世界一何でもある首都ヴィエンチャン
世界一何もない首都ヴィエンチャン
村上春樹の紀行文集「ラオスにはいったい何があるんですか?」でいくらかその国を知った人もいるかもしれない。東南アジアに属するラオス、その首都ヴィエンチャンには東京都の人口約1400万人に対しわずか100万人弱が住んでいる、そして「世界一何もない首都」といわれている。
訪れるとわかるが、この首都には地下鉄や路面電車(ラオス中国鉄道はあるが郊外)、マクドナルドやサブウェイといった有名ファストフード店はなく、スーパーマーケットや百貨店、遊園地などの施設、必須であろうインフラの病院(あるが件数が少ない、もしくはまともなところ)のほか、公園や図書館など満足できるものは整っていない。そして旅行の目的の一つである観光においても、タイの首都バンコクに勝るものはないといっていいだろう。
以上が「世界一何もない首都」といわれる主な理由である。そして「世界一何もない首都」だからこそ、ゆっくりとした時間が流れ、リラックスできるなどフォローされる始末だ。時間の流れは常に一定であるし、リラックスを求めるなら本国の自分の部屋が一番であることを考えると何もフォローになっていないことに気づく。
もちろんこれは旅行目線での話であって、長期滞在や実際に住むとなると、見方は変わっていくだろう。
今を生きる私たちの矛盾
話は変わるが、最近「ジョージ・カーリン」という人物を知った。皆さんは彼をご存知だろうか。
彼はアメリカ合衆国の俳優や作家、そして政治や社会を痛烈に批判する笑いで人気を集めたコメディアンでもあり、多方面で活躍した。また愛妻家としても知られており、そんな彼が最愛の妻を亡くした時に友人へ送ったとされる、メールの一部を紹介したい。
そして...The paradox of our time in history isで始まるこのメールは、読む、見る、翻訳する人ごと、そのタイミングによって見え方、捉え方が変わるだろう。気になる方は、ぜひ引用元を確認してほしい。
彼はこのような調子で今を生きる私たちの矛盾点を、胸を衝くように、私たちに投げかけ、次々に指摘する(記載したのは、ほんの一部)
何もないは、何でもある
ジョージ・カーリンの指摘のほとんどは何かを得ると、別の何かが失われることに尽きるといっていい。そしてそれは決して等価交換ではなく、本当に失われて良かったものなのか、私たちは立ち止まって考えられずにはいられない。
冒頭において、ヴィエンチャンは世界一何もない首都だといわれていると紹介した。
高い建物はないが、人は気長で優しい
道路は整備されていないが、気にかけてくれる視野の広さ
多くを買わず、消費をしなくても、多くを得られる、楽しめる
大きな家はないが、家庭は賑やかで明るく円満
不便だが、時間はたっぷりある
これらがヴィエンチャンにあるのだとすると何もないどころか、何でもあるといっていいだろう。他の都市が、人が失ったものを持っているのだから。
それでも世界は矛盾する方向へ進む
最近ではヴィエンチャンにスターバックスが出店したように、ヴィエンチャンにも徐々に矛盾の波が押し寄せている。これはヴィエンチャンが変わっている一つの転換点だろう。また中国関連の資本もラオスに多く流れていることもあり、変化のスピードを加速させている。
世界一何もない首都ヴィエンチャンもいつかは便利で不便な、どこにでもある首都に変わる。この流れは変えることはできない。今のうちに何もないヴィエンチャンに訪れた方が良いことは、ここで強調しておきたい。
でもなぜ、今を生きる私たちはそれでもなお、矛盾する方向へ進みたがるのだろうか。
人間の活動は自分の立場を切り崩すこと
人間が行う重要な活動には共通点がある。それは自己の存在を切り崩しながら行うことである。例えばこの世から病理を無くそうと日夜研究を重ねる医者、悪を取り締まる警察、世界の理を解明しようとする科学者、子育てなどが挙げられる。
これらのいく着く先は、自己の存在否定である。病気がない世界に医者は不要であり、悪がいない世界にも警察は不要だろう。全てを解明したい思いと、解明したあとの自己の存在の行方、その二律背反した、矛盾した思いを背負って科学者は日夜研究をする。いつまでも一緒にいたいと思う、愛する我が子への子育ての最後は親離れである。
だからこそ、自分の立場を切り崩しながら行う活動は認められ、評価され、尊敬される。私たちの活動はいつも二律背反した、矛盾した思いをもって行われる。
ジョージ・カーリンの指摘は正しい。その指摘は今を生きる私たちの矛盾であることに間違いない。それと同時に私たちはその矛盾のために生きている、欲している。だからこそ、この流れは止められない。失った時にはじめて価値を知るのではなく、むしろ価値を知りたいために失うのだから。
失いつつある時に価値は最大化する
さらにジョージ・カーリンのメールを引用する。今を生きる私たちの矛盾の次は、これからを生きる私たちへのアドバイスに変わる。
価値があるとするすべてのものは、それを失いつつあるときに、最も愉悦をもたらすように私たちには設定されている。私たちが愛する人、好きなものを愛する人、好きなものたらしめるのは、それらが、いま、この瞬間も一秒一秒失われていることを私たちが熟知しているからである。
人生はどれだけ心が震えるか
またしても最後にジョージ・カーリンのメールを引用してそろそろ締めたいと思う。メールの最後にあって、ジョージ・カーリンが一番伝えたい言葉だろう。
世界一何でもある首都ヴィエンチャン
世界一何もない首都ヴィエンチャンは他の首都が失ったものをまだ持っている。そしてそれをヴィエンチャンが他の首都同様に、今後失うことは避けられない。それらが、いま、この瞬間も一秒一秒失われていることに比例し、私たちはそれにハッとし、息を呑み、感動で心が震える瞬間に出会えるはずだ。世界一何もなくて何でもある首都ヴィエンチャンにぜひ来てはどうだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?