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引っ越し

私が引っ越しのために再びウィーンへもどったのは9月も半ばに近かった。
母も、日本で心配しているよりはと言って私について来た。
[ついて来た]と何気なく書いたが、母にとっては命がけの決断とも言えるものだ。
なぜかといえば、母は大の飛行機嫌いで東京~札幌間の飛行機の中ですら、まるでジェットコースターに乗っているかのように私の手を握りしめたまま、心配になるほど見を固くしているのだから。
そんな状態が12時間もの間続くかと思うと私の方まで気が重かった。

ウィーンでは山のような引っ越しの支度が待っていた。

私がウィーンで住んでいたアパートは19世紀の建物で、大家さんは八百屋のおじさんのように威勢のいい、おもしろい人だった。
彼の美男の息子が私と同じ階に住んでいて、冷蔵庫の調子が悪かったりすると、やって来て直してくれたりした。
住人には音大生が多くて、廊下に出ると必ず誰かが練習している音が聴こえた。

税金対策とかなんとかで、通りに面した各階の階段室の窓は割れたままにしてあり、誰かが置いていったピアノが公共の廊下の隅にまるで粗大ゴミのように放置されており、立派な蜘蛛の巣で覆われていた。

一般的に白やクリーム色で美しく塗装されているウィーンのアパートの中で、この建物だけが塗装も剥げてどす黒く、幽霊船のような外観をしていた。

人なんか住んでいそうには見えないのだが、中からはいつもバイオリンやピアノの音が漏れている、そんな建物だった。

今でも街角からかつらを付けた宮廷音楽家がひょっこり顔を出しそうな街の雰囲気だから、こんな音楽家の幽霊が棲み付いたようなアパートがひとつくらいあってもおかしくはないだろう。

(続)

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