武久真士

日本近代詩を研究している大学院生です。noteでは、研究ツールについての考察、本の紹介…

武久真士

日本近代詩を研究している大学院生です。noteでは、研究ツールについての考察、本の紹介、教育についての記事などを書いています。 詳しい研究内容についてはこちら→https://researchmap.jp/take78

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自己紹介

◯プロフィール武久真士(たけひさ・まこと) 1995年生まれ、兵庫県在住 教員。主に日本の近代詩、特に1930年代の詩を研究しています。中原中也とか三好達治とか。『近代体操』同人。 noteは2020年、コロナウイルスがはやって外出できなかった時期に、とにかくなにか創作というか、アウトプットがしたくなって始めました。 詳しい研究内容についてはリサーチマップをどうぞ。 また、『近代体操』などに批評も書いています。ご依頼などあれば書きますので、お気軽に本記事下の連絡先まで

    • 文系研究者、本を運ぶ

      4月、新しい研究室に本を運び込みました。これはそのときの記録です。 4月から新任として高専に勤めることになったので、実家から本を研究室に搬入しました。それにあたってネットでやり方(業者とか、値段とか、段取りとか)を色々と調べたのですが、意外とあんまり出てこない。 結局僕は色々試行錯誤してなんとかしたのですが、今後似たようなことで悩む人が出てくるのではないかと思い、ブログに残しておくことにしました。ネットの最良の部分は、自分が悩んでることに対する先人の記録が見れることだと思

      • 古文漢文不要論と暴力装置としての教育

        こんにちは。日本の文学を専門に研究している者です。 毎年恒例、そろそろ季語になりそうな話題に古文漢文不要論争があります。受験の時期なので、学生時代のもろもろを思い出すひとが多いのでしょう。 古文と漢文の素養がなければ日本の文化についての理解が著しく阻害されますし、文章の質も急落しますし、将来的に古典籍を読みたくなった際のハードルがうなぎのぼりです。それは間違いのないことで、不要かと言われれば必要です。 そのうえで、義務教育だけでなく高校でも古文漢文を教え、なおかつ入試問

        • テキストマイニングで宇多田ヒカル『First Love』を読んでみる

          詩の読み方?詩を読むのはなかなか大変です。 文学部の学生でも、詩の読み方はあまり習いません。私は日本の近代詩を専門に研究していますが、「詩の読み方がよくわからなくて……」とよく聞かれます。近代詩の研究者は少ないのです。 詩の読み方については僕のほうが聞きたい……というのは韜晦ではなく本当なのですが、半人前でも研究者がそんなこと言っていては始まりません。未熟さを棚に上げる蛮勇が常に必要とされます。 ひとつ詩の読み方について言えるとすれば、単体で読むより詩集単位で読んだほ

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        記事

          博論読書会やります

          今年度の12月、「一九三〇年代の定型詩に関する研究―三好達治・中原中也・佐藤一英を中心に―」という博士論文を提出しました。 公開審査は終わったのですが、せっかく書いたのでもう少し博論について話したいなと思い、読書会をやることにしました。アカデミックなかたい感じというよりは、僕の博論をたたき台として自由におしゃべりするような、ゆるい雰囲気でやっていきたいと思っています。 博論のタイトルは博論なのでかたいですが、僕の関心としては詩の問題は現代のセカイ系やJpopの話と切り離せ

          博論読書会やります

          【小説】部費会議

          その日文芸部一同は、顧問の猪木先生から困ったニュースを知らされた。部費が来季から三分の一減らされることになったというのである。これでは部誌の印刷代がまかなえない。先生は今から部費の減額を取り下げてもらえないか頼みにいくという。しかし、今回の部費削減は学校自体の予算の縮小によるもので、嘆願が受け入れられる可能性は低いともいう。困ったことになった。 先生が去ったのち、一同は緊急の会議を開くことにした。来季からの部費のことについて、よく話し合っておかねばならぬ。そうしないと部誌が

          【小説】部費会議

          詩の授業ってどうするの:島崎藤村「小諸なる古城のほとり」

          国語の教科書にちょくちょく載っていて、1年に1回くらいは扱うことになる「詩」の教材。受験ではめったに出ない分野ですが、全くやらないという選択肢もとりにくい。 国語の先生とはいえ、多くの人が小説を読む訓練は受けていても詩を読む練習はあまりしたことがないのではないでしょうか。詩の授業、なにを教えたらいいか困りませんか?「詩はわからなくていい。言葉を味わうだけでいいのだ!」なんて割り切れませんよね。 私は中高の国語の先生ではありませんが、近代詩を専門として研究しており、人より多

          詩の授業ってどうするの:島崎藤村「小諸なる古城のほとり」

          ある対話(関西弁)――2023年に読んだ本

          ※昨年 A:2023年ももう終わってもうたやん。えらい早かったな B:年取ると時間の流れが早くなる言うのはほんまやと思うわ。2023年になじまんうちに2024年になってまう A:こう早く時間が経つと本もあんまり読まれへんな。今年はなんかええ本あった? B:そうやなあ……。今年忙しくていつもよりあんま本は読めてへんねんけど…… B:記憶の新しいやつからいくと、最近読んだ山内朋樹『庭のかたちが生まれるとき』はおもろかったな。タイトル通り、庭師の人についていって庭ができていく様

