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「上手いと思われる歌」の歌い方の話

お久しぶりです。ボイストレーナーの Yoshikiです。
かなり久々の投稿になります(笑)
今回はYouTubeで配信中の「Fラジ」の話から引用して、より深いところまで切り込んでいこうと思います。
(この記事に関連するInstagram投稿の一番下に!)

↓この記事の元ネタ



この記事はこんな人におすすめ!

  • 聴いている人から「歌が上手い」と思われるために必要な考え方を得られます。

  • 誰よりも歌が上手くなりたい人、歌で誰かを感動させてみたい人、歌を仕事にしたい人に参考にしていただけたらと思っています。

  • 「私は趣味で楽しむだけでいいと思ってるよ〜!」という方は「プロがどんなことを考えて歌っているのか」を覗き見する気持ちで読んでみてください!

「歌が上手いって何?」


「大定番なのに回答が難しい質問」の一つだったりします。
確かに疑問ですよね。
今でこそある程度答えが出せるようになったのですが、昔は僕もかなり悩みました。

歌に限らず芸術には、スポーツのような明確な採点基準がないと思われがちなものですから、「好みの問題」として片付けられることさえあります。

ところが実際には「ある」んです。基準が。
今回はその基準が何なのかの話をしていこうと思っています。

「歌が上手いとは?」の答え。

それではさっそく結論から。

歌が上手い」とは、
「ひとえに聴き手が上手いと感じるような歌を歌えていること」

です。

「え?!結局好みの問題じゃん!!」
と思ったかもしれませんが、そうではありません。
「聴き手によるもの」では不完全なんです。

疑問を感じる方も出てくるかもしれませんが、実はこのことを理解する上で「すごく良い例」があります。
しかも僕らのすごく身近にあるものです。

何かというと

「料理」なんですよね。

「料理がうまい人って言われてどんな人を思い浮かべますか?」

「料理がうまい人はどんな人?」と聞かれたら「料理人!」と答える方が多いのではないでしょうか。
(料理を歌に置き換えて質問しても「歌手!」ってなりそうですよね)

ところが
「職業の話を抜きにして、料理がうまい人ってどんな人?」
と聞かれたら即答が難しくなりませんか?

なぜなら歌と同じで料理は「上手い」の抽象度が高いんです。
具体的に説明にするのは難しいけれど、「ものすごく上手な料理」があることも、「あんまり上手じゃない料理」があることも僕らは知っていますよね。

ここで一度「料理がうまい」を具体化して箇条書きしてみましょう。

・ジャンルや状況に応じて技や器具を使いこなせる。
・食べる人に合わせてアレンジをすることができる。
・味のバランスや温度、見栄えなどに関して、より品質の高い料理を作ることができる。

きっと他にもたくさん出てくることでしょう。
これらは間違いなく上手さの「細々とした項目」なのですが、実は全てに共通点があります。
それらの細かい項目の全ては「ある一つの目的」のためにあるんです。

それは「食べる人が美味しいと感じる料理を作ること」です。
先ほど箇条書きした「上手さ」というのは、その一つの目的のために必要と考えられている項目でしかないんです。
何よりも「食べる人ファースト」で考えるものなんですよね。

例え何でもできる料理人がいても、作ったものが「まずい」と思われたら「(食べた人にとっては)料理が上手くはない人」となってしまうんです。
理不尽に聞こえるかもしれませんが、お客様の好みや要望、健康状態などに合わせて最大限の努力をしなければ「美味しい」は引き出せないんです。
(もちろん要望に無茶や不都合がある場合はその限りではありません!笑)

ですので、
「料理がうまい(と思ってもらえる)人とは、食べる人に美味しいと思われるように料理を作ることができる人」だと考えられるわけです。
これは歌でも同じ、
「歌が上手いと思われる人は、聴き手に上手いと思ってもらえるように歌える人」なんです。
誰にでも通じるような作品を作るもよし。相手に合わせてスタイルを変えるもよし。しかし、聴き手がいいと思わない歌が上手いはずはないのです。

