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丸い目のワッペイさん

立松和平さんという方がいた。

80年代、TV朝日『ニュースステーション』でレポートしていた姿を覚えてらっしゃる方も多いと思う。文学賞をいくつも受賞している作家であり活動家でもあられた。

周囲の人はみな「ワッペイ」とか「ワッペイさん」と呼んでいたのを覚えている。

友達でも仲間でもないのにそう呼ぶのは本来なら失礼でNGかもだが「立松さん」より断然「ワッペイさん」という響きの方がお似合いだったので勝手にそう呼ばせてもらっていた。ここでも引き続きお許しをば。

私がひょんなことから舞踏の大駱駝艦の制作を手伝ってた80年代後半、麿さんと親交の深かったワッペイさんを何度かお見かけした。

盛り上がる打ち上げ会場ではたいてい静かに微笑みながら座ってらした。クリっとしたまん丸い目を少しだけ細めて。そんな印象だった。

最後に拝見したのは2007年かな都内ミニシアター。『裸の夏』(岡部憲治監督、2007年、テレコムスタッフ制作)という大駱駝艦夏合宿ドキュメンタリー映画が公開されたとき。

上映後、日替わりでトークショーイベントがありその日は、ワッペイさんがゲストだった。

岡部監督と麿さんの御三方。

当時、小3くらいだった娘と一緒に映画を観てそのままトークショーも拝聴。娘は珍しく静かに話を聞いていた。真剣な眼差しだ。

ほお。じっと座ってこんなトークも聞いてられるようになったんだ、成長したな我が子よ〜なんて思っていたら、唐突に脇腹をつつかれる。

舞台ではワッペイさんが滔々と思い出話を語っている。

「ママっこの人ってさ、日本人なの? ナニ言ってるのかよく分からないよー」

いちおう周囲に気を使ったのかヒソヒソ声ではあったが顔は少し怒っていた。(なんでやっ笑)

どうやらおとなしかったのは、ワッペイさんの話す言葉が日本語なのか、はたまた日本語とよく似た自分の知らない外国語なのかを彼女なりに必死で考えていたらしい。娘にとっては初めての方言体験だ。(大阪弁以外の)

加えてワッペイさんはこの日、仲良し麿さんとの昔話で大いに盛り上がり

妥協無き東北弁(この記事書いてる瞬間まで東北弁と思ってましたが違いました)で飛ばしまくり、笑、大人の私でもハテ今の言葉はなんだったかと面食らう瞬間もあった。

「シッ日本人だよ、あとで説明するから」

と、私は初方言に接した小学生に言った。

ふーんそうなの?

めっちゃ疑いの目(疑うな)でワッペイさんを睨んでいたが(睨むな)そのうちポシェットからお菓子とお気に入り『お洒落魔女ラブandベリー』のカードを出して、膝の上でひとり遊びを始めた。

その日からたった3年ほど60代になったばかりのワッペイさんは天国へ旅立たれた。

ふと思い出話を書きながら
ん、そういえば東北のどちら出身だったのかと調べたら

あややー💦栃木県てか

えーっそうだったのですかーっすみません!
再度ググり直し様々な記事を読む。

ヘェふむふむ。

と、なかに

『栃木弁は東北弁だとカテゴライズする学者も多い』という記事を発見。


ですよね、ですよねー。

「意義なーーーしっ!!」🙋

終わり

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