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「詩歌川百景」の相関図を作ってみた


はじめに

私は吉田秋生先生の「BANANA FISH」をリアルタイムで読んでいた世代です(年バレるw)。
当時は先生の過去作「カリフォルニア物語」「吉祥天女」なども遡って読み、元祖BL雑誌「June」に掲載されていた栗本薫先生の小説「終わりのないラブソング」のイラストが吉田先生だったのでそれも履修し(超絶重いストーリーでした 汗)、ドップリ吉田秋生ワールドにハマっていました。
(漫画情報誌「ぱふ」のキャラクター人気投票でしたっけ?でアッシュと英ちゃんがトップになるのを喜んだりもしてましたw)

そして「ラヴァーズ・キス」「YASHA-夜叉-」「イヴの眠り」と自分自身も忙しくなり、時々一気読みで作品について行くという感じに変化。
前作の「海街diary」もそんな感じで読んできたというのが私の吉田秋生ヒストリーです。

で、少し前から田村由美先生の「ミステリと言う勿れ」の映画が上映中でCM流れているので(ドラマも一応観てました。でもそこまでハマリはしなかったので映画館に観に行くかどうかは悩み中。菅田君はいいんだけど、ガロ君は瑛太じゃないんだよぉ~www)、マンガの続き、10巻ぐらいから読んでないな~と思い、最新刊まで読みました。富山編も面白かった。是非全国ご当地ものにして、整くんを第二の寅さんにしてください(笑)。

「ミステリと言う勿れ」も面白いですよね。なんというか、「僕、常々思っているんですけど…(整くんの口癖、こんなでしたっけ?w)」この作品って物凄くフェミニズムな作品だな~と思うんです。整くんが常々思っている疑問の数々が、家父長制を元に出来上がってきた理不尽だったり、いまや無意味になりつつある家父長制的思考パターンについてが多いんですよね。もっと女性目線も取り入れてフラットに物事を見たらそんな考えにはならないですよね?と突き付けてくる。

田村先生の作品を読み終わって、私が別コミ読んでいた頃に一緒に連載していたのが吉田先生の「BANANA FISH」だったので、「アッ、吉田先生のマンガも最近読んでなかったなぁ」となり、まだ読んでいなかった最新作「詩歌川百景(うたがわひゃっけい)を既刊3巻まで一気読みしたのでした。


相関図

「詩歌川百景」は、鎌倉が舞台だった前作「海街diary」とは舞台は異なるものの、その世界からの延長線にあるような物語。
「海街diary」の主人公・浅田すずは以前、父と父の再婚相手とその連れ子兄弟と一緒に山形で暮らしていた。その連れ子兄弟の兄の方、飯田和樹が今作の主人公。舞台は山形県の架空の温泉街、河鹿沢温泉

世界線が繋がっているとは言え、「海街diary」のキャラたちはうっすら名前が出たりする程度で、物語自体は和樹を中心に繰り広げられる。彼が湯守として働く旅館「あづまや」の人々、和樹の同級生だった森野剛&林田類の「森林組合」コンビ、そして温泉街の様々な人々との関わり合いで話が進んでいきます。

しかし小さい山村の狭いコミュニティなので誰かしら血縁関係で繋がっており、20人、いやそれ以上?出てくる登場人物の多さ、そしてそのキャラ達の複雑な繋がりに頭が整理しきれなくなって難儀したのでした(もう名前覚えるのもやっとの記憶力低下が著しい今日この頃なので  …汗)。

最近はこういう複雑な人間関係の作品とかだと誰かが既に相関図なんかを作ってくれていて、ネット検索でチョチョッと調べれば出てくるものですが…チョチョチョッ…無い、ない、ナイ!!
まだ誰も作ってくれてへんやんかぁ~っ!!という現実にぶち当たってしまいました。(Wikiのページすらまだ無い。なんで?)

