明日は明日の風が吹くけど、今日は今日で風が吹いてんだ。

「明日は明日の風が吹く」


良い言葉だと思う。

眼前の事象に囚われ過ぎることなく、未来への希望を携え、前向きに生きていこう。全てを自分の思い通りにすることなんてできない、どこかで諦めることも大事だ。だけど、貴方にとって悪いことばかりが起きる訳ではないよ、良いこともあるさ。

そんな、希望と諦念と少々の楽観が込められたメッセージを感じる。

けど、昔からこの言葉に対して「今日のこの風はどうすんねん!!!」と思い続けてきた。如何に明日が良くなろうとも、今日の私は今日の風を浴びている訳で。そして、今の私は今日に生きている訳で。

「明日の俺は救われるかもしれんが、今日の俺は捨て石なのか」

と、どうして思ってしまう。

明日は明日の風が吹く。

この言葉が励ましの言葉であるためには、今日の私と明日の私の連続性が成立していなければならない。今日の私と明日の私は同一である必要がある。時間や人格の連続性を証明しなければならない。しかし、現代の科学ではそれを証明することはできない認識だ。例え、世界中の人間がそう考えていたとしても。

であるならば、この言葉に際して、今日の私はやはり捨て石として使い捨てられている可能性がある。

そんなのは嫌だ。今日の私も立派な私だ。私はすべての私に幸せになってもらいたい。私には私を幸せにする義務があるのだ。

でも、現実は時に非情で常に重厚だ。容易に変えることなんてできやしない。私には今日の私の悩みや辛さの元を解決することなんてできない。

だから、私は今日の私にはこの言葉を送る。

「明日やればいいじゃん。」

明日の私に全部押し付けちゃえ。

おわり。

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ちょっと精神的にまいってきたので、自分で自分を救うために書いてみた。自分のための文章だなんて、初めてだからむず痒い。

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