「上手いと思ってもらえる理由」と「思ってもらえない理由」

料理と同様に、歌も少なからず「聴き手に合わせる」必要がありますが、
歌の場合は毎回一人一人に合わせたやり取りをすることができません。
なので100%聴き手の好みに合わせるのは不可能ですが、幾らか対処方法があります。

まず「合わせる方法」の例ですが、聴き手の性別や年齢層に合わせて選曲したり、会場や機材環境に合わせて演出を変えたり、イベントのテーマや空気感に応じてスタイルを使い分けたりするなどがあります。カラオケでも、一緒に行く相手に合わせて曲選びを変えたりしますよね。
これが上手くできていないと、どれだけ技術的に上手くてもスベります。
(それがダメというわけではありませんが、大抵の場合まず上手いとは思われません)

それから「合わせなくとも上手い」と思われる能力を磨くことです。
これが「基礎」とか「一般的な歌のうまさ」に該当する部分ですね。発声の自然さ、音程の正確さ、グルーヴ感の深さや声の抑揚などのことです。
これが欠けていると「そもそも伝わらない」んですよね。
例えば、言語の文法がめちゃくちゃだったり、発音が間違っていたら伝わらないでしょう? それどころか「できていないところ」が目立ちすぎて、届けたかったメッセージや感情が埋もれてしまうことすらあります。

そもそも歌唱技術というのは「聴き手により歌を楽しんでもらうための技術」のことです。聴き手に合わせる方法でも合わせない方法でも、「上手さ」は「聴き手のため」という目的に繋がっています。
そういう考え方ができる人の歌やパフォーマンスはいつだって最高です。紛れもなくプロフェッショナルでしょう。
逆に「どうだ!!上手いだろ!!」って感じの歌い方をされても感動がないのは、それが欠けているからなんですよね。

アーティストこそ、上手くなれ

ちょっとカッコつけた言い方ですが、
僕は「アートは非言語コミュニケーションの一つ」だと考えているので、歌うという動作のことを「自らのエゴをいかにして相手にとって苦なく純粋に伝えるかを競う競技」のように思っているのです。
同時に「伝えたいと思うような『何か』があるのなら、『伝えるための相応の努力』をしなければならないとも思っています。
工夫を怠ってしまったら何も伝わらないんです。

例えば、自分に好きな人がいたとします。
まだ良い関係性ができていない時に何の脈絡もなく一方的に「好きだ!」と耳元で叫んだとしたら? 即振られるのではないでしょうか。
逆にその相手と信頼し合えた時、少し火照った心に気づいたタイミングで、雰囲気のある場所で二人きり、緩急のあるやり取りで気持ちを揺さぶられたら…?
あとひと押しで伝わっちゃうかもしれないでしょう???
(例え方が乙女かよ。乙女座ですが。)

音楽でも同じです。「誰かとのコミュニケーション」だと思ってやらないとスベリます。
「曲を聴いた相手がどう受け取るのか」を考えて作品を作ると(または歌えると)独りよがりで歌っていた時と違う景色が見えるはずです。
あ、もちろん「ペルソナ(仮想の聴き手像)が自分」っていう場合もありますけどね!
その場合は自分の好み全開でもいいのかもしれません。

何のために上手くなりたいかを考えること。

「上手くなりたいのなら、上手くなろうとしないこと。」
「何のための上手さなのかを徹底的に考えること。」
僕が人に歌を教えるとき、たまに伝えていることです。

上手さや技術はそれ自体が目的ではなく、何かもっと大きな別の目的のための手段や選択肢の一つなのではないかと。(スポーツでも同じじゃないかな?)
だから「何のために上手くなりたいのか考えて、そのための練習をしましょう」って話すんです。

「努力を怠るな!」って言い回しは厳しくて嫌だなぁと思いますが…
「闇雲に上手く歌おうなんてしてはいけない」というのは間違い無いかなと思います。かえって下手に聞こえてしまうから…。笑

こんなところかな。
まぁ一つの考え方です!!!

もっと詳しい話や実用的な技についてはまた別の回で!
じゃあまた別の記事でお会いしましょう!!
ここまで読んでくださりありがとうございました!!
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