラブ人とヨーロッパ人はほとんど似たような顔立ちをしているので、もしかしたらヨーロッパ人なのかもしれないが。
ある日カフェテリアで昼食をとっていると、いきなり女子学生に話しかけられたことがあった。
彼女はへジャブもアバヤも身につけていなかったが、自分はムスリマ(イスラームの女性)だがそれを身につけることはしないと説明してくれた。

また、忘れてはならないのは労働のために移民してきている女性たちのことであろう。
清掃やカフェテリア店員の制服を身に着けているところしか私は見たことがないが、思い思いのアクセサリーを身につけているようだ。
彼女たちの英語は訛りが強いので聞き取りづらいが、挨拶したら笑顔で返してくれる。
いわゆる「セレブ」なクウェート人女性に、彼女たちがはっきりと言い返しているのを見たことがある、身分のようなものは存在しないのだろう。
移民の労働者たちとクウェート人たち、男性と女性たち、この国は本当に人間の空間をセパレートするのが上手だ。

私はクウェート人にも、移民の労働者にも、なることはできない。
自分は本来この国に存在すべきでない人間なのではないかと不安になる。
そんなことを思って、これが海外生活で起こるアイデンティティクライシスなのかもしれないと気づく。

はっきりと外国人で居続けるか、クウェート人に近い存在として振る舞うかは私次第だ。

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