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【短編小説】 歩道橋にて 過去の彼女に会いに行く旅

11月30日


もう12月になる。一年が経つのは早い、早すぎるんだ。
もう少し月日が経つスピードを緩めてくれないか、と偉大な存在なるものに心からお願いしたい。
そんなKの願いが聞き入れられたのかもしれないが、今日は暖かくてまるで小春日和のような天気でいつもより時の経つのがゆっくりのようだ。いや、むしろ時間が少し戻っているような感覚さえあるこんな日は理由もなくいいことが起こる様な気がする。

Kはいつもの通勤ルート、川沿いを駅に続く歩道橋を歩いていた。
この歩道橋を渡っては駅に向かう通勤客は少ない。ほとんどの人は歩道橋を渡らず直接駅に向かうからだ。
Kはゆっくりとこの歩道橋を歩くことを大事にしていた。どんなに急で大切な用事が控えていても「朝、歩道橋をゆっくり歩く」これを守っていた。一日の始まりの大切な宗教的な儀式のように。
特に今日の様に陽気がいい時、歩道橋の下を流れる川の景色を見るが好きだということもあるが、朝からせせこましく道路の幾何学模様を見ながら歩いて会社に向かういかにも「私はサラリーマンです!今日は寝坊してしまいました。ごめんなさい」的な振る舞いが嫌いだったんだ。

この陽気は多くの人の気持ちが前向きにする。先ほど歩いて来た公園の花壇の中でホームレスと思しき男が腕立て伏せをしていたのを見た。
「とても良いことだ。その習慣は続けたほうがいい。だが花壇は荒らさないようしてくれ。オレたちサラリーマンの税金で管理してるからな。そして健康的な生活に目覚めたのなら今日一日で終わりにしないで明日もまた次の日もずっと続けた方がいいかもしれない。そしてもう朝から缶チューハイを飲むのはやめたほうがいい。そうすれば君の人生はきっと良くなっていくよ。Good Luck!」Kは微笑みながら親指を立てた。

9月30日


ある日、枯れ葉も舞い落ちそうな、そう、イタリアのシャンソン歌手イヴ・モンタンの甘い歌声が聞こえてきそうな、それでいて穏やかな朝のこと歩道橋の手すりに頬杖をついて川を眺めている女がいた。
この風景はどこかで見たことがある。そうだ、いつか銀座の画廊で偶然見た絵画とそっくりの構図だった。その女もその絵に書かれていた女と同じだった。
こんな陽気のいい日には誰彼無しに挨拶を交わしたくなる。「おはようございます!」Kは柄にもなく声をかけた。どちらかというと人見知りするタイプのKが見ず知らずの人に挨拶をするなんて良い天気の時の自然の力とはすごいものだ。
この女は何も答えず、それでいて驚いた風でもなく川を見ていた。
まるで「あなたとの関係はもう終わったのよ」とでも言ってるようなそっけない表情だった。
「まあ、そうだよな。いきなり挨拶されても戸惑うよな」Kも特に気分を害することもなくそのまま駅に向かって歩いていった。

その夜、残業で遅くなったKは終電で駅に着いた。一日の仕事を終え興奮しきった頭と身体をクールダウンするように歩道橋を歩いていると、朝見かけた「あの女」が歩道橋の上から川を見ていた。
こんなに夜遅く誰かを待っているのかな、と思いながら横を通り過ぎた。
そして10mほど歩き、気になったので振り返ってみるとすでに女の姿はなかった。
「消えた」というフレーズが似合うほどに。
「何だか変だな」と思いながらも歩道橋のすぐ側には斎場があることにに気がついた。「深夜、斎場、突然消えた女、、、動画サイトでよくみる心霊スポットの様なずいぶんとよくできたシチュエーションじゃないか。ここなら心霊現象の一つや二つ起きても全くおかしくない。」
「ということはあの女はこの世のものじゃない、現生の人じゃないのかな?」
「まさか。。」と思いながらKは帰っていった。

あくる日もよく晴れた朝だった。あの女はまたそこにいて川をじっと見ていた。
奇妙なことだが昨日の朝と夜、そして今日の朝、女は全く同じ姿勢で川を見ている。肘を手すりに乗せている場所も同じだ。まるで人形の様だ。でも不気味な感じは伝わってこない。むしろ優しいオーラが流れて来そうな女だ。
そして服装も昨日も今日も同じブルーのワンピースで靴も白いパンプスだ。
「別に珍しいことじゃない。同じ色のお気に入りのワンピースを何着も持っているのかもしれないし」
Kは勝手にそう思い気にかけないことにした。「今日は大事なプレゼンがあるしな」

今日のプレゼンはハードだった。だがうまくいったようだ。同僚と酒を飲んで帰ってきたが、ここ数日資料作成に追われていて気が張っていたせいもあり少し飲み過ぎたようだ。今日も終電で帰ってきた。
改札を抜け歩道橋に差し掛かったとき、あの女は、いた。
いつもの場所でいつものポーズ、川面をじっと見ていた。
ここは海に近いとは言え船が通ることもなく特に変わったところもない普通の河川だ。高速道路が近くに走るので寂しい場所でもない。
女の横顔を見てみても思い詰めた表情をしているわけでもない。つまり良からぬ考えがあるわけでもなさそうだ。
酒も入って少し気が大きくなっているKは思い切って声をかけてみた。
「こんばんは。こんな夜遅く気分でもお悪いんですか?大丈夫ですか?」
警戒されないように努めて穏やかに話しかけてみた。
近くで改めて顔を見てみると特に変わったところのない普通の女だった。
だが女は視線をKに向けるわけでもない、返事を返すわけでもなかった。
「今さら何を言ってるのよ」とでも言いたげな表情なんだ。
つまり完全に無視しているわけでもなさそうで迷惑だとも思っていなさそうだ。
Kはそのまま歩いて考えてみた。
「そういえば瞬きもしていないな、いやそんなことはないだろう」
振り返ってみるともう女の姿は消えていた。
そして手すりには丁寧な手書き文字で「麗子」と書いてあった。

