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松尾芭蕉とBL道の旅に出た話(番外編) 🌸男色花紀行<蘭>

「蘭」

芭蕉がゲイだったことから男色にまつわる花があることを知り、その意味を辿ってみるシリーズの5回目。今回は「蘭」です。

ここで平家物語つながり(第4回参照)で、私が前々から感じてる「蘭」の話。

平家物語、源平合戦における一の谷の戦い。
そこに有名な熊谷直実平敦盛のお話があります。
詳しくはこちらのサイトを見てください。

熊谷直実は源氏軍。武蔵の武将。43歳。
東国武士でイメージすると「鎌倉殿の13人」の和田義盛みたいな感じでしょうか?田舎の荒くれ男的な。

一方平敦盛は、貴族化した平家一族、清盛の甥であり、雅で美しい16歳の若者。笛の名手。

もうこの対比だけで衆道の匂いがプンプンしますw
16歳なんて、花盛りの衆道ど真ん中のやられ放題世代←言い方w

でも敵同士なので、そういう関係になることなく、
直実が逃げ遅れた敦盛を討ち取ってしまうという悲しい結末。

しかし、この後の直実の行く末が凄く衆道的
この美しい若者を殺めたことを悲しんで、高野山になる。
男色発祥の地と言われる高野山で、男色の代表選手、僧侶になる。
妻も子供もいたのに。(政治的理由もあるらしいけどね)

この物語はその後、能、幸若舞、文楽、歌舞伎の人気演目となる。

幸若舞の「敦盛」
信長はこの物語を愛し、好んで舞ったと言われる。

その中の一節。
「人間五十年、下天(化天)の内をくらふれハ、夢幻の如く也」
(たった五〇年の人生は、化楽天の人々にくらべれば、夢や幻のようなものだ)

たぶん自分と森蘭丸との衆道関係なんかを重ねて、直実&敦盛に想いを馳せていた部分もあるのでしょう。

こうして直実&敦盛の物語は衆道文化の古典になって行った。

そして直実と敦盛、二人の供養塔が、高野山・奥の院の同じ墓所に建てられている。後世の人々が二人の愛を讃えていた証拠ですよね。

(そう思うと、高野山の奥の院には多くの戦国武将の墓所がある。あれは男色の聖地に、衆道を歩んだ自分たちの墓を建てたかった、というのもあったのかもしれない🤔)

直実が敦盛の供養をしていたのが高野山にある熊谷寺
元々は智識院という名前だったが、鎌倉幕府三代目将軍・源実朝により“熊谷寺”と改められ今日に至る。
アレッ?「鎌倉殿の13人」での実朝くん、男色っぽく描かれてましたよ~( ´艸`)

そして、そこに植えられてる花がクマガイソウです←やっと花が出てきた!www

日本に自生する野生の蘭のひとつ。
この袋の部分が、武士が馬上で広げる母衣に例えて名付けられた。

母衣とは、平安時代末期にみられた懸保侶(かけほろ)に由来する、騎乗時に馬が駆けると長い布が膨らみ背面からの流れ矢を防御した武装の一つである。 

エアバッグを背中に背負ってる感じですかね。

そしてクマガイソウと似ている花にアツモリソウというのもある。
花姿はコチラを参照。(これ以外の花の写真は全て自分で撮ったのですが、アツモリソウだけ無いのです。それくらいものすごく希少な植物になってます。盗掘禁止!!)

クマガイソウっぽいのに対し、アツモリソウっぽい花です。
これは源氏の旗が白で、平氏が赤というのに合わせている。

そして、ここから下ネタになりますが、
クマガイソウの袋部分は、皺が多くてダランと垂れたオッサンのキ〇タマっぽいw
それに対して、アツモリソウの袋は、丸くてパンパン、いかにも若者のキン〇マwww
よくもまあ二人の名前を付けたもんだと、前々から感心してたんですよね~(笑)。

クマガイソウの別名には、キンタマバナ、キツネノキンタマというのもあるので、私の見立ては決して独りよがりの思い込みって訳ではないwww😉

蘭の花が男色を表すということではないですが、このクマガイソウとアツモリソウには非常に男色の香りがするというお話でした。
実際のクマガイソウもアツモリソウも、特に香りはありません。あしからず(;^_^A

この二人の物語を愛した信長の小姓の名前が森蘭丸だったのも、もしかしたらこのこれらのにちなんでいるのでは?と想像したりもできますね。

ということで、5回に渡ってお届けした男色花紀行。
とりあえず今のところはこのくらいで。

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1回目の「菊」はコチラ↓

そもそもの芭蕉BL話はコチラ↓


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