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【so.】大和 栞蔓[5時間目]

「いまからホームルームを始める」

 三条先生が深刻な表情でそう言って、5時間目のホームルームが始まった。

「せんせー昼ご飯は?」

 さっそく、さっちんが昼ご飯について確認する。わたしも今日はパンを買わないといけないから、それは少し気がかりだった。

「このあと5時間目をその時間にする」

 三条先生は教室に入ってくるとき、小さな紙袋を持っていた。教卓の中にしまったらしいけれど、あれはどう見てもハセベのパンの袋だった。

「ハセベのおばちゃんが帰っちゃうよ!」

「ハセベさんにはさっき5時間目が終わるまで待っていてくれるよう頼んでおいたから安心しろ」

 買いに行ったんだなと思った。大人ってずるい。

「マジか~。じゃあ5分でおわろ!」

「そうはいかない。君たちに聞きたいことがあるからだ」

 これは長くなるやつよね。何かこっそり食べられるものを忍ばせておけば良かったと思った。

「こないだ面談やったじゃないっすかー」

 イズミンが言う。わたしが1時間目に受けたやつだ。

「年末の件はもういいんだ」

 サトミちゃんのことじゃないなら良かった。あとはわたしは無関係だもん。

「いいってどういうことですか」

 埋田さんが聞き返した。

「…えっとな、さっき人体模型が落ちてきたな」

「山浦が犯人ー?」

 イズミンが言う。わたしの不思議に思った山浦の不在が、周りにも拡がっているのを感じる。

「…まだ分からない」

「三条先生、でも、山浦さんだけいません」

 委員長までそう言った。

「…そうか」

「山浦さん、面談のあと、怒って帰ってきましたけど」

 埋田さんがこういうときには珍しくよく口を開く。山浦と仲が良いから、友だちが疑われるのが許せないって感じなんだろうか。

「えっとな、山浦の件はあとで説明するから、まず俺の話を聞いてくれ。君たちの中で、裏サイトってものを知ってるのは何人くらいいる?」

「何それー」

 さっちんが適当な相づちを打つ。裏は分かるけど、サイトってなに?

「匿名で誰でも書き込めるネットの掲示板のことなんだが、このクラスの掲示板もあってだな」

「先生」

「なんだ」

 ナオが普段じゃ考えられないような、弱り切った声で言った。

「もう、郷さんのことがあって、さっきの人体模型落とすような酷いことがあって、これ以上、刺激の強いこと、やめてください…」

「いや、なんというか」

「先生、先生、ほんと、ワタシ、つらい…。さっきから気持ち悪くて吐きそうなんです」

 そう言ったあと、ナオは吐く真似までした。前にVoiTuboの動画で見た「リアルに見える吐く真似」ってやつにそっくりだった。

「大丈夫か。ちょっと隣の席だから悪いけど、伊村な、細田を保健室まで連れて行ってくれないか」

「…わかりました」

 伊村さんはロボットみたいな声を発して、ナオに肩を貸してゆっくりと教室から出て行った。

「他の者も気分が悪くなったりしたら、遠慮せず言うように。それで…どこまで話をしたか…」

「このクラスの裏サイトについてです」

 委員長があんなに真面目で、吹奏楽部の人は大変だろうなと思った。わたしのバドミントン部も橋本とわたししか2年生はいないから、もうすぐ3年生から部長を任命される。間違いなく、橋本になるんだろうなと思った。

「そうだ。えー、実は先生は前から裏サイトの存在を知っていたんだけれど、取り立てて問題視はしていなかった。でもな、今日の書き込みの中に、看過できないような物があったんだ」

「カンカってなんですか?」

 正恵が尋ねる。感化じゃないの? そんな言葉も知らないのか。

「殺害予告じみたものがあったんだ」

 ん。感化とは違うのか? カンカって、殺害予告を意味する言葉なのかな。

「ひっ」

 つぐちゃんが小さな悲鳴を上げたのをわたしは見逃さなかった。ああいう天然と思われるような振る舞いがあざといんだと思う。

「いいか、ちょっと気分を悪くする者もいるかもしれないけれど、読み上げるぞ。…やってやるやってやるやってやるよ見とけよ。この書き込みが午前中の最後の書き込みだ。そして人体模型が落ちた」

「じゃあ山浦が書き込んだんだ!」

 イズミンは山浦のせいにしたがる。山浦の肩を持つつもりはないけれど、イズミンはただ単に、一刻でも早くホームルームを終わらせたいだけだ、っていうのはよく分かる。

「…あくまで可能性が高い、推測の話だ」

「推測で犯人扱いするんですか」

 埋田さんが反論すると、和泉が野次った。

「決まりじゃん」

「大事なのはな、この後なんだ」

「先生ソレどうやって見んの?」

 のりんが言った。あの人、絶望的に機械に弱いからなぁ。

「わざわざ見なくてもいいぞ。今から読み上げる。…えーと、田口、お前の名前が出てくるからな」

「は? ワタシ?」

 今まで無関係だと高をくくっていたらしいヨシミは、驚いたような声を出した。さっきのヨシミの発言、あれは実にヨシミらしい言葉だったけれど、求心力を喪わせるには十分な破壊力だった。

