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東尋坊にて

 マスコミは、こう書く「北に対応する警視庁外事二課は、百七十名。貧層な体勢だ」。

 本間は鼻で笑う「どこの国の諜報機関が、最も重大である鉄砲玉の数を馬鹿ヅラ下げて言うのか」と。

 マスコミは、こう書く「沈黙の外二」と。

 本間は鼻で笑う「成果を公開する諜報機関など、愚の骨頂」「逮捕などという無能な行為は、刑事にさせておけばいい。諜報員はマル対をSに仕立て、買収し、弱味を握り、女を抱かせ、骨の髄まで利用し、最後は美しく殺す」。

 本間は東尋坊の岸壁で、一人の土台人と向き合っていた。

「お前の家族は、健康だ」

 本間がそう告げると、土台人は息を吐いた。安心の吐息。土台人や在日コリアンは、祖国で家族を人質にとられている。本国からの命令が無理難題であっても、従うしかない。その圧を嫌悪し、日本に寝返る者もいる。

 しかし。本間達ZEROに言わせれば、工作を仕掛けてもいないのに、Sになる奴は使えない。頭と心が弱いせいで裏切った者は必ず、「裏切り」を繰り返す。要は「使えない」。

 本間の目の前にいる土台人は、「文革」が起動した「マヤ」によって見つけた本物の内部破壊員である「スリーパー」だ。日本の社会に溶け込み、将軍の命令が出た途端、破壊を始める。ウィルスと同等、いやそれ以上に質が悪い。ウィルスは予防ワクチンが見つかるが、スリーパーへの予防策などない。四方を海に囲まれた日本で、水路で侵入してくる諜報員を防ぐことは不可能だ。海上保安庁が愚かだと言っているのではない。「できないモノはできない」、ただ、それだけの話。真実。

「糸使いの女が浸透した。この女について知っていることを、全て吐け」

 本間の問いに、土台人の顔色が真っ青になる。東尋坊の彼方に広がる荒波の日本海より、深い青。挙動不審な土台人を見て、本間は確信する「これは本物だ」「このマターは、世界規模であり、極東の島国を沈没させる」と。

「『作戦名・アンナ』について知っていることも、全て吐け」

 本間が言うなり、土台人は懐にしのばせた拳銃・コルトを抜いた。本間を撃つためではない。自害のためだ。だが土台人が自分の側頭部を撃ち抜いて頭蓋を飛散するより早く、本間はナイフで土台人の頬を刺していた。

「ウギャウッ!?」

 土台人の口から、動物的な発声。合衆国海兵隊でも陸自のレンジャー課程でも、兵士はこう教わる「顔のどこでもいいから、刺せ。顔面を刺されて正気を保てる人間など、いない」と。

 本間は土台人の顔に浅く刺したナイフを、九十度捻じった。また土台人は「アギャッ!?」。ナイフは頬骨を刺したが、発語に問題はない。何よりナイフは抜かなければ、出血多量で死亡することもない。

「日本の刑事よ。私の顔にナイフを刺したな? この会話が終わればお前は、幽鬼のように消えるだろう。けれど、考えてほしい。残された私には、二つの選択肢しかない。一つはナイフを抜いて、出血多量で死ぬ道。もう一つは……」

「お前の命だ。その灯を消すかかどうか、自分で決めろ」

「生きるために私は、ナイフが刺さったままの顔で生きなければならない」

「その不細工面にナイフが刺さっていようと、誰も気に止めない。お前が思うほど、周囲の人間は、お前を見ていない。それも分からない奴等が、整形に走りやがる」

 土台人は青を通り越して白い顔色で、空を見上げた。残酷なことに、雲一つない青空。晴天の下、彼は決断を迫られる。生か死か。

 やがて土台人は顔を本間に向けると、ブツブツと喋り始めた。その目は本間を見ていない。虚空の彼方。その視線の先にあるのは、近くて遠い祖国なのか、差し迫った死なのか。

「アインシュタインが愚かだったのだ! あのモラルハザードは帝国主義を肥えさせるため、原子爆弾を!」「弁証法に反するなど、目を覆いたくなる惨事だ!」「超越した思想であっても、引力には敵わない!」

「黙れ!」

 本間は土台人を一喝した。

「中国のことを聞いているんじゃない。お前の祖国について、お前は話せ。マルクス主義と科学実験の相互関係など、耳にタコもイカもできた!」

「しかし!」

 なおも土台人は、本間に食い下がる。

「世界の宗教は、人民を直ちに衆愚に貶める!」

 本間は溜め息を吐きながら、ありきたりな返答を始める。

「危険思想に対して、言葉は無力だ。おい、これは文化闘争であり武力闘争だ。ただし我々人類は、次の二点を忘れてはならない」

 本間はホルスターの消音機付きベレッタをいつでも引き抜ける体勢で、マルボロをくわえ、ジッポで火を点ける。

「文章を書くことなしに、思索を進めることなどできない」
「言葉の限界は、英知の限界である」

 本間の二つの言葉――真理を聞き、土台人は鼻水と涙を流し、オイオイと声をあげながら、うずくまった。

「あの少女は大人しく、招待所で春を謳歌していれば良かったのだ……」

 土台人はコードネーム「松澤フミ」について、語り始めた。

 赤十字の偉大な看護師の名を、なぜ拉致された少女は、コードネームに用いたのか?

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