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*【#人生】「死ぬこと以外はかすり傷」

… 人生で真剣に問うべき唯一の問題は生と死をめぐる問題だ。

ローマ帝国は、民衆統治の要に「パンとサーカス」を置いた。

「パンとサーカス」とは、民衆を消費と娯楽に釘付けにしておけば、失政に対する非難のエネルギーを政権以外に向けられるということで、これは現在の自公政権と同じである。

それでは、「パンとサーカス」とは何か?

それは、生と死の間に置かれたついたてであり、不安や恐怖を掻き立てる不可避の死から目を背けるための一時的な逃避所である。

作家の永井荷風は「#元来日本人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり」(『断腸亭日乗』)と指摘したが、これは、日本社会の人間的成熟を目指さない自己愛過剰の幼児キャラをよく示している。

仏教では、人生について「病老死苦」と言う。

人間は、必ず老い、やがて病を得て死ぬ苦しみから誰も逃れることはできないということである。

「パンとサーカス」、つまり娯楽と消費は、どうでも良いということではないが、それが一定限度を超えると人間を破滅させる。

◆「空の空、すべては空」

古来賢者たちは、不可避の死を踏まえて、人間がどう生きるべきか考察して来た。

『論語』には、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とある。朝に人としての大切な道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも心残りはないという。

またスピノザは、『知性改善論』の冒頭で、「もしわたしがそれを見つけて獲得したら、その先ずっと、永遠にわたる最高の喜びを味わえるような、そういう何かが存在しないものだろうか。これを一つ探求してやろうと決めたのである」と続く。

深い思考は、必ず生と死をめぐる考察から始まり、人生の羅針盤を見出そうとする。

聖書の伝道の書には、こうある。

「なんでもわたしの目の好むものは遠慮せず、わたしの心の喜ぶものは拒まなかった。わたしの心がわたしのすべての労苦によって、快楽を得たからである。そしてこれはわたしのすべての労苦によって得た報いであった。 そこで、#わたしはわが手のなしたすべての事およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、#見よ皆空であって風を捕えるようなものであった」

考察に値する思考は、必ず生と死をめぐる考察から始まり、死の逆光に耐える人生の羅針盤を見出そうとする。

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