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他人の行動は自分を知るチャンス〜コミュニケーションの難しさ〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

職場などの公共の場において何かにつけて自己主張をし、注意されたり意見をすると怒り出してしまう人は、どうしてなのでしょうか?

私は、そういう光景を目にする度に不思議で仕方ありませんでした。

どんなに親しい親密な間柄であっても、職場は仕事をするところなのでチームとして成果を上げることが目標です。(建前上はですが・・・)

各自が役割を与えられ、その役割に沿って仕事をすれば良いだけなのに、個人的な感情をそこに挟むからややこしくなって来ます。

世界中からデータを拾って来ているChatGPTにも意見を聞いてみました。

ChatGPTの解答の中に、対人スキルというものがありました。

このスキルが低いと、自分の感情ばかりフォーカスされ、コミュニケーションの目的が、自分の感情や意見を表現することに主眼がいきやすくなるとのことでした。

わたしの中には対人スキルという視点はなかったので、目からウロコでした。

そういう人のコミュニケーションスタイルを観ていると、仕事の話より職場の人のプライベートに関心が強いようでした。

対人スキルが低いタイプは、コミュニケーションの目的が、目的を達成するためにお互いを理解することではなく、自分の感情や意見を表現することに意識が向きやすいそうです。

あと、ChatGPTが言うには、コミュニケーションスキルが低いと、職場でもプライベートを使わないとコミュニケーションが上手く進まないそうです。

そもそも、相手と仲良くなることだけがコミュニケーションではないはずです。

「コミュニケーション」という言葉一つとっても、一人ひとり捉え方やスキルが違うので、社会で働くことは、自分を振り返るチャンスでもあります。

よく勘違いされやすいのですが、対人スキルやコミュニケーションスキルが低いことは悪いことではないと思います。

ただ、トラブルを招きやすいので、嫌な思いをしやすくなります。
うまく距離感を保つことは、社会を生きる一つの知恵だと思います。

ちなみに、人間の知覚には、「無自覚の無能力」というものがあるそうです。

自分のスキルや能力を過剰に評価したり、逆に能力が高い人ほど自分を過小評価する認知の歪みだそうです。

この無自覚の無能力というのは厄介で、自分には自覚がないので気づくことが出来ません。他人に指摘を受けても無自覚なので、逆に相手が言っていることがおかしいと捉えてしまうこともあります。

なかなか自分自身を客観的に観るのは難しいです。

自分にも「無自覚の無能力」という分野は気づかないだけで有る気がします。

もし、人間関係で悩んでいることがあったら、この「無自覚の無能力」を疑ってみると新しい切り口が見えるかもですよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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