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吉原ものでデビュー予定のもの書きが大吉原展に行ってきた


最初の宣伝

 2024年5月15日にKADOKAWA富士見L文庫より「あやかし遊郭の居候」なるライト文芸小説を上梓する予定のもの書きです。初の単著ということでものすごく緊張しているので、宣伝の一環として本記事を書いております。

 さて、デビュー作となる「あやかし遊郭~」の書籍化作業中だった2024年初、X(旧twitter)のタイムラインに「大吉原展」に関するちょっとした炎上が流れてきました。どうやら、「江戸アメイヂング」なる副題から、吉原にまつわる人身売買・性搾取をエンタメとして消費しているのでは、というところが論点になっているらしい。
 とはいえ吉原が文化の発信地だったのは一応事実だしなあ……いや確かに闇も深いしなあ……と見守っていたところ、主催から以下のような声明が出たことでその時点では一応の決着を見たようでした。

遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。
主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。

 吉原の光と闇、虚と実のバランスは自作の執筆についても気になっていたところでした。フィクション・エンタメ・ライト文芸という枠の中でどこまで触れるか、面白さとの両立はどうすべきか──どうしても「キラキラ」寄りの描写にせざるを得ない部分もあり、「本当は違うのは分かってますよ~~」とかなりドキドキもしています。
 なので「大吉原展」はどのような匙加減でアプローチしているのだろう、ちょうど良い時にちょうど良い企画があってくれたもの! と開幕を心待ちにしていたのでした。今後も江戸時代や遊郭を題材にして書くこともあるかもしれないので、取材としてもね。

行ってみた

 というわけで行ってみました大吉原展。

 人権侵害・性的搾取を許容しない旨の掲示から始まる展示は大きく三つの区画に分かれていました。吉原とは・遊郭とは何かを大きく説明する第一部。元吉原時代~新吉原を経て明治・大正期までの吉原の変遷を説明する第二部。展示室全体を吉原の町並みになぞらえ、三味線の音が響く中で季節ごとの吉原の行事や風俗を説明する第三部。
 多彩な絵画・浮世絵はやはり圧巻でした。遊郭を題材にした作品の執筆にあたってそれなりに本を読んだり絵画を見たりはしたのですが、たとえ見たことのある作品でも、目の前で細部を体験できるという経験は素晴らしい。展示会で改まって向き合うのは、自宅で本やモニターを見つめるのとは違った集中もありますしね。もちろん初見の作品も多いので心のメモが捗りました。
 入浴時には髷が崩れないように紐で括っておく、簪の先を使って頭を掻く、遊郭の内装や調度品etc.……もちろん、遊女の衣裳の柄や色遣いは目を瞠るものがありますし。今後の執筆の糧にしよう! と決意したものでした。

楽しいだけで良いんだっけ?

 さて、第二会場の途中くらいでふと気づいたことがあります。
 「あれ? 今のところ楽しいだけだな?」
 
事前の「炎上」へのアンサーおよび展示冒頭の掲示によると、吉原の輝きは人身売買と性的搾取を前提にしたものであって、許されない・繰り返してはいけないもののはずなのですが、概ね「すごーい✨きれーい✨」という感想でうっとりと夢中になれてしまっているのは──あれ、これで良いのかな? とちょっと戸惑い始めたのです。
 河岸見世にも触れていたり、「吉原の闇」への言及がないわけではないのですが、それでも少ないしさらっとし過ぎていない? というのが率直な感想でした。

 たとえば「客への文を見る・書く花魁の図」などは何度も出たモチーフですが、その文というのは多くの場合金の無心であって、現代で言うならホストやキャバクラの「営業LINE」と同根のものであるという言及はどこかにあっても良かったのでは……と思います。それがあるとないとでは印象がかなり変わってくるのでは……。ホスト・キャバクラを蔑視する訳ではなく、遊女の教養を軽んじる訳でもなく、「雅な恋の駆け引き✨」では済まない面もあったのではないでしょうか、と。
 吉原について調べた時に、花魁として体面を保ち、禿や振袖新造の面倒も見て、自身の借金を返していくのにとにかくお金がかかるし、様々な口実で客にお金を出させなければならない、それができなければ借金がかさんでいく、と知って過酷さに慄いたんですよね。(それは私が陰キャコミュ障だからでもある)(そこで上手く客を乗せるのが手練手管であって吉原の文化の一端でもあるはずですし、言及する意味はあるのではないかと思うのですが)