次の日は休日だったのでいつもより遅く起き近くの公園のテラスで朝食をとった。スマホでニュースを読んでいても読みかけの小説を読んでみても、音楽を聴いてもあの女のことが気になって仕方がない。だが不思議なことに顔は思い出せないのだ。
なんとなく整った顔立ちというぼんやりとした印象はあるのだが。
はっきりと思い出せるのはあの頬杖を着いて川を見ているポーズ、ブルーのワンピース、白いパンプス。
既に昼近かったがKは歩道橋に出かけてみることにした。「今日は休日だしな。いないだろう」
だが麗子はそこにいた。手すりに頬杖をつき川の方をじっと見ている。
いつもと同じブルーのワンピース、白いパンプスで、つまりいつもと同じスタイルを崩さずに。
今日もよく晴れていてうららかな、そう、初めて麗子を見かけた日のように暖かい小春日和のような日曜だった。
その時麗子の顔がゆっくりと動きKの方を微笑みながら見た。
初めて麗子の顔を正面から見ることができた。
まるで付き合ってから幸せな月日がほどよく経った女性のように落ち着いて幸せな笑顔だった。

その日からKは麗子に会うのが、(いや、話をするわけではないので見かけるだけなんだが)楽しみになった。
今日も会えるのかなと期待しながら階段を上り、いつもどおりそこに麗子がいるとそれだけで幸せだった。恥ずかしいことだが階段を上る時は胸が高まった。
こんな感覚は何年ぶりだろう。ずいぶん前、それこそ小学生の頃の初恋に似た感情だった。
やがて彼女を見かけることがKにとって生きがいと言えるほど大きなものになっていった。
言葉を交わすことはなかったがKが側を通り過ぎる時、麗子は必ず優しい微笑みを向けてくれるようになった。それは一瞬のことなんだが。そしてKも軽く会釈をした。言葉を交わさない交流、ずいぶんプラトニックな感情だがこの距離感はとても心地よい。無理にこの距離感を縮めることはない。
Kは歩道橋を渡り続けた。朝も夜も、休日もそしてまた次の日の朝、夜、、、また翌日の朝、夜。



8月30日


そんな幸せな日々が何日続いたことだろう。ある日幸せな日は突然終わった。
全く何の前触れもなく、急にだ。
いつもの様に歩道橋の階段を登った時、彼女はそこにいなかった。
不思議なことに手すりに書いてあった「麗子」の文字も消えていた。もちろん理由はわからない。初めて見かけた日からちょうど101日目のことだった。
101、この中途半端な数字が何を意味するのかわからない。とにかく麗子は忽然と姿を消した。
Kは朝、そして昼、夜と麗子の姿を探した。時には一日に何回も歩道橋に出かけてみたが麗子がそこにいることはなかった。だが彼女がKの元を完全に去ったという気にはどうしてもならなかった。近くにいるのは間違いないのだが姿だけが見えない、そんな不思議な感覚だったんだ。麗子はどこかにいるはずだ。歩道橋だけではなく近くの公園、海、など探して歩いたが結局見当たらなかった。
残念だったが、そんなことはよくある話だが失望感は感じなかった。なぜなら彼女の姿は見えなくてもすぐそばにいる、気配のようなものが感じられたんだ。
こんなことは信じられないかもしれない。だけど確かに麗子はすぐそばにいるんだ。気のせいでも何でもない。ただそう、思っているだけなのかもしれない。
だけどそれで充分じゃないか。

この日からなんとも説明のつかない不思議な現象が起きていることに気がついたんだ。ずいぶん前から起きてたのかもしれない。多分初めて歩道橋で麗子に会った時から。
少しづつ、少しづつだが自分を取り巻く世界が少しづつ少しづつ過去に向かっている。
注意しなければわからないほどゆっくりと、ゆっくりと。だが確実に。
これは不思議な感覚だがとにかくゆっくりとした変化なのでなかなか気づかない。
気づいた時にはずいぶん過去に戻ったな、という感覚なんだ。
いつか見た風景、いつか会った人。改めて過去の世界を見てみると当時(というフレーズが適切かどうかわからないが)わからなかったことが新たに理解できるんだ。
これか、これが誰かが言ってた「過去の記憶は常に新しい」ということなのか。

6月30日

枯れ葉も鮮やかな黄緑色に戻り息を吹き返していた。その生き返った枯れ葉を見ていたKは決心した。麗子を探すために旅に出ることにしたんだ。いや、既にもう旅に出ていた。ゆっくりと、だが確実に。
もちろん当てがあるわけじゃない。一体どこに行けばいいのか見当もつかない。
それでも必ず会えるという確信があった。
探しに行くというものとは少し違うな。もう既に会っている過去の麗子に会いに行くための旅だ。
「いや、あえて言うなら、そうだな、、、 今日のようにもうすぐ春になる暖かい小春日和のような、それでいて澄み切った空気の中に差し込む眩しい日差しの中ですでに会っていた麗子に会いたい、それだけだ」
「ところで、、、」いつの間にかゆっくりと色づき始めた紫陽花の葉と梅雨の季節特有の蒸し暑さの中で滴る汗を拭きながらKは言った。
「麗子って、、、麗子って一体誰なんだ?」



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