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博論日誌①

6月某日
飲み会で博論の話題が出る。そういえばあと半年くらいで博論が完成しているはずだが、全く「博論」として論を書いていないことを思いだす。なんだが現実感がない。博士論文を書くというのは、つまりどういうことなのだ?

8月某日
博論に手をつけるべきなのだが、2本ほど批評文の依頼があるので先にそちらに取り組む。〆切が早いからである。〆切は絶対守るというのが僕の流儀なのだが、その流儀のせいで〆切が遠い博論が後回しになる。これってよくないんじゃないか、などと考えつつも、目の前の原稿にとにかく取り組む。いろいろヤバイかもだが、帰納的に考えるなら昨日まで大丈夫だったので今日も大丈夫なはずなのである。

8月某日
すべてを〆切に沿って管理しているので、〆切は絶対守るが〆切より早く原稿を出すこともしない。夏休みの宿題も最終日に完成するタイプだった(でも始業式に遅れたこともない)。自分がなにを考えたいか、ということについてじっくり考えることができたいい時間だった。文章の依頼主に感謝する。

9月某日
いよいよ博論の中身となる論文に取り組む。10月に雑誌の〆切があり、一ヶ月も余裕があると思って夏休みに買った任天堂Switchで遊ぶ。「Dead cells」。現実逃避しているように見えるかもしれないが、自分としてはyoutubeやニコニコでだらだらと動画を見るくらいなら積極的に楽しんだ方がいいとの判断である。実は1月あたりに「Ender Lilies」という同系統のゲームをプレイしていて、自分の好みを掴みつつあったところでもあった。メトロイドヴァニア大好き。ローグライク大好き。

9月某日
余裕をぶっこきすぎで論文を手直しする時間があまりない。でも悪くないこと書いてるよ。俺はそう思うね。

10月某日
ゼミのために博論「はじめに」を書く。この際なので、いままでなあなあにしていたいろんなことについて改めて調べる。読み逃していた文献も読み込む。でも、そんなに新しい発見はなかった。近代詩の研究は、本当に「これから」なのだ。

10月某日
「はじめに」もそんなに手直しする必要がなさそうなので、あとは第六章、終章、「おわりに」を書くだけである。なんかいけそうな気がしたのでゲームを買う。「Slay the Spire」。知っている人にとっては説明不要のデッキ構築型ローグライクゲームである。博論の合間にやるつもりだったが、最終的にこちらがメインになり2週間ほどでクリアする。でも論文もちゃんと書いてるよ。

10月某日
終章についてあれやこれやと考える。概観的なものにする予定だが、論文としての面白さを担保したい。しかし論としてちゃんと立てるなら、ある程度「狭く深く」が必要である。もちろん両者は共存できない。方針が定まらないとどの本を読むべきかということも定まらないのだが、とりあえずいろいろ気になっていたことを調べることにし、論がだいたいできている第六章から書き始める。

10月某日
第六章書き進む。ゼミで発表したときの自分の論の甘さがよく見える。同時にだんだん論文を書くのに慣れてきたので(ちょうど10本目くらい?)、どうすればいい感じになるかもつかめてくる。量がいずれ質に転化するというのが僕の信条であり、院生にはとにかく量を読むこと・書くことを勧めたい。


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