【星野之宣と伊藤整と星野輝興】

【星野之宣と伊藤整と星野輝興】

Wikipediaによると、漫画家の星野之宣(1954~)にとって文学者伊藤整(1905~69)は大叔父にあたるという。

しかし出典がない。

親族に関する星野氏の話を私は承知していないので、専ら伊藤整研究の立場で知ったことを整理したい。

結論から言うと恐らく星野之宣氏は、星野照嗣氏と結婚した伊藤照さん(整の2歳上の姉)の孫にあたるのだろう。照嗣・照夫婦は十勝地方で暮らしており、星野之宣氏は十勝の帯広出身という。

伊藤整の日記を読んで知ったのだが、星野家にはもう一人重要な人物がいる。

星野輝興(1882~1957)だ。

照嗣氏の兄にあたり、之宣氏からみれば大伯父にあたるはずだ。

輝興は大正期以降、宮内省式部職掌典職(のち掌典職祭事課長)にあって1942年に退職するまで宮中祭事を担当していた。

とくに大正天皇の大喪儀、昭和天皇即位儀の運営で中心的役割を果たしたとされる。

『祭祀の本領』『祭政一致』1935『神社の根本義』『祭祀の展開』『宮中祭祀の御実際』などの著書も数多く、神道学・祭祀学の研究者でもあった。

つまり実務官僚として、また理論家として大嘗祭など近代に整備される国家的宮中祭儀の中核を担った人物なのだ。

私は星野について直接はあまり知らないが、例えば折口信夫は、交友関係にあった星野輝興(著作にも名前が出る)から宮中祭祀の実際を聞き、彼の大嘗祭・新嘗祭論などにその知見が反映されていると考えられている。

なお星野については近年、神杉靖嗣氏の「別天神論争」と星野輝興・弘一の神道学説について」(『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』9.2015)、「星野輝興・弘一の神道学説をめぐって」(阪本是丸責任編集『昭和前期の神道と社会』弘文堂2016)などがある。

要するに漫画家星野之宣は、伊藤整と星野輝興の2人を大おじに持つということになる。

氏がこの2人について何か言及しているか私は知らないが(ご存じの方はご教示願います)、その理知的でモダンな文学性は伊藤整との親縁を窺わせる。

とくに伊藤の昭和初期のモダニズム文学はSFやミステリーと親和性が高いことは既に長山靖生氏によって指摘されている。長山靖生「SFのある文学誌」67回「伊藤整―新心理主義、あるいは内宇宙の旅」(『SFマガジン』202002)、『モダニズム・ミステリの時代 探偵小説が新感覚だった頃』(河出書房新社2019)など。

また古代史・民俗学を背景とした伝奇的作風は、星野輝興の存在を念頭に置くと非常に興味深い。

とは言っても星野氏と2人の大おじでは、共通点はあれど相当位相が異なった地平に立っているように思う。

誰か星野之宣と星野輝興について論じてくれないだろうか。

ちなみに伊藤整と星野輝興は面識があったようだ。

伊藤整の甥にあたる星野嗣郎は輝興の弟照嗣の長男だった。

嗣郎は陸軍航空士官学校に在籍し、伊藤も気にかけかわいがっていたが卒業間際に胸を患い長期入院。

1945年2月に23歳で亡くなった(その10日程前には伊藤の実弟薫が南方ラバウルで戦死した知らせがあった)。

伊藤整の『太平洋戦争日記』には病中の嗣郎を心配し見舞う記述が何度も登場する。

士官学校の同期生が多く戦死する一方で、戦場に行かずに済んでいる甥に肉身としての思いを吐露している。

そして東京を空襲が襲う中、火葬場で甥の骨を拾った伊藤は、星野輝興と素直で親孝行だった嗣郎の死を惜しんでいる。

星野輝興の思いはいかほどだったろうか。

星野之宣氏はおそらく嗣郎の甥にあたるのだろう。

伊藤整の文学、星野輝興の宗教、そして戦争というものが星野氏の周辺に伏在していることに思いを馳せている。

2021年2月記

※追記 平凡社から現在刊行されている戦後の『伊藤整日記』にも星野家、輝興の記述が散見される。補足、事実関係の誤認などあればご指摘、ご教示下さい。


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