ということで、まだ登場人物のことをフレッシュに記憶している今なら私にでも作れるかも?
「無いのなら、作ってみましょう、ホトトギス…じゃなかった相関図」
で、作ってみました「詩歌川百景 相関図」。

詩歌川百景 相関図

PCだと画像をクリックすると拡大できるようです。
一応、組織ごとに色分けしてみました。
何か間違いあれば、ご指摘いただけると助かります。

相関図といっても基本は家系図的な血縁関係を中心に作りました。
(文字の大きさがキャラの重要度、登場頻度に比例する感じにしてます)
(基本、左→右で兄弟の年長→年少にしています。例外は原武司&類の母親のところ)

*誰が誰のことを好きみたいなのはネタバレになるので、是非マンガを読んで発見してみてください。でも私はあのコンビが最初に登場した時にビビッと感じた勘が当たっていたのはちょっと嬉しかったですw

そして「海街diary」と「詩歌川百景」のつながり、和樹とすずがどうつながっているのか?さらには「海街diary」と「ラヴァーズ・キス」も登場人物が重なる部分があるので、この三作品のつながりをまとめた相関図も自分の理解の為に作ってみました。

「ラヴァーズ・キス」「海街diary」「詩歌川百景」相関図

重複するキャラもありますがメインに出ているというくくりで、
青が「海街diary」、緑が「詩歌川百景」、ピンクが「ラヴァーズ・キス」です。

名前の下の○数字は兄弟の順番
関係線の上の○数字はすずの父・浅野の結婚した順番
●数字は和樹の母・陽子の結婚した順番

「ラヴァーズ・キス」「海街diary」は細かい部分は忘れているので、Wiki見て思い出しながら作りました。
これまた間違いありましたら、ご指摘お願いします。

河鹿沢温泉MAPも欲しい

あと欲しいのが河鹿沢温泉のMAPです。
いろんな場所が出てくるけど位置関係がまったくわからない。

1話の最初の扉絵、連載時のカラー画像があったので少々拝借。
これがMAPに一番近そうなので、これで想像してみます。

私の予想を書き込んでみました。

奥の尖った岩山が「帷子岳」(通称 ハゲ山)

2本の川。左の大きめのが「河鹿川」、右の細いほうが「詩歌川
河鹿川に2本の橋が架かっている。上流の方が河鹿大橋(通称 一ノ橋)「淵参り」をするところ。帷子岳のある奥側が上流っぽいかな?

詩歌川に架かる不帰橋は手前に見える赤っぽい橋でしょうか?

2つの川の間にあって不帰橋っぽいところの奥にある建物、川原に突き出た足湯っぽいところがあり(和樹がよく足湯を掃除してる)、そして和樹が車を走らせてる先にある…と考えると、真ん中右寄りの赤っぽい屋根の建物辺りが「あづまや」でしょうか?
ただあの向きだと、貸し切り湯の窓から帷子岳が見えるのかがちょっと疑問かな?

「百」の字の右横、河鹿川の河原に建つ建物が共同浴場の「穴ノ湯」のように思います。

あと不帰橋の先に鳥居がある。そこを抜けた先が帷子稲荷神社でしょうか?しかし近くに慈仙寺があると言っていたけど寺っぽいものは見当たらず。

あとは類が務める村役場、住職の慈仙寺、愛ちゃん先生の診療所なども、この絵からはよくわからない。アッ、スナック・サンバも!!www サンバは川沿いっぽかったから画面正面の河鹿川の向こう側、温泉街の建物が並ぶところでしょうか?


ちょこっと考察

簡単に思いついた考察的なものを書いてみます。

人間の深淵

まず第一話で「淵参り」という河鹿川の淵に飛び込む通過儀礼が紹介される。最初は、田舎の牧歌的な日常を、季節の移ろいと共に描く優しいだけの物語なのかと思っていました。しかし「淵参り」で…ちょっとアレッ?違うかも?となってくる。

「淵」ということから、これは人間の深淵を覗くというか、見つめる物語なのかな?と思いました。

妙が言います。
「生きてる人間のほうがよっぽど怖い」

後に住職、類も言う。住職は人間の業などを見つめ向き合い続けてきた存在だろうし、妙と類は若いのに二人とも老成していて怖いくらい。人の怖さ、醜さ、悍ましさへの感度が物凄く高い。

登場する子供たちは皆悩みながらもまっすぐな良い子たち。
しかし大人たちは皆、程度の差はあれ毒親率が高い。

大人たちは淵に呑まれてしまい、何かを失ってしまった者たちなんだろうか?和樹の母・陽子も何度も結婚を繰り返す。ダメな母親だと陰口も叩かれる。しかし彼女なりに、子供の為に幸せな場所をもがきながらも求めた結果だっただけなのかもしれない。

