伝わりにくい’ニュース番組’のありかた

4月は番組改編等あって、普段から目覚まし時計がわりに使用している朝の’ニュース番組’もセットが新しくなったような気がする。これは時間帯や民放・国営放送にもいえることなのだが、最近の’ニュース番組’のセットがやけに ガチャガチャ ガチャガチャ してる気がする。人もモノも多く映りこむ。派手な色が同時にたくさん飛び込んできて疲れる。本気で見る気は毛頭ない。

いまの’ニュースバラエティー番組’にもう1つ危惧していることがある。深刻なニュースとなんでもない呑気なニュースの並び順がおかしい。1つことを掘り下げて伝えようとするのではなく、すべてのニュースの重みが均一化している。逆にどうでもいいことを深く掘り下げてるようなときもある。

以前、久米宏さんと池上彰さんがBSで対談しているのをみたことがある。そのときに、「伝えるための工夫」を久米宏さんが解説されていたのが印象的であった。ニュースステーション時代、原稿を読むときには必ず久米さんだけのワンショットで撮るように指示していたと。読んでる原稿を視聴者へ最大限伝えるためには、画面から提供する情報は極力絞りこむ必要があると。隣に座っている小宮悦子キャスターの姿がちらっと入るだけで、視聴者の集中力は久米さんが読む原稿から離れてしまうと。落ち着いて私たちが、ニュースを見れていた時代にはこんな心遣いがあった。

久米さんが目指したようなニュース番組は今はみるかげをひそめている。今日に至るまでに失ってしまったものは多いように思う。なんとなく、見ている、聞いているで『わかったつもり』の人を大量に生み出してはないだろうか。山本太郎参議院議員が国会でお焼香のパフォーマンスをして物議をかもしたが、私は、朝の’ニュースバラエティー番組’にお焼香をして出勤する。

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