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雪ノ下 善子の日記 (四月前半)


四月一日(木)

曇り。朝起きると顔にシーツの跡がついていた。
ただれたような様が何とも情けない。
いつもより念入りに髪を梳かすなどして回復を待った。


四月二日(金)

晴れ。帰り道、電車に乗るタイミングがギリギリだった。
あれだけアナウンスで「車内なか程までお進み下さい」と言われているのに、何故 皆 入口付近に固まるのか。


四月三日(土)

雨。休日なのに布団が干せない苛立ちを、
クロスワードパズルで紛らわしていたら、
いつの間にか眠ってしまっていた。
昼寝でつく寝癖は、いつも以上に怠惰だ。


四月四日(日)

晴れ。朝から洗濯もはかどり気持ちよし。
天気がよいと公園に行きたくなるが、
自然光の読書はあまり好きではない。
発想を変え、普段手をつけない太宰治を持って出掛けた。
帰りに寄った喫茶店は酷いもので、
日記に書くのも忌々しい。明日、詳細を書くことにする。


四月五日(月)

曇り。月曜日の忙しなさが好きだ。
だのにあの喫茶店ときたら、なんだろう。
近頃は前会計が当たり前かもしれないが、
お席でお待ち下さいと言っておきながら
最終的には取りに来いと言う。

全くやってられない。
席で待ってましたと伝えるも「お待たせしました」の軽薄な笑みしか返ってこなくて呆れた。
あれがおもてなしなら、私は何に金を出したというのか。


四月六日(火)

晴れ。ゆうげに魚を焼く。
ぱり、と音がしたので慌ててグリルを引き出す。
台所の鏡面に映った私は、母にとても似ていた。
真っ白な大根に醤油を垂らす罪悪感は、父に似たのだろう。


四月七日(水)

晴れ。風呂上がりにどうしてもブラームスが聞きたくなり、
夜半なのでヘッドフォンを出した。
まだ湿り気の残る頬にクッションがあたるも、
聞き入るうちに不快感は消えてゆくのだから不思議だ。


四月八日(木)

晴れ。チュン、チュン、チュンと鳴く雀の声に起こされ、まどろみのなか障子の向こうに雀がいる夢をみた。
チュンという音には少し濁りがあり、実際は「ヂュン」。


四月九日(金)

雨。金曜日の浮き足立った空気が苦手で、
ぐっと重たく心持ちを確認しないといけない。
皆が風船のように笑っているのを、
冷ややかな目で傍観する。それが私の金曜日。


四月十日(土)

晴れ。昨晩はブツ、という音と共にシーツに穴が空いた。
裁縫箱を探していると、
納戸に幾重も重なった蜘蛛の巣があると気付く。
雑務は雑務を呼ぶ。穴も巣も片付ける。

四月十一日(日)

晴れ。図書館にて、子供がぐずっていた。
私とて人の子、昔は閉館間近の建物に居るだけで
なぜだか無性に恐ろしくなったものだ。
あの頃 父が買ってくれたサイダーがまだあるか、
確認しに自動販売機まで向かうも、
既に守衛が入口に立っていたので諦める。


四月十二日(月)

曇り。どんな気持ちだろうと月曜は平等にやってくる。
それを憂う同僚はやはり今日も憂鬱な面持ちで、
金曜日を甘く懐かしんでいる。
そんな暇があるなら仕事をするべき。


四月十三日(火)

小雨。駅前ロータリーにパン屋が出来ていた。
確か老夫婦のクリーニング屋があった場所だ。
みな口々に「あのベーカリーが」と言う。
パン屋はいつの間にかベーカリーと呼ぶらしい。


四月十四日(水)

晴れ。薬局でハンドクリームの試供品を貰う。
正確には断る間もなく袋に滑り込まされた。
どんなものかと皿洗いの直後に塗布。
酷い匂いだった。鼻腔の奥をつく重苦しさ、
エレベーターで異人と乗り合わせた時のような、
甘ったるく、強烈さしか残らない不快な香料。
慌てて浴室で石鹸を泡立てる。
洗っても洗っても匂いは落ちない。
こうなるといっそ風呂に入ってしまいたくなり、
夜の予定が狂ってしまった。
どこからやり直せば良かったのだろう。


四月十五日(木)

晴れ。
昨日のような出来事は、
アルコールで拭くのが最短の解決法だと知る。
香水好きの同僚が初めて役に立った。
匂いは完全に抹消したつもりだが、
同僚の対応が丁寧だったのは、
まだ少し匂っていたのかもしれない。気をつけよう。


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