映画のように心に残るオペラ〜METライブビューイング ケヴィン・プッツの新作オペラ「めぐりあう時間たち」

 NYのメトロポリタンオペラ(以下MET)では、最新の公演を映画館で上映する「ライブビューイング」を世界で展開しています。
 コロナ以後、METでは特に新作オペラへの取り組みが熱心になっていますが、今、「METライブビューイング」で上映されているケヴィン・プッツの新作オペラ「めぐりあう時間たち」は、実に心に沁みた作品でした。これまで見たいわゆる「新作オペラ」の中で、一番心にきたかもしれません。
 この作品は、「オペラ」と言っても、実態は「映画」に近い作品です。そもそも原作は映画なのですから。おそらくそれもあって、オペラを見たときに思う、あの歌手が(歌が)うまかった、とかその手の感想がほとんど思い浮かびませんでした。
 もちろん、5年ぶりにMETの舞台に出たというアメリカを代表するソプラノ歌手ルネ・フレミングは衰えていなくて流石だったし、歌のうまさという点では、メゾソプラノのジョイス・ディドナートも本当に素晴らしかった。けれど、やはり、テーマと表現方法が映画的だから、こちらの心、内面に刺さるのです。
 テーマはとても内面的です。原作は同じタイトルの映画で(映画の原作はヴァージニア・ウルフの小説『ダロウェイ夫人』)、時代を隔てて生きる三人の女性の、決定的な1日、何かが起きるきっかけが生まれた日、を描いています。1920年代のイギリスでは、有名な作家ヴァージニア・ウルフが、制作中の小説で主人公を殺す決意をし、「死」を意識した日(彼女は自死します)。1950年代のロスアンジェルスでは、幸せな母にして妻(を演じている)ローラが、親友への「恋」を意識し、家族を捨てる決意へ踏み出した日。そして2001年のニューヨークでは、編集者のクラリッサが、昔の恋人でエイズにかかって死の床にいるリチャードへの愛を意識し、そのリチャードを喪う日。その3つの物語が並行して進むのです。
 映画を見た時は、これ、どうやってオペラにするのかと思ったのですが、3つの物語は舞台上で違和感なく並行していました。音楽も、時代によって変わるのがさすがです。ケヴィン・プッツという作曲家は自在な腕前の持ち主なのでしょう。
 映画にはないオペラならではの要素として、合唱やダンスが重要です。合唱は人物たちの内面を歌い、ダンスはダンスで彼女たちの心理を表現します。いろんな手段で心理表現がなされるのです。もちろん歌もオーケストラも。その結果、こちらの心に彼女たちの心が伝わり、揺さぶられたんですね。自分の内面の軌跡を、彼女たちのそれと重ね合わせてしまった。これまで、オペラを見て、このような心の揺さぶられ方をしたことはありませんでした。
 オペラで心を揺さぶられるのは、音楽が素晴らしい、というのがまず第一で、人物の心は、それはある程度は調べて「理解する」という感じ。ヴェルディのオペラ「椿姫」のヴィオレッタ然り。けれど今回のオペラは全く違いましただから、後味が小説や映画と同じなんです。
 最後で、それぞれの心に一区切りつけた三人の主人公が女声三重唱を歌うところは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」のラストの三重唱のように、オペラならではだなあ、と思いましたが。そして劇中でも、合唱の使い方やらだって「オペラならでは」と思ったわけですが、繰り返しですが、後味が映画(や小説)なのです。
 METはの新作オペラでは、昨シーズンの「Fire shut up in my bones」が話題になりました。差別やLGBTとかが重要なテーマでもあり、そのこと自体は「理解」はできた、つもりではありましたが。
 「めぐりあう時間たち」のヒロインたちも、実はみんな!LGBT。そういう点では今の空気も取り入れていますが、それはあくまでたまたま、に過ぎないので、本質的なテーマではないんですね。あとで振り返ってみたら、あの日、人生が変わった、という1日を扱っていて、それは世界のどこでも、誰にでも起こりうることなのです。だから自分と重ね合わせて、響くんですね。
 上映は残念ながら今日までですが、東劇では3週間やっていますので、ご興味があればぜひ。

 


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