なかなかに重いテーマが横たわっている作品のような気がします。

あの世とこの世

あの世とこの世についても印象的に語られています。

まずは帷子岳
この山は修験道の山だと言われる。
修験道は白装束で行われます。これは死装束。山の中で一度死んで生まれ変わる儀式でもあります。

そして頂上にある燈明岩。彷徨う魂があるとそこに灯りがともる。
山の上、天国に近い場所は死の世界ということ。これはこの物語だけでなく日本の山岳信仰で一般的に言われてきたことです。
立山信仰なんかでも、立山は浄土、剱岳は地獄として描かれたりしています。

そして詩歌川に架かる不帰橋
これもまたあの世(彼岸)と、そして現世、この世が此岸。
二つの世界を分けるのが「川」というのはよく言われる。
渡ったら帰って来れないあの世の世界。だから不帰橋。

和樹が常連客の山本さんの息子とすれ違ったのも不帰橋。
彼はその橋を渡って帷子岳に登りに行って行方不明になった。つまりあの世に行ってしまった。

そして、詩歌川の向こう側(多分帷子岳側)にある崇徳院の歌碑
崇徳院の歌について語られてましたが、私が思い浮かんだのは、崇徳院は政争に敗れて讃岐に流され、最後は怨霊にまでなった人物(日本三大怨霊の一人)。
つまり、あの世とこの世の境目で彷徨い続けている怨霊。業、欲にまみれて彷徨う人間達を投影しているかのようにも思える。

牧歌的で幸せな田舎の世界ながらも、そこには絶えず死の世界が間近にあるんだと、死に対する畏敬の念、死を忘れるな、今を生きることの意味…いろいろなメッセージが込められていそうです。

二本の川

この物語には河鹿川詩歌川の二本の川が登場する。
しかしどちらかがどちらかの支流ではなく、どちらも独立した本流で交わることがないと説明される。
詩歌川は源流もどこかわからない謎に包まれているという。

あんなに近くに流れているのに交わらないなんて、珍しい。というかそこに意味があるように設定付けされたように思う。

では何だろう?

考えてみると、この物語、片想いというか、気持ちが交わらない関係が多いんですよね。

ここで書いちゃうとネタバレになるけど、
(知りたくない方は下の引用部分は飛ばしてください)

倉さんも一途に大女将を想っているし、
剛も妙を想っていて、告白するも撃沈。
莉子も和樹のことが好きだし、
類は○○に叶わなぬ想いを秘めたまま、これまた交わることはないだろう。

ということは、主役の二人、和樹と妙は今のところまだわかりませんが、
なんとなく妙は和樹のことを想っている(熱情って感じより人としての深い慈しみの愛情的な?)のはわかる。
和樹も剛の恋愛を見てから自分の妙に対する気持ちを意識し始めた。

でも交わらない二本の川だから…
お互いが好きになるも、好きになる時期がズレて、なんだか結局交わらず終わるとか?二つの川も河鹿沢温泉で急接近はするが、その後はまた離れていくんだとか…果たして二人の関係もそうなるのでしょうか?

ヒントは崇徳院の歌なのかな?
「瀬をはやみ 岩をせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
(川の流れが岩に当たって別れてもやがて一つになるように たとえ今は離れ離れになっても いつかあなたとめぐり逢いたい)
何かで衝突して別れても、いつかまためぐり逢う二人…って展開なのかも?

今のところ、頭のいい二人、妙と類が「BANANA FISH」のアッシュを分割した存在で、ちょっと鈍いけど、とにかくイイ奴キャラの和樹と剛が英二を分割した存在、って感じにもちょっと見えて私的には凄く楽しいです。


あと3巻の「火送り神事」とかもお盆の行事。これもまた死者との関わり合いを示唆しているように思う。

今のところはこんな感じで、また何か気付きがあれば書き足したいと思います。


感想

キャラ設定の妙 

(ここはネタバレ含む部分があるので、知りたくない方はスキップしてください)

