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【短編小説】ある師匠の哀しみ

SNSを使い始めてもう20年にもなる。
確か2000年ごろのSNSは掲示板やチャットだけのシンプルなものだったが、それでも自分と全く違う世界の人と交流できるのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
信じられないことだが会社で仕事中にチャットをやったり、朝から晩まで、いや3日ぐらいチャット部屋に入っている奴らがいたものだ。
完全に中毒だったと思うのだが彼らは今どうしてるんだろう。
日本を代表する多国籍コングロマリット企業に勤務していたある男などは仕事中にチャットルームに入っていて「誰かいらない領収書あったらくれないか?」とアホなことを宣ってたいた。ほどなくして彼はリストラされたようだがそれが原因だったかどうかはわかない。
今では業務中にネットを使うことは厳しく規制されていてネットサーフィンをしたり私的なメールを送ることがばれれば最悪クビになることもあるが20年前はまだ緩い時代だったんだ。
今ではSNSも進化を遂げたわけだが未知の他人と交流をするという目的は変わっていない。
それが社会人の勉強会であろうと、過酷なサバイバルレースに出るための仲間を探すためであろうと、飲み会の仲間を募集する目的であろうと、違法薬物の取引であろうと、結婚相手を探す目的であろうと、売春相手を探す目的であろうと、だ。
2O年も続けているというのはSNSが生活になくてはならないものになったのか、単に依存症になってしまっているだけなのか。
だが自分とは全く違う世界の人と簡単に交流し自分の世界を拡げると言う意味で便利で有益なものだしやはり楽しいものだ。
使い方さえ間違えなければ間違いなく人生にスパイスを振りかけることもできる。
つまり「馬鹿と鋏は使いよう」ということだ。
ところで自分と全く違う価値観の人を見ていると時にとんでもない話を目にして椅子から転げ落ち、文字通り腰を抜かすこともある。
最近は免疫ができたせいか大抵のことでは驚かなくなったがそれでもひっくり返りそうになることはある。
使い古された言葉だが世の中は広い。そしていろいろな人がいるんだということを実感する。

ある日本舞踊の師匠の話だ。
SNSのあるコミュニティで知り合ったわけだが、オレのような普通のサラリーマンとは全く違う世界に生きる人を見るのは新鮮でもあり楽しかった。
実際彼女は美しかった。着物がよく似合うこの人はある美人演歌歌手にそっくりで物腰も柔らかだった。
実はオレと彼女はお似合いだと周りから囃し立てられ一時期付き合っていたこともある。だが結局オレの方からフェイドアウトした形になった。
特に理由はないなのだが、あえて言うならどこか歯車が合わない。価値観も趣味も似ているのだがなぜかしっくりこない。理由のひとつは彼女の話が続かないということかもしれないということもあるがもちろんそれだけではない。
「気さくさ」にも欠ける彼女の性格は多分育ってきた環境によるものなのかもしれない。自分に自信がないあの性格は常に親に否定されて育ってきたんだな、と勝手に推測した。
そういう大人は世の中に多い。ほとんどの人はそのことを自覚し自分で性格を直していくものだがそのままいい大人になった人は意外と多い。
それもSNSに多いんだ。
この女をなんとしてでも抱きたいという欲求も湧いてこない。怒られるかもしれないが「観賞用の女」だ。「どうしても抱きたいと思う女」、いうまでもなくこれは大きな魅力だ。
そんな彼女とも知り合ってすでに10年ほどになり今でもSNS上で繋がっている。
いろいろなコメント読んでいると相変わらず変わってないなということが言葉の節々から感じられる。

SNSにはいい歳をしてこんな幼稚な文章しか書けないのかと言うやつもいる、というか実際のところ多い。
70すぎた高齢者の爺さんが絵文字顔文字を乱用し主語述語もおぼつかない「てにをは」もうまく使えない投稿を見ているとイライラを超えて激しい脱力感に襲われてしまう。
精神衛生上全くの毒でしかないのだがこういうことは多い。
ある男などはここ2~3年、世界中に感染症によるパンデミックが広がり行動制限がかかるとそれまで参加していたワインパーティーが開催されなくなってストレスが溜まり、その度にその腹いせか政権批判を投稿しまくっている。
それはどう見ても言い掛かり、いちゃもん、難癖レベルの話なのだが。
話を戻そう。以下はその日本舞踊の師匠が真面目に(と思われる)投稿した話だ。

