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超私的CMパンク記 2011年~2021年

2011年初夏、CMパンクは完全に化けた。

6月頃対談の噂がインターネットでも出てきた頃、RAWで試合をした後に契約は更新しない、と宣言。WWEのストーリー上、前代未聞の自体だった。退団日は地元シカゴでのマネーインザバンクでジョンシナとのWWE王座戦。という発表もあった。

ただ、僕個人はCMパンクがWWEと契約をしてROHを退団する直前にROH王座を奪取、ベルトを持ったまま退団宣言をして突如ヒール化したストーリーをDVDで観ていたこともあって正直「上手いストーリーだなぁ。」程度の関心しか持てなかった。

そして6月27日、退団まで約1か月を切ったRAWで伝説のプロモは行われるのだった。


プロモの内容自体は既に周知のものとして省くがこの内容に驚かされたのはその声明の中でパンクが取った立ち位置だった。ヒールでありながら自身をWWEの所詮「歯車の一部」であることを自認しつつ、解せない。腹立たしいことを語った姿はあまりにもリアルだった。退社を覚悟しているその物言いは、入社した会社に嫌々アダプトしていく新社会人としての日々を送る僕には深く刺さった。

自分の日常でもこんな風にランドスケープチェンジを図りたいとすら思った。

パイプボム翌週は発言の内容からCMパンクが欠場というまたリアルな設定の中、王座を持ち逃げされるリスクが高すぎる、と急遽特番の王座戦を取り止めようとビンスマクマホンが奔走。ところがジョンシナが自身の進退を賭けることで何とか阻止。

CMパンクが勝てば、WWE王座もジョンシナもWWEから消えてしまうのである。どえらいこった!!CMパンク本人が不在でもいつの間にか彼が中心に会社が動き始めている状況は痛快な展開だった。

そして特番直前、最後のRAW出演としてCMパンクが登場。もう時の人である。この日、ビンスマクマホンはリスクヘッジとしてCMパンクと契約延長のための交渉の場をリングの上で設ける。半ば懇願状態のビンスにパンクは自分を含め不当に扱われた、または解雇されたレスラー達に公開謝罪を要求。

悔しがって謝るビンスにパンクは大爆笑。「初めて世界王者になった時より嬉しいぜ!」としたり顔。もうパンクの中ではWWE王座やWWEという権威に魅力は感じておらず、ひたすらに恥を欠かせる、会社を壊して退社することしか意識していないとわかる姿は映画の中で見る愉快犯のようだった。

混沌とした状況にジョンシナが駆けつける。シナの「お前何か見失ってないか」とオトナっぽい一言にもCMパンクは止まらず、「見失ってるのはお前だよ。自分がアンダードッグだと思ってるかもしれないがもうお前は既にダイナスティだよ。」と辛辣過ぎる一言。

挙げ句の果てビンスが最後の望みをかけた契約延長書類を破き、「日曜、WWEにジョンシナに、そしてCMパンクにお別れすることになるぜ。」と退場。WWEを去ることを表明したことでパンクは始めてWWEの主役になってしまった。。

そしてシカゴで行われたマネーインザバンクでのWWE王座戦はCMパンクが地元観客の圧倒的な応援を背に受けて勝利。WWE王座を持ち逃げしてしまう。

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翌日のRAWでは王座持ち逃げの責任として、シナを解雇しようとしたビンスマクマホンが状況をコントロール出来なかったらという役員会からの意見で解雇。その場にいないCMパンクはWWEからビンス・マクマホンを追放することに成功!

結局、その後数週に渡って新王者を決めるトーナメントを開催。シナが新王者となると、一連の騒動で得た影響力で更なる革命を起こすためにCMパンクは帰ってきた。そして旧ベルトを掲げ、自分が本当の王者と主張。

サマースラムでは2つのWWE王座の統一戦が行われることに。この公開調印式でCMパンクは更なるタブーを破る。

圧倒的CMパンク人気の中、ジョンシナに対して「本当はプロレスラーではなくてボディビルダー目指してたんだよな。おれはずっとプロフェッショナルレスラーを目指してたよ。」とグサリ。

シナも相変わらずオトナな振る舞いで「色々言って今お前に勢いがあるかもしれないけど統一戦で負けたら一発屋だな。」とそれなりに返したところで「お前みたいなニセモノよりも一発当てた一発屋のが上等だろ。」とピシャリ。WWEではベラベラ喋るヒールのプロモにベビーフェイスが一言キメになるような、突き付けるような物言いをした時は大抵ムムム!と不満げな顔をするのが通常の流れで古くはクリス・ジェリコ、近年はミズのようなスターはそういう一線に収まるプロモをしてきたのだが、CMパンクはああ言えばこう言うとばかりに返してしまう。

CMパンクの魅力はこういうプロモにあったと思う。その後、再度ヒールらしいヒールに転じた後にザ・ロックと抗争をしても全くケムに巻かれず言い返す。言い返すばかりか先にザ・ロックに殴りかかったりもした。レッスルマニアでアンダーテイカー と対峙した時は鐘の音が鳴ってもビビった表情もせず、「キタキタ〜」と言わんばかりにイエー!と叫んだり、WWE内におけるヒールらしさをとことん打ち破り、WWE内でのCMパンクらしい振る舞い方が確立されていったように思う。

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2011年のパイプボムからの3年間、CMパンクは常にWWEで1番輝いていたしその影響力からか観客はインディ出身であったり新日本参戦という外での実績を積んだレスラーをホンモノを知ってる、やれる、クールな奴ら。と見るようになった。

昨今では当たり前になりつつあるSNSから巨大になった民意を大企業が受け入れるような風潮も、後のダニエルブライアンが真のトップ選手に変貌する流れも、下地は全てはCMパンクが始めた革命。と言っても過言ではない。

