見出し画像

短編小説:我々は想像していた未来の世界に生きている。〜スマホとマスク〜

(1)
新型コロナウィルス感染症の世界的な大流行になり、日本でも最初の感染者が確認されてから3年ほど経ち我々の生活は大きく変わった。
通勤を控える企業が多くなり仕事はテレワークですることが多くなりわざわざ会社に行くやつはバカだとされた。
大勢で酒を飲んだり騒いだりすることもなくなった。
不要不急の外出を控えることが求められ、飲食店、電車、飛行機で移動する時、つまりどうしても人に会わなければならない時はマスクの着用が求められた。
だが人々は大きく変化したこの生活に慣れてきたようだ。以前では考えられなかったほどファッション性に優れたマスクで顔を隠すことができる匿名性を獲得した快感、心地良さに目覚めたのだ。マスクをすることは現代人にとってデフォルトになり、昔何かで見た目だけが大きい未来人、宇宙人の顔になった。ある日突然、劇的にそして一瞬で想像していた未来の世界を生きているのだ。
新型コロナによるパンデミックが落ち着いてきた今、政府は感染症法上の位置付けを今までの2類相当から5類に移行することを決定した。
それに伴いマスクの着用を必ずしも必要ではないなどと言い出し始めたが、そんな時代遅れのしかも上から言われた時代遅れの提言で人々がマスクを外すことはない。
やっと獲得した心地よい習慣をわざわざ外すことを強制されようものなら本当に暴動が起きるかもしれない。全く余計なお世話だ。
欧米ではマスクをつけていないが人が多数派だが、元々日本ほどマスクを着用する習慣はなくコロナ以前もマスクをして出歩く日本人に違和感を持っていた。
風邪、インフルエンザ、花粉症の予防のため日本人はマスクをつけることに違和感を抱くことはない。他人に迷惑をかけることを嫌うのも一つの要因だが、マスクという仮面をつけることによって別人格になれることを覚えた。
「怒り」「悲しみ」「恐れ」などの感情を隠すことができ、「こちら側」で個人的な世界を築くことができ、しかも壁穴から他人を眺める楽しみも味わえる。
「以心伝心」「空気を読む」ことに長けている日本人は、元々表情に乏しいと言われているし顔の半分を覆ったところでコミュニケーションに支障はない。
そんなことはどうでもいい。とにかく今我々は新しい世界に生きているんだ。

(2)
カフェは長蛇の列。誰もが一心不乱にスマホを見てる。
ようやくたどり着いたレジではスマホで精算し席についたら早速SNSをチェックだ。
スマホを見ながら食事をしコーヒーを飲む。恋人と会っても語らうことははほとんどない。
普段からモバイルメッセンジャーアプリケーションを使ってやりとりをしているから実際に会っても特に話すことなどないのだ。スマホを脇に置くときはsexをするときだけだ。
しばらくして彼らはスマホを見ながら店を出て行った。
まるで網代笠を被ったストイックな修行僧が俯いて街を歩く姿のようだった。

Kは電車に乗りマスク越しに乗客を観察した。
車両の中は30人ほどの乗客、ほとんどがスマホを見ている。
その人数を数えてみる。25人。スマホを使っていない数少ない連中は寝てるか、会話しているか。
次の駅で乗客が乗ってきたが、まず席に座り自分のテリトリーを確保した後、一瞬で自分の周りに強力なバリアを張り巡らせ自分だけの世界を構築する。誰も邪魔できないし許されない。
他人から話しかけられようものなら、不法に両分を犯された苛立ちで露骨に不快な表情を浮かべ、必要最小限の単語を二言、三言事務的に発する、または無視する。
強引にレイプしに近づいてきた男に対する軽蔑のような眼差しを向けるのだった。
スマホとヘッドセット、そしてマスク。現代人はこれらがなければ生きていけなくなった。
このシュール、ユーモラスな風景は1980年代にミニシアターで見た前衛的な実験映画のようだ。

電車はターミナル駅につき大勢の乗客が乗り込んできた。この駅は1日に約70万人の乗降客数が乗り降りする駅で平日の午後といえどもいきなり混み出した。
乗客は立っているものも運良く坐れたものも当然の儀式のようにスマホを取り出しバリアを放ち始めた。
Kの両側の肩にスマホの胴体が触れ、効きすぎた香水の香りを振りまいているキツネのような目をした男が電話アプリで何やら会話している。キツネ男にとってKの肩はちょっとしたテーブル代わりだ。強制的に聞かされる話の内容から取引先との会話だということがわかる。
「はい、その件につきましては充分承知しております!!」
「申し訳ありません。戻り次第すぐに対応させていただきます!!」
聞かされているKさえも取引先に申し訳なくなってきてしまった。
目のすぐ前にはスマホ背面に貼られたステッカーがある。Kはピンク色のキャラクターと突然顔を突き合わせることになった。車内は満員なので身体の向きを変えることもできない。
これらを防御することができないこの状況、地獄だ。
こんな目に合わなければならない唯一考えられる原因は、昨夜母親の誕生日にお祝いの電話を入れなかったことだろう。それしか考えられない。
Kは今地獄で重い罰を受けている。
この悪夢のクライマックスはもうすぐ終わるはずだ。必ず、、、そう思い込まなければ今日はKの命日になったはずだ。
我々が思い描いていた未来というのは今までよりもさらに強いストレスフルの世界だったんだろうか。
(続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?