明日にでも死んでしまう僕らは

人はいつか死ぬ。
それは明日かもしれない。
明日死んでも悔いはないかと聞かれたら、上手く答えられない自分がいる。
悔いはある、けどそのために生きるよりも死んでしまう方が楽なんじゃないかと思ってしまうのだ。

明日死んだとしても多分「そっか」で終わる。
そう思えてしまうのは自分の為に生きてる気がしないから。
意識的にも無意識的にも自分の幸せを願えない自分がいるから。
何をしても満たされないならいっそ死んでしまった方が楽だと思っている自分がいるから。
他人と比べて明らかに劣っている下位互換の自分は消え去るべきだと思っているから。
誰かの生み出したものばかり享受して、何も生み出せない自分に嫌気が差しているから。
自分のために生きられないなら、死んでるのと同じだと思っているから。

けどそれでも生き延び続けている自分がいるのは何故だろうか。
月曜の朝の電車を数時間使用不能にする彼等との決定的な違いはなんなのだろうか。
今すぐにでも死ねるくらい毎日気分が落ち込んでいるのに、それでも明日を迎えてしまうのは何故なのか。
きっとそこにこそ生きたい理由があるんじゃ無いか、そう考えている自分がいる。
でもその生きたい理由って奴も、新曲だとか映画公開日だとかライブがあるからとか、結局は誰かの為の感情なんだと思う。
自分の為じゃない。

自分の為に生きてないのに、自分の人生を消費するのは一体なぜなんだろう。

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