先述したように、妙も類も頭がイイ。まるでアッシュのように。
でもこんなに賢しい子供たちがそんなにいるもんだろうか?というのがちょっとある。今の時代は色々と自分から情報を得られるようになっているから、閉鎖的な田舎でもこういう新しい賢い世代が生まれ始めている可能性はある。
でも、そもそも田舎の閉鎖性を考えたら、まず家父長制の呪縛が凄くて、そういう皆と違う思考パターンになりにくい。幼少期からの洗脳がガッツリ施されるので、違和感を持ったとしても、それの正体ってのに気付ける子供はなかなかいないように思う。

そこで妙の「元々は都会の子」という設定と、類の「クローゼット・ゲイ」という属性が効いてくる。

都会での家父長制の綻びを知っている妙は賢しい子供になるのも分かる気がするし、クローゼット=閉鎖的な田舎での隠れゲイである類はホモソーシャルの枠組みから外れた存在。家父長制の呪縛には囚われないのも納得。吉田先生、設定に抜かりが無いw

主人公がとにかく賢いという設定が多いから、またこのパターンか…と思う部分は確かにあったのですが、田村先生の「ミステリと言う勿れ」の整くんにしても、この作品の妙にしても、彼らは作品の狂言回しで作者のメッセージの代弁者。作者はマンガという作品を通して日本社会に巣くう病巣にスポットライトを当て、問題提議し、時には斬新な切り口で答えを見せてくれたりする。

そういう意味でイヤミにならない加減で知識を披露し、カリスマ性を持たせることで読者が素直に意見を受け入れる(美とミステリアスというのはわかりやすいカリスマ性)。便利で割と理にかなったキャラクターなんだと思います。

そして「詩歌川百景」では妙と一緒に和樹も主人公の位置に据えている。妙と対比して平凡な読者に近い目線も並行して提示することで作品への親近感、共感性を高めているように思う。バランスですよね。

面白いのは普通は少女漫画の王道だと和樹の視点は主人公の女の子が担って、美形&ミステリアスな男に振り回されて…(でも実はちゃんと愛されている)みたいなのが多いと思うんだけど、そこは逆転させてる。これも、どうしても男の方が田舎の集落だといろんなところ、色んな行事に駆り出されて、話に起伏、メリハリを与えやすいという計算があったりするのかもしれませんね。

印象的な言葉たち

とにかく言葉が響くというか、刺さるというか、グッと来たり、すとんと腑に落ちたりすることが多いです。「海街diary」でもいいなと思うセリフ、場面はあったけどグッと込み上げるほどのことは無かった気がする。そんな心が死んでる私でも、何度か涙腺を刺激される場面がありました。

「生きてる人間のほうがよっぽど怖い」
は、私も常々思っていることだし、

倉さんの
「子供は静かに溺れる」
という言葉もハッとしたというか、スゴイ的確な表現だなと思いました。

川遊びで溺れる子供を例にして、溺れている子供はとりあえず声を出さずに一生懸命頑張る。一人で何とかしてみる。そして力尽きるとあっという間に沈んでしまう。そこから世間の荒波、大人の都合に振り回されたり、社会の理不尽さに翻弄されたりする子供達、声を上げずに必死に限界まで頑張ってしまう子供達、そんな子供たちの切羽詰まっている状況を見つけるのは難しいし、救うこともさらに難しいこと。そして静かに死んでいく…(体が生きていても心が死んでいくこともあるだろう)。

その静かに死んでいく子供達に対して、大人たちが罪深いほど無自覚な社会。いじめ問題も全くなくなる気配さえないですもんね。

「もしかしたら 彼 怒れないんじゃないかと思ったの」
麻揶子が妙に和樹のことを話す場面。

父親からDVを受けていた和樹にとって、怒り=暴力なのではないかと。
怒ることに罪悪感があって、感情を抑え込むクセがある。
しかし正当な怒りも抗議も、暴力とは別物だと話す。

これはストンと腑に落ちた場面でした。
私も怒りの沸点が異常に遅いんですよね。すぐ怒れない。何かされた時はショックで思考停止状態になって、しばらくして分析できてから腹が立ってくる。しかしそんなタイミングを逃した怒りは発散されることもなく、心の中に澱のように溜まって腐っていく。

