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さっちゃんの憂鬱

いつも行っているパブであるが、紆余曲折を経て、オーナーが昨年末に変更になった。

インド系の方で手広く商売をやっているという話である。

今までずっとパブにいた、バーマンのヘッドのジンジャーは12月のはじめにパブを退職、前前から念願の福祉関係の仕事に転職した。

新しく、ヘッドオブバーマンになったのはクリスというおじさん、結構初老のくたびれたおじさんだった。クリスの本業はパーソナルトレーナーらしかった。しかし、クリスに大金を落としていた富裕層の顧客が、切れたらしく、ひましていたところを関係者に声をかけられ、パブのバーマンに落ち着いた。

パブの上階は簡単なキッチン付きの部屋が2部屋あり、今まで一つはエアビーアンドビーだったが、パブが借り上げることになりクリスがそこに住み込むことになった。

正直、このクリスというおっさんが食わせものというか、おしゃべりが大好きだが、接客は好きではない。お客が来るとなぜが逃げる。クリスは朝10時過ぎに起きて、朝ごはんをパブの隣のカフェで食べたあと、パブの掃除をして、お昼のシフトの子に鍵を渡し、いつの間にかどこかへいなくなる。人の話だと、一応、パブを開けた後は細々とパーソナルトレーナーの仕事があるらしく、夕方まではパーソナルをやっているか、それが終われば、その客とカフェでおしゃべりをしているか、らしい。

夕方になると一応顔を出して、昼のシフトの子と引継ぎをして夕方のシフトの子の出勤を確認するといなくなる。たぶん、この時は1駅離れたゲイバーに行ってるらしい。(ゲイではないらしいが)そこでしゃべり倒して9時くらいにパブに戻ってきて、(時々ゲイバーから友達も引き連れてくるらしい。)閉店までは一応カウンターにいるらしい。

夜のシフトに入ってる子は、ウクライナ出身の20歳過ぎのアンナちゃん、英語はかなり話せるようになった。もう一人はアイリッシュのマーティン、24歳くらいだが、訛りを気にしてるらしく、かなりおとなしい。そしてもう一人がコメディ女優のケリーというメンバーである。一番お姉さんがケリーである。何かトラブルがあったりすると、一応ケリーがクリスの携帯を鳴らし、パブに戻ってくるようにお願いをする。しかし、あまりあてにならない。

クリスはかなり安い給料で雇われているし、一週間休みはない。住居は保証されているとはいえ、私生活と仕事の境界がかなりあいまいである。そういう背景もあって、ある程度、好き勝手はしていいという話にはなっていたらしいが、これではあんまりだ、ということでオーナーにケリーとアンナが訴え出た。

昼間、主にシフトに入ってるのはクレアさんという大ベテランで、この界隈のパブ業界の人達には評価が高く、仕事ができる人がやっている。クレアさんのお父さんはクレアさんがシフトに入っているときは、カウンターに必ずいて、客同士のいざこざや何かがあれば、お父さんが仲裁したりするらしい。クリスに用がなく、クレアさんはその辺、うまくクリスを泳がせていた。

しかし、夜のシフトはそうは行かない。夜はだいたいシフトに入ってくれる子を見つけるのは難しいらしく、メンバーも流動的、そして、いざこざが多いのも圧倒的に夜、ということでクリスがちゃんとバーに立っていて、扇のかなめになってもらいたいのに、そうも行かない。本人は「ちゃんとやりまーす」ということは言ってるらしいが、まず、夜はほとんどパブにいない。ゲイバーで盛り上がりすぎると、パブに戻ってくるのは11時過ぎでもくもくと閉店作業だけやって上に上がってしまうという。

クリスは首にできないらしい。何か義理のある雇用らしい。で、結局パブのオーナーは自分の娘を夜は必ずパブのカウンターに立たせることにした。

オーナーの娘、インド系らしく?理系で数学が得意らしく、大学を出て学校の先生をずっとしていたという。で、娘は学校を辞めて、パブのカウンターに立つことになった。

うーん、学校の先生から酔っ払いの相手、なんだかひどい話であるが、とりあえず、彼女はパブに毎日来るようになった。

学校の先生をやっていただけあって、客あしらいもうまかったし、明るいし、頭の回転も速いので、仕事をこなす分には申し分のない人事ではあったが、なんだか複雑な気持ちになる人事であった。

私は彼女のことをさっちゃんと呼んでいた。名前の一文字から取っている。さっちゃんは来年の夏結婚することになっていて、その準備もあって学校を辞めたらしかった。昼は結婚式や新生活関連の用事をやって、夜はパブにいるらしい。彼女の結婚式は、インド系らしく、オーストラリアだかどこかのリゾート地に親族を400人程度集めて、結婚式を挙げるらしかった。

