去年面白かった事 今年の事 自分の将棋 セカイ

お久しぶりです
新年あけましておめでとうございます
ただ被災された方にはお悔やみ申し上げます

去年面白かった事

今期糸谷先生のNHK将棋講座ですね
デビュー当時イケイケなイメージだったんですが西遊棋での活動でドンドンやらわかいイメージになって 高校生の糸谷先生が世間一般的には藤井聡太先生より将棋人生を救って下さった恩師が講座を開いている今現在やってる神講座です
講座がまとまったら一冊買いたいけどと悩み中

多分世間一般的には噛み合わない棋風だったのですが当時私は飛車も損をするくらい序盤が下手だったのですが糸谷流右玉はとかく飛車を大事にしろの一言でパッと序盤が変わり
苦手だった四間飛車と中飛車の対策を同時に治すと言う当時では私にはとことん合った当時の棋風の戦法を指しておりました

私も年を取るにつれ 玉回りに疎い将棋になり
結果攻め棋風になっていきました
ある意味飛車の一枚金銀3枚得して駒を落とさなくなり 飛躍したと言う事です

多分世間一般的に自玉を見て避け上がって入玉する言うある意味右玉と言う戦法にマッチしてたのですね

ただ私には指導者がおらず独学で道場で指していました 特に勉強と言えば詰将棋 見えるまで見つめる 短手数で特に長いのは見ません
趣味だったのである意味色々な人と指しましたがこの所はパッタリ右玉は指さなくなりました

この間テレビを見ない自分が見て飛車は守り駒ですとか攻めは最大の防御だとか言っていましたが

多分対局感覚が噛み合わない人は噛み合わないだろうけど多分感覚って合う人ってめちゃくちゃ玉の周りの詰めを読まないと合わないんだろうなって
でも私大体は力戦形だったので山崎先生みたいな感じの将棋だし終盤型だったから村山先生みたいなという稀有な人間でした(大体大袈裟です失礼します)
あの頃に1番似てる将棋と言うのが高橋道雄先生のような将棋と言う天守閣美濃を使う変わった感じ まあ藤井システムがあるけどみんなはそこまで勉強はと言った所でした

穴熊と言うのを私はとても苦手と言うか感覚が噛み合わない 攻めが伸びない攻め下手でしたので
とても悲しいよく言えば早く攻める必要があって尚且つ薄い玉でも耐えると言う居飛車党でした
多分勉強してる部分が棒銀と右玉は我流なんでしょうか 単純な私は色々手はだすけどと言った所で

今年年始に地震がありました
思う所があり まず年始から激動と言うか厳しい時代だと思う所です

何故日本人が日本人を応援しないで日本が良くなるかと 私は最近日本人と言うのは過大評価だったと思います 与えられる機会を欲してる感が否めない 並んでサーブされるものを何も考えず受け それを当たり前と思ってる

よく考えてみて下さい 当たり前は当たり前ではなくて 親ガチャなんて言葉は出てこないはずです 正規の物を手に入れると言うチャンスすらない国は確かにあって世界的にクリーンな製品を得ると言う素晴らしい国はあまりなく ほぼライセンス生産して買ってるという稀有な国です

大体の事を多国籍で豊かな人種で生産して
ある意味仕事に対してクレイバーな面と
大体のチャンスと言うのを得て他国の人が帰ると言う あの国は凄かったとそれを真似して自分たちの国を良くしたいというモデルにもなったので
中々容認との狭間で苦しみながらも歯を食いしばり我慢して働いてくれた外国人もいたし自国の国でも昔はと言う今よりも劣悪な環境があったけどもよりいい生活とよりいい仕事とよりいい国に
故郷へと
GDP世界三位と言うのを貶める報道はありますけどそれは設計して社会機能を運用してるからです

でもこのままで真っ直ぐに進むと何かを点検したり新しい事に挑戦して過去の栄光といつか決別してでも貧しいながら上へと願うなら

ただ悲しい新年ですが私は優秀な人々が沢山いるこの国が何故埋没してるか?
違うのです 社会のレールを治して色々な工夫で改善して 維持してると言うのが素晴らしいと思うのです
でもそれ以上の期待を背負っているのです
まず有色人種で先行してテクノロジーやロジックを運用していたと言うのをあまり自慢はしないけども他国の人は気づいてて尚且つ良いところを輸入してきて改良したりしたから今があるのです

勉強して強くなった それは漢字を私たちは自然と覚え 会話は出来ずとも他国の言語を取り入れたと言うその歴史を捨てず 
明治に安易に英語フランス語に変えずに
漢字教育を残した意味がここ50年100年で顕れてきます
我々どこまで行ってもアジア人でモンゴロイドだとそれを知識人は確かに短期的にはいい意味でも悪い意味でも独自の主張をせねば欧米人には評価されずさらには自分たちの立場が危うくなると

でも私たちは島国で独自の文化や住宅の多様性
それに加えて自然があり食文化は取り入れた多国籍の独自であり ついバブルの頃コンピュータ文化はまず遊びから入れたと言う特筆すべき事実があります まず産業のコンピュータは作られてましたが 単に作る事、数を作り 後追いでも丹念に仕事をしそれの解析をしたりして後から日本の技術とかは、結果外国人の手も借りながら
まずこれは研究すべきだと数年のうちに理論やaiによる分析 再構築などの作業は行われるでしょう

懸念するのは天才的な作業と手の空く人員の職です より天文学的でより泥臭い職とむしろ自然回帰を求めるでしょう

その為のコストと犠牲は後の後退とよりシンプルな牧羊的な国の台頭だと先は考えてます
高度な事はバベルの塔とエジプトのピラミッドのようです そのような建築と言う文化は絶えず挑戦するでしょう ただ私たちの国では建築に感心が無くよりいい物と言うより新しいならいいと言う いい物では無いけど今は価値が出ないこれから出る物を壊していくと言うちょっとずつですけど文化財では無いけど物が無い国だったりなかなか厳しいなかで頑張る国もある中とは思いながら
今日はこれで

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