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選手やアスリートにとって、スポーツ推薦は問題の先延ばしに過ぎない

新型コロナウイルスの影響で、インターハイ等大会が中止になった。

それらの大会の位置づけを「高校生活の部活動の集大成」として取り組む人が大半である一方で、特にレベルが高くなり全国大会の上位になってくると、そのスポーツでの実績を生かしてスポーツ推薦で進学することが主な目的の人もいる。

このスポーツ推薦、協会やコーチ・監督・メディア・学校・企業などの外部からすればいいシステムである一方で、本人にとっては問題の先延ばしに直結する可能性が高い。感情的にはいろいろあることだろう。構造と仕組みを「心のスイッチを切って」考えたい。

スポーツ≒宝くじ型

仕事にも様々な業種があるが、存在自体が価値があるコンテンツ型のものと、業務プロセスに価値がある労働型のものがある。前者は、人気のものがさらに人気になり最終的に一極に集中する構造になっている。一言で言うと1位以外全員負けである。いわゆる宝くじと同等である。少ない枠からちょっとでも漏れると何も得られない。(またはごく少額)

スポーツ推薦やプロは、特に特定の競技に集中する方向にインセンティブが働きがちである。そうなると特定のスポーツしか取り組まなくなることは想像に難くない。

選手以外にとっては、「広告塔」

選手以外にとっては、コーチや監督メディア・企業や学校にとって、選手は自分たちの名をあげるためのコマに過ぎない。うまく行かなかったら?そんなの知ったことではない仕組みになっている。これは引退直後でも同様で、引退後には、今まで「スポーツを頑張れ!」と言っていた人たちは居なくなり、逆に「え?スポーツしかできないの?ヤバくない?」みたいな扱いを受けるようになる。

スポーツの「スキル」を生かす

では、アスリートの培った能力を生かすことを考えてみよう。こんな感じだろうか。

アスリートの鍛えた身体を使って働くこともできる。格闘技で鍛えた肉体を使って警備員のアルバイトが出来る。段ボールを運ぶ仕事もできる。

野球選手のバットを握るスキルを活かして、駅前のパチンコ屋の看板を握る仕事へ生かせる。

ラケットを振るスキルも、ティッシュを配る腕の動きなどに生かせる。

ボールをゴールへシュートするスキルも、ポリ袋を収集車へシュートして集める仕事へ生かせる。

弓で的を射るスキルや、剣で人を刺すスキルは、銃刀法違反で禁止されているので、直接的には使えない。しかしそれでも鍛えた身体の部分は生かすことが出来る。

長く走ること自体にも価値はある。脚力を生かして飛脚や、かご引きを行えばいい。毎回駅まで走ればバス代や電車代を浮かすこともできる。

見方を変えればどれも多くのスポーツ選手が望む「人前に出る仕事」ではある。

ただし、知っての通り肉体労働は低賃金になりがちである。そしてこれらの仕事はトップレベルの選手ほどの動きが無くても出来る仕事でもある。アスリートは引退後このような仕事を望んでいないはずだ。アスリートの「突破力」や「ストイックさを生かした仕事を!」と思い描いていることだろう。これには前提として高めの知能が必要になる。スポーツ推薦や実業団一辺倒であると、この能力を付ける機会を失っていることになる。


よってコンテンツとしてトップスター選手になり、解説者やコーチなどになる以外では、続ければ続けるほど、低賃金労働しかできない人物が出来上がっていく傾向になる。

30代フリーターから始まる

例えばずっとスポーツだけをやってきて、30代半ばで引退したとしよう。どうなるだろうか?具体的には30代フリーターと同じような状況になる。こちらの記事に詳しく書いてある。

負の側面は表には出てきづらい

表現の自由や、宣伝もあるので、どうしても良い側面ばかりが取り上げられ広められる傾向がある。スポーツと言えば派手。その後がヤバいという話はなかなか取り上げられないし、取り上げられる側も拒みがちだろう。

元から経済的な成功を目指さないスポーツ

一部プロスポーツは、宝くじと同様で、ごく一部に年俸が集中する。それ以外は悲惨な結果になりがちである。仕組みとしてそうなっている。あと一歩のところでも関係はない。この点も宝くじと同様である。

一方で、弊連盟のような「ベンチャースポーツ」では、カジュアルに楽しむ方向で取り組む側面が強い。実際に日本経済新聞に掲載された際には、純粋な楽しみを追求する側面が大きく取り上げられた。「余暇・ひまつぶし」こそが、スポーツそのものの語源である。


SNSでファンを集めて・・・

SNSでファンを集めて、競技生活の足しにする、というのは、最近流行っている様子である。しかしこれもスポーツ推薦の例と同様に「競技に集中する」という行為自体が、頭脳労働や他の分野に力を生かすことの問題の先延ばしになっている。競技以外のスキルを身に着ける必要がある。実業団やプロも、「競技に集中する」という側面が強いために、競技以外のスキルはつきにくくなる。強いて言えば実業団は最も「マシ」かもしれない。

納得感が重要

部活動で中高生・大学生の段階で引退後のキャリアのことが目に入ることはなかなかない。特に物心つく頃から競技生活を送っていたらそれ以外の選択肢が丸で目に入らない。

上記のような引退後になりかねないことを理解して納得感をもって取り組めば、引退してから30代フリーターからの崖っぷちのような人生になったとしても納得がいく可能性は高い。

しかしながら、「騙された」と感じてしまうのであれば本人にとっても周りの関係者にとっても忍びなくなってしまう。

社会の構造として、問題の先延ばしをすればするほど、軌道修正が難しくなるという構造が存在していることを、本人が確実に認識して納得して取り組んでいくことが、関係者全員にとって望ましいことなのではないか。

具体的には、スポーツだけを頑張っても、日本一以上にならない限り引退後も30代フリーターのような立ち位置になるという点である。これを十分承知の上、納得の上で取り組むことが本人を含める精神衛生上もっともよいはずである。是非よく考えて取り組んでいただければ幸いである。

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