「お守りは借りるものではない」
最近、ちょっとついていないことがありそんな私の様子を察知したお弟子さんが、「とても良いお守りがありますのでお貸しします」とある神社のそれはそれは美しい厄除けのお守りを貸してくれました。
何でもすごいご利益があったらしいのです。
生徒さんの気持ちが嬉しくお守りの美しさにも惹かれて何だか私にもご利益がありそう、と思い有り難く暫くお借りすることにしました。
ところが、しかし。。。ご利益ではなく大変な災いが起こったのです…
2階の自室から階段を降りている途中、なぜか思いっきり転倒し尾てい骨を強打(泣)
こんなに痛いことは生まれて初めてという程の激痛に見舞われてしまったのです。。。。
その日は稽古があるため病院には行けず、膝痛のために常に用意してある超強力な湿布を貼り応急措置をしましたが痛みは引きません。
そして立ち座りの度に激痛が走るので立ったままあるいは座ったままで何とかその日の稽古を乗り切りましたが今朝になってもまだかなり痛み、立ち座りの度に激痛が走り少しづつしか歩くことができません。
幸い今日は稽古が休みのため、病院に行こうと思ったのですが(尾てい骨骨折かもしれませんね)不運は重なるものでかかりつけの整形外科は木曜日は休診でした。この病院にはいろいろとお世話になっていて、痛いところがあるとすぐに注射を打って楽にしてくれ、長年の付き合いから私の身体を知り尽くしているため、腸に優しい鎮痛剤を出してくれるとても有り難い病院なのです…)。
明朝から稽古があり、週末夜までずっと続くため、このままにはしておけないことから他の病院を探す予定です。
この出来事から得たありがたい教訓:お守りは決して借りてはいけない。

ちなみにこの師匠は踊りの世界に入る前は大手商社で営業をしていた人でそれなりに教育を受けた人なのだが、、、はっきり言おう。簡単な話だ。
それはお守りのせいではない。単にあなたが不注意なだけだ。
なんでもかんでもお守りのせいにしたら神様もやってられないし可哀想だろう。
整形外科医は休み?こういうときこそ事前にスマホで調べてから行ったらどうだ。普段から美味しい料理の店や芸能人の情報は欠かさずスマホでチェックしているのになぜこの時はチェックしなかったんだ?
さらに驚くことにこの投稿に対するコメントが100件近くありどれもこれも心優しい思わず涙溢れそうになるコメントばかりなのだ。

>私も先日尾てい骨にヒビが入り1ヶ月悶絶しました、無理はなさらないでください。
(1ヶ月悶絶してないでなぜとっとと医者に行かなかったんだ?)

>おそらく、借りたお守りには念が入っているので好ましくないと思います。
ご快復をお祈りさせていただきます。

(これは怖い、夏の怪談話だ)

>お大事になさって下さい🤚💕
私も、同じ経験があり、お辛さ
よーく、わかります

(おまえもそうなのか?)

この投稿を一気に読んだ後急にやるせない気持ちになり、哀しみが襲ってきたのち過呼吸を発症した。オレにとってそれぐらいインパクトのある話だったんだ。
それから1週間ほどこの投稿が気になって気になって仕方がなかったオレは更新された投稿されたものを恐る恐る、いや興味深く、いや貪るように読んだ。

先の投稿の尾てい骨強打の件。
病院に行きレントゲンを撮ったところ骨に異常はないとのことで安心しました
(骨太のガッシリ体型が幸いしたのでしょうか)。
ただ、お医者さんによれば強打したことによる炎症(捻挫と同じ症状)で直ぐには痛みはなくならないとのこと、完治するまで1ヶ月くらいはかかるのではとのことです。
みなさま、ご心配頂き有り難うございました。

恐らく照れ隠しなのだろう骨太のガッシリ体型が、、、という部分以外はいたって普通の投稿だったのでオレは安心した。いや期待外れだったと言った方が正しいかもしれない。引き続きぶっとんだ内容が読めると勝手に期待してしまったのかもしれない。
この人と実際に会ってみるといたって普通で常識を兼ね添えた大人の女なのに文章にすると本性がでてしまうのか、素の性格が現れるのか。
そういえば以前100円ショップで紙の金魚を買ってきて毎朝「おはよう」と挨拶をしている、という投稿を見たことがあったがこの時もぶっ飛んだものだった。
あれからお付き合いを続けていたとしても遅かれ早かれ別れることになっただろう。
「わたし、なんだかついて行けそうにない」という別れのシーンにありがちなセリフをオレの方から告げることになっただろう。
お付き合いをすることにはならなかったがこの人の幸せを願わずにはいられない。
「心から幸運を祈る!」


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