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少女時代

あたしが小学生のころ、父の仕事が不安定だったらしく、母が松下電器産業(現パナソニック)の下請けだか孫請けだか知らないけど配線の内職をしていた。
近所のひとの誘いで始めたんだと思う。
だから、部屋はいつもラグ板や抵抗器、コンデンサの箱が積みあがって、半田(はんだ)の匂いで充満していた。
そして、借家の長屋の端の部屋で、台風なんかがくると、お便所が水であふれるの。
市役所のひとが消毒液を撒きにやってくるってのが台風の後の決まった風景だった。

それでも庭がけっこう広くって、母がいろんな植物を育てていた。
あたしの食べた柿の種が芽生えて大きくなって、八年後にはちゃんと小さな実をつけた。
お便所のあふれで、栄養豊富だったのかしらね?

電話がなくってね。
大家さんの電話を借りていた。
そこの長屋を出て、二階建ての三連棟の借家に移り住むまで電話を引いてなかったと思う。
「よこやまさ~ん、でんわですよぉ」
と、お向かいから声がかかって、「今行きま~す」なんて答えて、うかがうわけ。
大家さんは潔癖な方で、玄関から上がるとき必ずあたしに「足を拭いてからあがってちょうだい」と注意をするの。
めんどうだったな。

夏になると、めばちこ(めいぼ、ものもらい)がクラスで流行ったりする。
眼帯の生徒が増えてきて、先生が
「伊達政宗のクラスやな、まるで」
「だれ、それ?」
「わからんかったら、ええ」
中村先生は、さらっと流して授業に移った。
そんでも、男の子たちがチャンバラごっこをやりだすと、眼帯少年は「柳生十兵衛見参(けんざん)!」なんてやってるわけ。
「見参」なんて字、書けないのにね。
笑っちゃうよね。

何の話だっけ?
思い出すと、つぎつぎにいろんなことが出てくるね。

クラスには必ずと言っていいほど、けが人がいた。
腕を折って首からつっている子、頭に包帯を巻いている子、松葉づえの子、眼帯の子、赤チン男(赤チンって知らない?傷薬よ)…
満身創痍って言ったら言い過ぎだけど、「名誉の負傷」っていうのかな、男の子の勲章ね。
そんだけ、乱暴な遊びをしてたのかな?

あとね「みみだれ」といって、耳から膿をたらしている子もよくいた。
中耳炎ってやつね。

洟垂れ小僧は病気じゃなくって、普通に存在したから、めずらしくもなんともない。
女の子でもずるずるやってたし。

男子の立ち小便の妙技に見とれたこともあった。
例のかっちゃんが、名人で、お寺の白壁に上手にバッテンや丸を描くの。
コツがあって、おちんちんの皮をぷりっと剥いて中身をだしておしっこをするんだそうだ。
他の子は皮がかむったままするんで、最初おしっこで皮が膨らんで、穴を破ってぶわっと出る。
そうすると、噴水のようになってまっすぐ飛ばないの。
かっちゃんのちんぽは、大人のように剥いて、しっかり棒状におしっこを飛ばせていたわ。

あたしは、ちんぽがその後、もっと重要な任務を帯びて男の子の股間にぶら下がっているのだと知るのだけれど、それはずいぶん経ってからでした。

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