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すべからく前向きに生きるべし

嫌われる


最近noteで言いたいことが言えるようになってきたことが嬉しい。


今まで、言いたいことを言わなかったわけではないんだけど、「これを書いたらこう思われるかな」と思って書くのをやめたり、投稿しても気になって書き直したりした。


読んだ人から非難されたくないとか、嫌われたくないとか、そういう気持ちがあったんだと思う。


今は読んだ人の好きなようにして欲しいと思っている。
嫌いになって、フォローを外して、私の記事なんて二度と読まない、と鼻息を荒くしてくれてもいい。思いっきりクレームを書いて問い合わせから送ってくれていい。


好きになってくれてもいい。私の文章を毎日読んでくれても、コメントをくれても、ラブコールをくれても全然いい。


非難がいや、ということは、同時に好かれるのもいや、みたいな感じがある気がする。嫌われるのもいや、好かれるのも面倒、みたいな。心を開かないと、とは思ってきたけどなかなか難しかった。それが今、いとも簡単にできるようになった。


どんな風に思ってくれてもいい。
もともと私は、全然出来た人間じゃないし、今みたいに慕ってくれる人がいることの方がむしろ信じられないくらいの話なんだから。


一人暮らし

先日、唐揚げの話を記事にしたんだけど、した途端また食べたくなった。理由を作るために、弟に「唐揚げ丼とか食べたい?」と聞き、夫に「唐揚げ丼とかどう?」と聞き、えー食べたいな、それ。をいただいた。それがないとエンジンがかからない。


私は人に作るのは好きで、自分に作ることはあまりしない。というかほとんどしないんだってことがわかったのは一人暮らしをしていた時だ。私の人生には一人暮らしの歴史はほんの数年しかない。


大学時代は女子寮にいたり、シェアしたりしていたし、海外でも人の家に住まわせてもらったり、元彼と住んだりしたから。


婚約者と結婚する話がダメになって半ば自暴自棄に「一人になってやる!」と住んでいた数年間。あれだけだ。


その間、本当にものを食べなかった。作らなかったし、そもそも買わなかった。スーパーに行っても食べたいと思うものがないし。料理もしたいと思わない。何かを作りたい、と思いつかない。


たまに、ケンタッキーが食べたくなって、出かけていくが、骨だけになる前に食べるのをやめていた。今考えれば、なんと勿体無い!(今は骨をしゃぶるように食べているというのに)


おはよう


また1日が始まる。それが嫌で仕方なかった時期があった。
人生がずっと続くと思っていた時だ。
続くとは限らない。いつ終わっても、いつ終わらせても別に採算がとれるような内容だ。


それなのに、どうしてこんなに未練があるんだろう。
今朝は起きてみると、とてもいい気分がした。また何かが始まるような。最近そんな気持ちになることが多い。


だから、嫌で仕方なかった時期のように、起きて布団でため息をつくなんてそんな暇はない。いまはひたすらに階段を駆け下りて、洗面台に突撃している。


合間


料理の合間に小説を書いていた作家がいたそうだ。
誰かというのは知らないけれど、海外の作家のようで、イギリスだったかフランスだったか。


母親で、家事や育児で暇がなく、その合間にちょこちょこと書いては本を出版していたらしい。好きなこと前に忙しいことなんて理由にならないのだなあ、と思うとなんだか素晴らしい気がした。


太陽


布団を干すと太陽の匂いになる。太陽の匂いを近くでも遠くでも嗅いだことがないのに、みんな「太陽のにおい」を知っているのはどうしてだろう。



自分の中にいろいろなものが共存していて本当に困っている。
昔、そういう呪いのかけ方があったのだそうだ。呪術の一種である。


箱の中に色々な種類の動物を一匹ずつ入れる。すると空腹とストレスのために、お互いが共食いをはじめる。食われるものは、怨みを身体に残し毒を発生させる。食ったものは生き延びるが、その毒で苦しむ。


最後の一匹は孤独に一人生き残る。

みんなの残した毒を背負って生きることになる。


というもの。


ここで出てくる質問は「じゃあ誰がその箱を用意したの?」ということだ。
偉そうに動物を連れてきて、箱の中に詰め込んだ者。


それを神様だ、といえば突然胡散臭くなるし、私だ、といえば正直すぎることになる。


でも多分、私だ。


私の中には、色々なものが生きていて、いまもお互いに捕食を繰り返している。数が減ればいいと思うが、減れば減るほど毒が増える。


森に散歩へ行ってか細い植物をそっと摘み取りたい、なんていう日もあれば叫んで頭を窓ガラスに叩きつけたい時もある。
全身を脱毛してみたいときがあれば、そんなちゃちな遊びみたいなのはクソだ、と思うときもある。


男がよく見えるときがあれば、女でよかった、と思う時もある。過去が嫌になり、未来が霞んで見える。過去を神々しく思い、未来に過度に期待する。


万華鏡みたいに変わる自分を受け入れないといけない。こんな自分が、自分だと。こういう風に生まれてきた。


だから、変えるよりもそのまま生きていくことを学ばないといけない。いまは描くことも書くことも、それがテーマだ。


自分を受け入れるのは至難の業だ。自分は、こうなんだ、と思ってしまうのは難しいし辛い。顔も、スタイルも、肌の色も髪質も体質も、得意も不得意も何もかもそう。


全部ひっくるめて、これでよし、となる時が来るならば、その先にはどんな時間が待っているのだろう。でもそんなのはしばらくさきだ。だからそれまでは、すべからく前向きに生きるべきだ。


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