時々、結婚式の準備を母親とするためにあちらこちらに出かけるらしく、パブに母親が送って来ることもあった。

年ごろの娘さんらしく、ドレスが決まれば、写真を見せてくれるし、何かを決めたら「こうなのー」とか言っていろいろ教えてくれた。結婚式や新生活の準備は母親が主導らしく、何かあれば、母親に電話をしていろいろ聞いていた。

若い娘さんのなんというか新生活への期待やら興奮が手に取ってわかるからこちらも話を聞いていて「いいなあ」とか「若いっていいわね」という気持ちに素直にはなったが、彼女に対して一つ疑問があった。「旦那さんはそういうドレスについては何かコメントしてるの?」「旦那さんってどんな人なの?」と主に彼女の未来のご主人に関して情報が一つもない。

そのあとで、だいたい周りの話を聞いて納得することが多かったが、要するに彼女は親の決めた相手と結婚することになっていて、今まで旦那になる人にあったのは一回だけ、それも両親がついていて30分程度あっただけらしい。お見合い結婚と言えば聞こえがいいが、まあ、政略結婚だかなんだかで、旦那さんになる人はインドとイギリスを行ったり来たりで、あまり交流はないようだった。

この手の話は割によく聞くというか、ロンドン最大のインド系の町が結構近くにあるので、まあ、なんとなくよく聞く。昔ほど今はないわよという話ではあるが、まあ、あると思っていいだろう。

大昔に居候させてもらっていた家は、この辺の町に近いところにあった。家の主人の友人にインド系が多く、インド系の女性がお昼にタッパーにカレーを詰めてこの家にわらわらやってきてよく持ち寄りパーティーをしていた。

最初は普通のパーティーだと思っていたが、よくよく聞いてみれば、全然普通じゃなかった。彼女たちは全員人妻で、親が決めた相手と結婚したというある種しがらみをしょっている人達である。正直、聞いていて「ええっ」と思うことばかりであった。親の仕事を手伝っているというのは聞こえはいいが、実際は親が彼にお金を渡していて、彼は好きな犬を多頭飼いしていて、犬を溺愛してるが、夜は愛人の家に遊びに行って帰ってこない旦那の話。なぜか奥さんにはお金が入ってこないので奥さんが街の福祉施設で働いて、夜は犬を散歩して家族のためにごはんを作ってくたくたになってまた朝から福祉施設で働いている人の話。働いたり、働かなかったり、ではっきりしない旦那に何十年も悩まされ、息子も似たような感じの男になってしまった人の話。その人の境遇を見かねて、悩みを聞いて寄り添ってくれるようになった男性がいたらしいが、なんと、息子の同級生。懇ろになったのはいいが、避妊に失敗したらしく、妊娠してしまい、その彼に内緒でこどもをおろした話。息子が年ごろになり、なぜか白人の女性と仲良くなり、ボーイフレンドとガールフレンドになったのはいいが、喧嘩をした際に、息子がその女性を殴って、歯を折ってしまい、相手の白人の両親が自分の家に殴りこんできたのに、息子をいさめることができない母親の話など。とにかくかなり濃い話を散々聞かされた。

こういう話を聞いてしまっても、個人的には「ひでえ」とか思いつつも、何も言えない。「あー大変ですね」「あーそうなんですか」としか言いようがない。

カルチャーや宗教が違う、家族観が違うのである。彼らは彼らの価値観や宗教という枠組みで生きていて、秩序を保っている。ただのよそ者が「それはちがうんじゃないですか」などとはとても言える話ではないのである。

イギリス、まあ、特にロンドンであるが、とにかくマルチカルチャーで多民族、いろいろな民族の人がそれぞれの宗教やら文化やら戒律に沿って暮らしてる。それぞれの民族がそれぞれの仕組みに従って生きているのである。多少、その仕組みなどが現代に即していなくても、ある種見てみないふりというか、その辺は皆様あまり突っ込まない。なんとはなしに、そういう仕組みで皆さん生活している。

そして、民族が交わるということがあまりない。その辺の区分けはかなり厳密である。混ざるということがないので、結婚などもうちわで行い、民族が保たれていく。

ということで、表面では何事もないように、生活をしてるように見えるが内内はそうではない場合ももちろんあったりする。民族によっては女性に対する権利などはかなり低かったりもするわけだから、それが当たり前と言われて我慢などを強いられている身だったりする場合、イギリスなんか、ちょっと違う民族がすぐ隣の町に住んでいたりして、人生を謳歌しているのを見たりしたら、どう感じるのだろう、などと思う時はある。

さっちゃんだって、お客さんでカップルがやってきてなんとはなしに幸せそうにじゃれているのを見て、どう思うのだろう、と思ったりする。結婚するといっても、普通のイギリス人が考えるような結婚と全然違うのだから。

多民族というのはただ、顔形が違う人達が住んでいるというわけではなく、カルチャーも違う人達が住んでいるというのをイギリスにいると時々忘れてしまうときもある。たまにこういう話で「ああ、世の中には全然違う人達がいるなあ」と思い出させてもらったりする。






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