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「報恩講」ほうおんこう

 檀家であるので、招待された両親の、あまり長くは公共の場に体調のためいられない父の代わりに同席をさせて頂いた。精進料理を頂く。特別に美味しかったのは「手をかけた味噌」の汁。酸味と甘味があり、じんわりとくる。いかに普段「添加物」に騙されているか、改めて思う。できるだけ自分で料理をするようにしていて、朝の食事と、昼のお弁当つくりに時間をかけたいので、早起きは苦ではなく、むしろ、一番大切にしているひとときなのです。

 さあ、京都からお出でになったお坊さんのお話です。親鸞聖人の説法はまぁまぁ御存知やしええんです、と前置きされ、ご自身がやっておられる " 虐待と発達障害 " を救う学園の生徒さんについて声をつまらせて涙を流し語られました。

「わたしや職員が卒業式を目前に、ずーっとこの子だけはあかんなぁ、卒業させてええんやろうか、と思っていた子がいました。時には癇癪で壁を蹴破り、ほかの子ぉにもそれは酷いことばかりでした。当日、その子はこう言ったんです。【ぼくは、ずっと自己嫌悪に陥っていたんです。ずーっとです。自分に反発してなんにでも正直にもなれませんでした。悪いことしたり、言ってるんはわかってました。悩んだままでした。ごめんなさい】それを聞いたときにわたしは、ああ!何でその気持ちを知ろうとしなかったんやろうか、卒業の日にそう言ったあの子にわたしも職員も声をだして泣きました。ひとは深いところに落ちてもがく自分とだれでも葛藤するんです。そしてそれに必ず気づくんです。せやけど、それを思ってさきに言葉がかけられたらえぇんやと、思います。」

 久しぶりにあたたかな日。妹の同級生の長女が、昨年亡くなられたお母さまのかわりに、京都からかけつけ、懸命に支度に走っていました。笑顔でひとりひとりに声をかけて。宝石も香水も、ハイヒールも高級な服も誰も身につけていません。わたしはゆっくりと深呼吸をし、「豊かさ」を考えました。連休中にここ長野の実家にもどり、得たしあわせの一つです。有り難うございました。




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