昔からこの怒りの遅さにどうしてなんだろう?とは思っていました。そういう性格なんだろうなと思っていたど、私も幼少期に父親から散々言葉の暴力を受けてきた(時にはフィジカルなものも)。そして母親も。彼女もまた父からの暴力に黙りこくって耐えるのみだった。

父親に対して怒りを爆発させるのは小さい子供には肉体的暴力が返ってくる恐怖だし、母親は耐えるという対処法しか提示してくれなかった。そうやって父親の怒り=暴力として捉え、それを嫌悪、それは罪だとして回避するあまり、自分自身の正当な怒りさえも心の奥に追いやってしまった結果が、すぐに怒れない体質なんだとわかった気がしました。

少し話がズレるけど、日本人が自分の意見を言えない、反対意見を怖がるとよく言われる傾向も、こういう暴力的な親が子供を抑圧し続けてきた結果なんじゃないかと思う。子供の頃から個人として尊重され、ちゃんと話を聴いて貰え、意見が言いやすい環境ではなく、意見を封殺することを強いられる環境があまりにも多い=無自覚な言葉の暴力が横行している家庭が非常に多いということの裏返しなんだと思います。いまだに子供は親の所有物、好き勝手したり言ったりしてもいい存在なんだと思っている親が非常に多いと感じることが多々ありますから。

圧倒的な無垢

私、この作品の中で、今のところ一番好きなキャラは「守くん」なんです。

吉田先生も守君をいつもニコニコ、人懐っこくて、ちゃんと大人に守られている無垢な存在として描いている気がします。登場するだけで癒されちゃいます。
この子はちゃんと大人に守られてる、真っすぐに成長している子供の象徴なんだと思うんですよね。

赤ちゃんの時に母親に育児放棄されて大叔父の養子になって育てられた。
もっと寂しさから卑屈になったり歪みが出ていてもおかしくない状況なのに、守くんは全くそんなところが無い。

それは義父母の飯田夫妻、異父兄の和樹にしっかり愛されて、寂しい想いをしなかったからだろうし、倉さんや町の大人たちにも守られて愛されてきたからなんだと思う。

結局この物語に出てくる多くの苦しんでいる子供達の原因は大人達であり、そういう子供を生み出さない、守ってやれるのも大人達であるというメッセージが守くんの存在から伝わってくる。しっかりしろよ大人達!!っていう吉田先生の強いメッセージ。

最近は変な大人たちがいっぱい居るから、簡単に近づけさせるのは危険なのはわかるんだけど、親と子供だけで他の大人の介入がない子育て&成長期というのもまた物凄く危険だと思う。考えの偏りもそうだし、何か危機があった時のセーフティネットが脆弱すぎる。編み目の大きいネット一枚しかない感じ。より多くの大人と接することで子供の思考パターンに幅が出るだろうし、様々な防御方法も習得していく。多くの監視の目が危険から守ったり、多くの差し伸べる手が親では癒せない表現で痛みを癒してくれることもあるはず。

「詩歌川百景」は田舎の閉鎖社会の罪も描きつつも、小さいコミュニティ内の強い家族感がもたらす近さのメリットも強調してくれてる。

人の多い大都会では社会の病巣を無くすのは容易ではない。
しかし小さい村社会で、大人たちのマインドをオープンに変化しアップデートすることができれば、変化は早く訪れるのでは?
自然等の環境にも恵まれ、自然と、人間との共生の意識も芽生える。
複数のセーフティーネットにより子供も守られる。

日本社会の病巣へのメスの一刀目は河鹿川温泉みたいな場所からなのかもしれませんよ?まずは田舎から子供たちのHAVEN=港になっていきませんか?…という吉田先生の提案が「詩歌川百景」なのかもしれません。

そしてその成功例を体現している理想のキャラクターが守くんなんだと思うんです。


ということで、まだまだ物語は続きそうですし、どういう方向へ?どういう展開を迎えるのか?全く先が読めないですがそこが楽しみでもあります。

架空の町とはいえ、日本的な風物詩も織り交ぜながら、懐かしい気持ちにもさせてくれる作品「詩歌川百景」
もしまだお手に取っていない方は是非読んでみてください!!(なんか宣伝係みたいな文言になっちゃったけどw)

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