 この点は、見る側の想像力やリテラシーによる部分もあろうかとは思います。X(twitter)でパブサしたところ、描かれる遊女の表情に悲哀を感じたという声もありましたし、吉原とは何か・そこにいるのはどんな女性かを踏まえればおのずと思い至るはずではあるのでしょう。
 たとえば、展示作品にも含まれる喜多川歌麿の青樓十二時續。亥の刻(午後十時)の寝入ってしまう禿は愛らしいし、この瞬間を切り取る歌麿の観察眼はさすが、ではあるのですが、子供がこの時間まで酒席に侍らさせられるのは現代感覚では児童労働で虐待ではあるよなあ、など。

 同じシリーズの丑の刻(午前二時)についても、おそらくは「事後」なのでこの遊女の心中、心身の疲労を思うと艶めかしさに見蕩れるだけではいられないはずで。爪先や裏返った草履の描写、俯き加減からも「廓勤めの苦しさ、荒みよう」に想いを馳せるのは難しくないはずではあるでしょう。

 また、展示作品の作者はほとんどの場合男性であり、「客」の目線で吉原を描いたであろうことも考慮しなければならないと思います。彼らが遊女の苦しみをまったく知らなかったということもないでしょうが、当時の顧客のニーズもあったでしょうし、ポスター的な意味合いの作品も多かったでしょうし、主に華やかさや美しさに傾くのは、それ自体は致し方ないことなのでしょう。
 そこで「実はこうだった」「裏では苦しんでいる女性がいた」と注釈を加えるとすると、注釈者の創作・想像・思想が入るのは避けられず、それもまた好ましくないのは理解できます。青樓十二時續・亥の刻に「児童労働・児童虐待を描いた作品です」と注釈するのはまあ誤りとなるでしょう。作品だけを見て・感じて欲しい──というのが展示の意図なのかもしれません。

こういうことかな?

 とはいえもう少し解説や掘り下げが欲しいなあ……と頭の片隅で考えながら辿り着いた第三部。吉原を模した会場の最奥、水道尻にあたるところに展示されていたのが、辻村寿三郎の人形を配した妓楼の立体模型でした。そこに掲示されていた、「吉原の遊女を悲しげに作っては惨い、絢爛に楽しく作ってあげるのがはなむけであろう」という趣旨の辻村寿三郎のコメントは、主催者のそれでもあるように思いました。
 Wikiによると辻村寿三郎は旧満州の料亭で育ったとのこと、芸者などを身近に見た経験からの言葉なのでしょう。蔑まれたくない・憐れまれたくない、とは人間の一般的な心理でもあり、吉原の遊女にも同様の想いを持っていた人もいたでしょう。上記のコメントも、考え方としては理解できるし決して間違ってはいないとは思います。遊女の浮世絵を描いた絵師たちも、あるいは同じ想いだったかもしれません。
 いっぽうで、放火によって苦境を訴えた遊女たちや、花魁道中を人権侵害と訴えて廃業した大正時代の白縫花魁もいたりして、かつ、展示でも触れているわけで(「大正吉原私記」によると、白縫花魁についてはそれだけではなかったかもしれないとのことですが)。苦しみ屈辱も含めた本当のところを知って欲しい、と思う人もいたはずではないかな、などとも思います。

 「無闇と憐れむな」も「華やかな面ばかりを取り上げるな」も、「一面だけを見て語るな」と集約できるでしょう。その点、「大吉原展」の展示は輝かしい面にフォーカスが集中していたように思えます。

 勝手に推測するに、どうも、主催者側は「一般的なイメージとして、吉原は売られた哀れな女性が身体を売る陰惨な場所であると思われている」と認識していたのではないか、という気がします。そのような認識の観客が本展示を訪れたら「吉原は文化の発信地でもあり、花魁は芸や教養を修めた才女でもあったんだ!」という発見は新鮮なものでしょう。

 が、これもまた勝手な感覚ですが、フィクションの世界では「吉原は煌びやかな夢の世界、花魁は嫌な客には靡かない、金だけでは買えない高級娼婦」という扱いをされることが多い──従ってそのような認識を持っている人も多いように思います。

 数年前になりますが、大正時代の花魁の自伝(ということになっている)「吉原花魁日記」のコミカライズ「春駒~吉原花魁残酷日記~」のプロモーションがtwitter(当時)のタイムラインに流れてきたことがありました。春駒と呼ばれることになった主人公・光子が売られた直後に無理やり客を取らされる場面だったと思いますが、「花魁は一見の客を相手にしない」「花魁は手塩にかけて育てられた教養ある女性」「こんな展開はあり得ない」というリプライ・引用が多数ついていて目を剥いたものでした。恐らく、大正時代の話であることに気付かず、また、本編を読んだわけでもなく「吉原」「花魁」というワードに反応したのだと思いますが……。

