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「サポーター」って何だろうか

お久しぶりです。ノザマガです。前回のnoteを書いてから約1年半が経ちました。あの頃はJ2降格が決まった年のオフですかね。懐かしいな。

(本題に入るまでが長いので、前置きを飛ばした方は目次から本題に飛べますので是非↓↓)


さて、4月から社会人となった私は、神奈川県川崎市で生活しております。

そして、大学生の頃に比べると、ベガルタ仙台の試合に足を運ぶ回数が大分減ったと感じています。

物理的に遠くなったこと、社会人生活が忙しいこと、他の趣味が増えたこと、要因は様々だと思いますが、「以前ほどベガルタ仙台に熱を感じなくなった」ことが一番大きいと思っています。

そして、熱を感じなくなった要因も様々あるのですが、大きく分けると「チームの成績」「クラブのゴタゴタ」の2つだと考えています。


チームの成績については改めて語る必要もないですよね。弱いです。ここ数年「ここ数年最弱」を更新し続けてる気がします。当たり前の話ですが、弱いチームより強いチームの方が魅力的と感じる人が多いですよね。
そして、このクラブは弱い(年々弱くなっている)。ということです。


意外にも2つ目の「クラブのゴタゴタ」も大きいと思ってます。


横領やら券の偽装やらの問題は正直、試合観戦そのものに直接影響はないので、「クラブやっちゃったなぁ」ぐらいの感覚ですが、応援団との問題は、最近の「応援」「サポーター」の問題とも絡んで色々考えさせられるものがありました。

大前提として、私は事件の当事者でも目撃者でもありません。ただの第三者です。事件についてはクラブのリリースとサポーターミーティングの議事録等の公にリリースされてる情報しか知りません。ですので、事件そのものについての言及は避けます。

ただ、この事件をきっかけに「サポーター」とはなんだろうと考えるようになりました。

ここから本題です


「サポーター」の定義って難しいと思います。


観客とサポーターの違いは何なのでしょうか。何をしたらサポーターなんでしょうか。ユニフォームを着たら?ゴール裏で飛び跳ねたら?声を枯らして90分間応援したら?正直、この問いに正解はないと思います。


ただ、正解はなくても不正解はあると思っています。


(まどろっこしい言い方で申し訳ありませんが)「正解」がない以上、あるべき論を語るのは不正解だと。


サポーターはもっと自由でいいのではないでしょうか。Twitterでも言いましたが、義務でも誰に頼まれるでもなく応援したい人が好き勝手に集まって応援するのがサポーターであって、応援の方法は(クラブと他の人に迷惑をかけなければ)自由だと思います。


選手を鼓舞するために拍手したけりゃすればいいし、クソ試合だと思ったら途中で帰ればいいし、なんとなく観に行きたくなったら後半から行けばいい。ビール片手に語り合えたければそれでいいのではないでしょうか。


一方ですごく難しいと思うのがゴール裏(応援席)の考えかたなんですよね。

さっきの話に当てはめれば、ゴール裏で座ってようが、カメラで選手撮ってようが自由なわけですが、現実問題そうではないし、私自身も「それは違うな」と思っています。

ここで問題になるのが、なぜ上記の人がゴール裏の人間として受け入れられないのか、もっと言えば「ゴール裏では飛び跳ねて声を枯らさなければいけない」のはルールなのか美学なのか、です。

「ゴール裏は、そもそもの考え方として、選手を後押ししたいと思う人達が、声を出したり飛び跳ねたりする場所です」というルールが共通認識としてあったかどうかなんですよね。

それが根底にあるのであればいいと思うのです。ただ、それがないと納得力のある説明ができない気がします。

事実、私自身もゴール裏は応援する場所という認識ですが、「何で声枯らして飛び跳ねなきゃいけないの?」と聞かれたとき「ゴール裏とはそういうものだから」以上の回答ができません。

30年の歴史のなかで、「ゴール裏は応援する場所」という大枠の共通認識はある程度浸透していると思いますが、その先の細かな部分は色々な解釈があるのかなというのが、最近のJリーグのサポーター論争を見て思うことです。