そんなCMパンクに憧れ続けた僕の社会人生活もその動機はともかく、「自分で案件を取ってきたり、自分の太客を作れば先輩の仕事の手伝いはせずに済む。」とか一種、反骨心みたいな気持ちで仕事をしていた気がする。

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そして、2014年。CMパンクは突然消えた。

ストーリー上の欠場ではなく、全く出てこないのである。直ぐにインターネットでは色々な噂が駆け巡ったがクリエイティブ上の不一致。などでCMパンクはツアーから帰ってしまいWWEも交渉中。とのことだった。

2002年にストーンコールドも同じような経緯で一度退団したことがあったため、むしろもっと有利な契約を取り付けて帰ってくるだろう。みたいな気持ちで状況を見守っていた。

が、2014年の夏にCMパンクは解雇となってしまう。一気に目が覚めた。気がつくとWWEはシールドというユニットで出てきた若者たちを早急にWWEスーパースターに仕上げようとしていた。パンク同様にファンから信頼されるプロレスラーとしての認知をWWEで勝ち取ったダニエル・ブライアンも怪我で欠場。(一度は復帰するもやはり怪我の影響で引退してしまう)時代は一瞬のうちに変わってしまった。やはり企業はコントロール出来ない事象や再現性の低い成功を嫌うのである。

この頃にはCMパンクが去った背景を関係者が外のインタビューで答えた記事がチラホラ出てきた。ダニエルブライアンの「WWEを辞めたことよりも、彼が昔からあんなに愛してきたプロレスに情熱を失ってしまったみたいで辛いよ。」という言葉には1番傷ついた。

思春期後半から20代半ばまで追いかけたCMパンクはもうプロレスに冷めてしまったのか。

また、ストーリー上だけでなく不仲と言われたトリプルHも「CMパンクは辞める前はもう塞ぎ込んでいて誰とも会話すらしない様子だったよ。不満があるなら会社とちゃんと話すべきだった。」等、パンクに問題があるという旨の発言もとても傷ついた。

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その後はご存知UFCでの挑戦。

この一戦に感動を覚えた、という意見を今も当時も見るが僕には全く感動出来なかった。

全く持って向いていないはずの総合格闘技に何の夢を見たのか。また、勝ったとしてUFCファイターとして何戦もするつもりだったのか。二戦目も敗退し、総合でのキャリアを絶望視されたころフリーバーズさんの中山さんがdropkickで書いた記事に深く頷いた。

ほんとに、おまえは何をやっているんだ。である。

また、CMパンクが日常から消えた事でやはり僕も新しいお気に入りを求めてプロレスをザッピングして見るようになった。その中でROHのキングダムのリーダーだったアダムコール。週プロでしか見ていなかった新日本プロレスのハンサムジュニア戦士、プリンスデヴィットがバレットクラブというユニットを作っていてヒールになったとか、色々チェックをする内に新しいお気に入りや気になる存在はWWEの外のレスラーばかりになった。 

その昔ROHのDVDや初期TNAで観ていたAJスタイルズが新日に登場した時辺りから拍車がかった。

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WWE自体も観てはいたけれどシールドの3人含めて新しく売り出そうとされるレスラーにはイマイチ乗れなかった。作られたキャラクターを本人達がまだ試運転している状況のままトップ戦線に押し上げられた展開は不憫にすら思った。

何となく海外プロレスファンの逆輸入的な影響で新日本プロレス周りを見るようになった頃、冷静にCMパンクが自分にとって何であったか考えるようになった。

簡潔にいうとCMパンクは僕にとって最後の青春のアイドルだった。

CMパンクを観たくて米インディに興味を持った。また、CMパンクがプロレスから去った事でWWE以外のプロレスに対して更に興味を膨らませられたことを考えても、彼がいなくなった事で少しオトナになれたように思う。

そして、冷静に考えるとレスラーとしてのCMパンクの魅力は立ち振る舞いにあったと思う。試合は他のプロレスラーを追いかける程、上手い!というレスラーではなかったと思った。運動神経というよりは周りが使わないジャパニーズレスラーや柔術風な小技を間に挟んだりはするが全体をプロデュースしているのは展開力や表情。本人は技術主体のプロレスに憧れが強いのと裏腹に純粋なアメリカンプロレスをしていた。試合の中のストーリーテリングで見せる、古くで言えばジェイク・ザ・スネーク・ロバーツのようなタイプだったのかもしれない。そんな形で凄いスーパースターだけど大したレスラーではなかったよな。今初めて見たらそんなにハマってないかもな。とCMパンクよりもCMパンクに心酔してきた自分自身をどこか心の片隅で否定しようとすらした。

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たまにCMパンクがずっとWWEに残っていたら。と思うこともあったがそれはそれで自分がプロレスに飽きてしまったのかもしれない。後から考えれば良薬は口に苦し。という事でもう深くCMパンクについては考えないように蓋をしていた。長く続いた夏は去ったのである。

時は流れて今年2021年、厄介な事にCMパンクは帰ってきた。帰ってくるだろうとされたAEWのRAMPAGEも土曜午前のリアルタイムでは観なかった。奥さんと家の内見をしていた。おれは先に進んだんだ。もう遅過ぎるよ。おれは戻らない。内心、意地を張っていた感すらある。と、言いつつ午後になってFITETVで確認。

冒頭のCMパンクの復活は4回スクロールして見てしまった。歓声を前に涙を堪えたような表情をするパンクに結局は全てを絆されてしまった。CMパンクは帰ってきたのだ。邂逅はまたしても夏だった。これ以降、試合復帰をする姿にどんな気持ちになるかなんて想像すらしてない。ただ、とんでもない遠回りを経てやっと自分の居場所を見つけたCMパンクを今は見守っていきたいと思う。


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