 というわけで、主催者側が思っているほど吉原の負の実態は知られていない、それどころか華やかな虚像を信じている人が多いのではないか──あるいは、そのように懸念している人が多いのではないかと思います。その懸念や認識のズレが開催前の炎上に繋がったのかもしれません。
 懸念が杞憂である可能性もあるので、匙加減は難しいのでしょうけれども。Xでパブサする限り、わざわざ感想を発信する方は吉原の闇の部分は百も承知で、その上でバランスがどうかに賛否が集まっている、という印象を受けましたので。

主催者メッセージを見直してみよう

 色々考えながら見て回った大吉原展の締めくくりは「見返り柳」でした。第三部の趣向から連続して、観客は吉原で一夜を明かした遊客に重ねられていたのですね。つまり女性をお金で買った存在に擬されていたわけで、そんなつもりはなかった私はちょっと「お、おう」と思いました。(遊郭に登楼するだけでなく、花見の季節や俄、玉菊灯籠などの年中行事の見物するだけの「観光客」も結構いたとは聞きますが、見返り柳を入れると「朝帰り」の意味合いが強調される気がするのです)
 遊客目線なら、吉原の悲惨に目が行かない構成なのもある意味道理、なのかどうか。冒頭で人権侵害・女性虐待を非難するいっぽうで、観客にそれをした立場(遊客)を追体験させたのは──異化効果だったりするのでしょうか。

 そして、帰宅後。企画の意図・趣旨を熟考するためにも改めて大吉原展の公式HPを訪ねてみました。例のメッセージを再度見てみましょう。

遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。
主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。

 太字部分を読んで、どうやら誤解というか勝手な期待を抱いていたことに気付きました。事前の「炎上」に対して発したからには「安心してください、実際に展示を見れば懸念されているような吉原の過剰な美化は行っていないのがお分かりいただけるかと!」というような意味であると思い込んでいたのですが、そのような記述はありませんでした。ので、予想・期待と違った方向性の展示だったとしても不満を抱くのはある程度は筋違いだったようです。
 「現在では許されない~」というのは当然の前提の表明であって、展示を通して訴えようとしているテーマではない、ということなのでしょう。見直したのは「広報の在り方」だけですし、「美術作品を通じて」という部分からも、(上記でも推測はしましたが)背景の詳細な説明や掘り下げはまた別の話・今回は作品そのものに触れてね、という意図を感じます。

 上記の理解で正しいとすれば、それはそれで良いのではないかな、と思います。すでに述べてきたように江戸時代の吉原が文化の発信地であったのは事実ですし、美術作品の鑑賞に現代視点での注釈をつけすぎることによって、当時の実像がかえって分かりづらくなることもあるでしょうから。

 結果的に、炎上したことで吉原の負の部分を解説する記事やポストも出てきているようなので、展示で興味を持ったら情報収集を進めていけば良いのではないかな、と。

 あくまでも上記の理解が正しいとすれば──と再度念押ししますが──、主催者からのコメントに「現代の倫理観に照らして問題がある制度ではありますが、当時の文化風俗を知っていただくためにあえてそのまま展示しています」というような記述が入っていれば誤解の余地は少なかったかもしれません。少なくとも個人的には、そのような記述があれば「OK、今回はそういうことね」と呑み込んでいたと思います。

 ともあれ興味深い展示であり、貴重な作品を一度に見ることができる得難い場であるのは間違いないでしょう。大吉原展、開催期間は2024年5月19日までとまだまだ余裕があるので、興味のある方は足を運んでみると良いのではないでしょうか。

最後の宣伝

 このように長々と考えたのは、5月15日発売予定の「あやかし遊郭の
候」も、「吉原は煌びやかな夢の世界」という、間違いとは言わないまでも一方的なイメージに乗っかって描写した面は否めないからです。ライト文芸ならではのエンタメ性を保ちつつ、上記で触れた「大正吉原私記」や「吉原花魁日記」から得た情報を描写に織り込んではいるのですが、さて、どのように仕上がっているでしょうか。

 「あやかし遊郭の居候」、新旧の時代、人とあやかしが交錯する明治の吉原を舞台にした和風ファンタジーです。娼妓の娘として生まれ、母の借金を負わされる人生を「何となく」受け入れてきたヒロイン・千早が、自らの意思で自らの進む道を選ぶ物語、ぜひ見てみてくださいね。もふもふもあるよ!


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