ゴール裏に鎮座する人、カメラで選手を撮ってる人、ゲーフラが邪魔だと文句を言う人に対して合理的に追い出すことができるかと言われると難しいと思います。

応援は自由であるべき、但しゴール裏はこうあるべき。と論理が矛盾してるんですよね。いや、感覚では分かるんです。ゴール裏は応援する場所であるべきだと思うし、そうじゃないなら指定席に行けばいいと思うのです。ただ、理屈で説明できないんですよね。(最近はクラブがHPに掲載してるところもあるから一概にはいえない話かな)

なんかその辺が難しいよなぁと思う今日この頃です。


「サポーター」の定義については議論の余地があると思いますが、1つだけはっきりしてるのは、別に毎試合ゴール裏で跳ねてようが、声を枯らしてようが、アウェイまで毎試合駆けつけようが「別にサポーターは偉くない」ということです。これは声を大にして言いたいことです。


最近、よく負け続けたチームのサポーターが選手に対して罵声を浴びせたり、無理矢理話し合いの場を設けたりする場面が見られますが、あれは絶対的に間違ってると思います。


だって、冒頭でも申し上げましたが、サポーターは勝手に集まって好き勝手に応援してるだけじゃないですか。それに対して選手達が(本心か形式的かは置いといて)"たまたま"感謝してくれている。それだけのことで、これ以上もこれ以下もない。

選手が感謝してくれるのはありがたいことですが、それはあくまで選手目線からの話であって、サポーター側から「感謝しろ」「一緒に戦え」と強要するものではないはずです。


言葉を選ばずに言えば、選手の感謝につけあがった(一部の)サポーターの偉そうな態度には辟易とします。

「応援してやってる」「観に来てやってる」「一緒に戦ってやってる」そんな気持ちが1ミリでもあるのなら、それを選手に伝えなくては気が済まないのであるならば、スタジアムに来ないでください。迷惑です。「大してスタジアムにも行ったことないやつが、偉そうなこと言ってんじゃねーよ」と言われそうですが、この考えは変わりません。


何度も申し上げていますが、チームや他のサポーターに迷惑をかけなければ応援の仕方は自由だと思っています。そして、上記のような行為は間違いなく「迷惑」です。

選手もよく「サポーターの応援は力になる」とコメントしています。これは非常に喜ばしいことですし、ピッチの外から一緒に戦えている当事者感を得られます。

しかし、だからといって選手やクラブに対して何言ってもいいなんて話にはなりませんし、「選手のためを思って」なんて言葉を使っとけば許されるなんてこともありません。

私達が罵声を浴びせなくても、成績が下がればカテゴリが下がり給料が下がり生活が苦しくなります。自分の職場で、成績が落ちてる人に対して叱責する上司はいても、会社の外から「成績悪いぞ!どうにかしろ!」なんて言う通行人はいないですよね。


サポーターと選手(クラブ)は、スタンドとピッチの距離感が丁度良いと思います。サポーターはピッチ上での出来事に介入はできないけど、後押しはできる。反対に選手(クラブ)も監督管理者としての責任義務(防犯、警護等)は全うする必要があれど、応援そのものに対しては必要以上に介入しない。

この相互不可侵の下に成り立っていたと思うんですよね。応援って。それが、最近になって良くも悪くも崩れてきてる気がします。サポーターとの距離が近くなることが一概に悪いことだとは思いません。実際、近年のフロンターレのような良好な関係性もあります。ただ、その一方で(クラブ名は挙げませんが)良くない方向に進んでるクラブが多い気がします。


これが、最近負け続きでベガルタ仙台を一歩引いた目で見るようになって思ったことです。熱狂的なサポーターでいるのは苦しくとも幸せなことだと思います。ただ、その苦しみを選手に押しつけるようになったのなら、一歩引いた目で見ることをおすすめします。


と、まぁ3000字以上長々と書いてきましたが、ベガルタ仙台がJ2残留することを願っています。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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