          ある対話(関西弁)――2023年に読んだ本

          歩くこと主義

          旅行の醍醐味といえば、歩くことだ。自分はできるだけ多く歩くことでその街のことを理解できるようになると妄信しているから、目的地までの距離が一駅か二駅くらいであれば歩くことにしている。もちろん移動ではなく歩くこと自体が目的のときは、もっと歩く。 実際、歩くことで見えてくるものは多い。たとえば、東京はそのごたごたしたイメージに反して歩行者には優しい街だ。道幅が広く、ルートも整備されている。人が多すぎるのが瑕だけど。 逆に京都は……だめだ。碁版上の街は地理を把握するのにはいいけれ

          歩くこと主義

          博論日誌②

          10月某日 論文の修正を行う。まだちょっと密度が低い気がするので、作品分析を加える。余計なところを削って作品の話をしたほうが、論文としていい感じになる……たぶん。まあ、地に足着いた話にはなる。 10月某日 非常勤用の授業資料作る。できれば博論に集中したいが、人は論のみに生きるにあらず、パンとワインも必要だ。パワポも作り慣れてきて、昔と比べるとだいぶ見栄えよくなる。デザインのセンスはないので、あんまりおしゃれなパワポにはならない。でもこういうこと言うとよくないけど、大学の先生

          博論日誌②

          博論日誌①

          6月某日 飲み会で博論の話題が出る。そういえばあと半年くらいで博論が完成しているはずだが、全く「博論」として論を書いていないことを思いだす。なんだが現実感がない。博士論文を書くというのは、つまりどういうことなのだ? 8月某日 博論に手をつけるべきなのだが、2本ほど批評文の依頼があるので先にそちらに取り組む。〆切が早いからである。〆切は絶対守るというのが僕の流儀なのだが、その流儀のせいで〆切が遠い博論が後回しになる。これってよくないんじゃないか、などと考えつつも、目の前の原稿

          博論日誌①

          人文書院さま企画「じんぶんのしんじん」寄稿のお知らせ

          人文書院さまがnoteで行っている批評家紹介企画、「じんぶんのしんじん」で、保田与重郎の回を担当しました。 twitterなどではすでに告知していたのですが、僕の場合noteの読者とtwitterの読者があんまり重なっていないので、こちらでも宣伝しておきます。 戦前戦中に特に影響力をもった保田与重郎という批評家を軸に、詩的な(ざっくり言えば、「エモい」)言語表現が立ち上げる集団性をどのように考えるかということについて論じています。 興味があればぜひー。

          人文書院さま企画「じんぶんのしんじん」寄稿のお知らせ

          天才の文豪と秀才の文豪

          風呂に入っているときやトイレをしているときに時々、「文豪のなかで誰が天才で誰が秀才だろう」と考えることがある。もちろん意味はないし生産性も皆無である。でもちょっと楽しい。 文豪はみな大なり小なり天才だと言ってしまえば話が終わってつまらないから、ここで言う天才とはあんまり勉強とかしてなさそうだけどすごい作品を書くやつ、みたいな感じで考えることにしよう。 たとえば、秀才型の典型は芥川龍之介や森鴎外だ。彼らはあきらかに、知識を取り入れそれを血肉とし、自分なりの方法論を作った上で

          天才の文豪と秀才の文豪

          【小説】冷蔵庫トリッパー

          ある日の夕暮れのことである。 私が川沿いを歩いていると、何人かのウーパールーパーがなにかガタガタと作業をしていた。この時間帯に連中が飛行訓練をしていないのは珍しい。訓練のやりすぎで罰則でも受けたかな、などと思って見つめていたら、話しかけられた。 「こんにちは。今日も暑いですな」 「飛行訓練はいいのですか」 「いいのです。このような暑い日に訓練を行うと、我々の皮膚では太陽の熱に耐えきれんのです。ですから最近は比較的涼しい川沿いで、冷蔵庫の解体にいそしんでいるのです」 「なる

          【小説】冷蔵庫トリッパー

          「抽象絵画の覚醒と展開」展(@アーディゾンミュージアム)と筆触の歴史

          この展覧会の魅力は、その展示内容の豊富さにある。開館準備段階から抽象絵画の収集に力を入れてきたというアーティゾンミュージアムのコレクションは、ピカソやブラック、クレー、ボロックなど実に豪勢だ。それで学生は入場無料だというのだから、太っ腹な美術館である。 展覧会はセザンヌを初めとする印象派の時代から、抽象絵画の歴史を辿っていく。それまでのリアリズムとは異なる課題に画家たちが取り組む。主体がとらえた現象としての風景をいかにキャンバスに写すか、セザンヌやモネ、ゴッホの絵画は、後

          「抽象絵画の覚醒と展開」展(@アーディゾンミュージアム)と筆触の歴史

          「分断を煽るな」?

          私達は分断の中で生きています。というより、人は「分かれる」こと無しに生きられるでしょうか。大なり小なり、分断はそこにあるのです。 「分断を煽るな」というクリシェがあります。たとえばAというグループとBというグループの利害が対立していて、資金や資源の配分が問題となったとき、実はその両者に対立があるのではなくそもそものリソース不足が原因なのだと、視点をずらす考え方です。資金が100万円しかないから奪い合いが発生するのであって、ここに200万円あれば全員に必要なだけ行き渡るだろう

          「分断を煽るな」?