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*「#家族の肖像」

... 父方の祖父の松浦善之丞の出征時の写真。

日露戦争の最末期に補充兵として徴兵され満州に派遣された。

八人姉弟の唯一の男子だったので、「戦死すれば家が断絶してしまう」と曾祖父の良太郎は嘆き、身重の祖母といっしょに、宇和島から八幡浜の港まで見送りに行った。

祖父は、そこから船で大本営のあった広島に向かい、朝鮮に渡り、鴨緑江を越えて満州に入った。

陸海軍とも日本軍が優勢だったが、講和に持ち込むためには、満州における最終的な勝利が必要と考えられていた。

国民には知らされていなかったが、日本は戦費を使い尽くし、兵士も砲弾も足りなかった。

◆「コサックはサーカスぞ」

祖父は、最終決戦のために、ロシア軍のコサック部隊と対峙していた。

曲乗りしながら銃を撃つコサック兵を「ありゃサーカスぞ」と祖父は言っていた。

初歩的な訓練を受けただけの祖父のような新兵にとても勝てる相手ではないと思い、満州の土になる覚悟を決めた。

しかし、水面下で外交戦を繰り広げていた日本政府は、米国の仲介を取り付けた。

コサック兵と対峙していた祖父の部隊に、伝令が「戦闘停止、戦闘停止!」と駆け込んで来た。

日露間の講和の予備会談が始まったのである。

こうして祖父は、また来た道を何日もかけて戻り、故郷の宇和島に帰郷した。

その後、祖父は村会議員になり、村のまとめ役となった。

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