「えー、行くぞ。…田口もたまにはいいこと言うわ。ホント死ねば良かったのに」

「何だよそれ! ふざけんな! 誰だよ!」

 ヨシミは全員を睨んで見せる。そんな凄んだって「私だよ」って名乗り出るやつがいるわけないだろ。

「落ち着いてくれ。次にもうひとつ書き込みがあって終わってるんだが…読むぞ。…それじゃあまずあんたから殺してやるよ。特定したぞ」

「きゃああ!!」

 つぐちゃんがさっきよりも大きな声で叫んだ。そういう女子女子した振る舞いが好きな男ととっととくっついて、ハナスのモデルはわたしに譲って欲しい。

「せんせーもうやめよう。怖いよ」

 野田も言う。何の話題でもいいけれど、お腹が空いたからやめるのには賛成。

「書き込みはここまでだ。俺だって全員を集めてこんなの読みたくなかったけどな、殺害予告があったらもう事件になるんだ」

 事件? 書き込みだけで?

「じゃあ、今から犯人捜しをするんですか?」

 委員長がそういう映画みたいなことを言う。わたしじゃないから、どうでもいい。

「別に魔女狩りをするんじゃないんだ。ただ、起こるかもしれない事件を阻止したいだけなんだ。だからみんなには衝撃的だったかもしれないが、明らかにした。それで聞きたいんだが、この書き込みに心当たりはないか?」

 そんなこと急に言われても。横目で周りを見回してみたけれど、誰も動かない。声を上げない。静かな昼下がりの寡黙な教室。

「まあ、自分が書き込んだとは名乗り出たりしないよな。じゃあ、その一つ前の書き込みのことが分かる者は?」

「ジョーさー、すっげ気分悪いんだけど」

 ヨシミがうんざりしたように言う。

「保健室行くか?」

「そういうのじゃねーんだよ!」

 気持ちは分かる。自分の問題発言を掘り起こされなきゃいけないのは、苦痛と言うほかない。そんな発言をしなかったら良いだけだけど。

「この発言に心当たりは?」

 ヨシミは何も答えない。

「ヨシミちゃんごめん。先生、これは、さっきの体育館からの帰りの廊下での発言です」

 ジンさんが代わりに答えた。ちぇっ。

「ついさっきじゃないか。何があったんだ」

「もういいって!」

 ヨシミの恫喝も気にせず、のりんが説明を始めた。やっぱりわたしはさっきの選択が正しかったんだと嬉しくなった。

「山浦だけがいなかったから、人体模型を落としたのが山浦じゃね?って話になったら、ヨシミが言ったんす。ホントに死ねば良かったって」

 思い返してみても、あれは引く発言だった。擁護は出来ない言葉だった。

「そしたら埋田さんが来て、ヨシミにビンタして」

「本当か埋田」

 三条先生は驚いて埋田さんに尋ねた。

「言いたくありません」

 ぶっきらぼうに言った埋田さんに、ヨシミが噛みつく。

「しただろうがよ!」

 また教室は静寂に包まれる。革命が起こったらすぐに禅定されるわけではないんだなと思う。三条先生はエヘン、と咳払いをひとつした。

「それでだな」

「ねえ先生、この書き込みした人は、あの場で、会話が聞こえる位置にいた人ですよね。私は離れたところ歩いていたから、埋田さんの言ったことしか聞こえなかったです」

橋本が探偵気取りなのか、推測を口にする。あの女、暇さえあれば推理小説読んでるからな。

「じゃあ、その時、田口の周りに誰がいたか、誰か覚えてるか?」

 先生がそう問いかけると、のりんやジンさん、キミちゃんあたりが次々に応えた。

「あたし、つだまる、やまち」

「私と、細田さんもいました」

「私とさっちんはいたし、他にも何人か歩いてたよ」

「私覚えてねーけど」

 さっちんが言う。

「おめーはパンのこと考えてたからだろ!」

 さっちんが食べ物以外のことを考えている時があるのか、むしろ教えて欲しい。

「他にこの会話を聞いてたっていう者は?」

 先生が問いかけると、埋田さんが黙って右手を挙げた。

「せんせーさー、最後の書き込みしたやつを特定しないといけないんじゃないの?」

 イズミンが分かってるのか分かってないのか、適当なことを尋ねる。

「それが難しいから、狙われそうな方を特定した方が防げるってことじゃない?」

 橋本が説明して、そうだよなと思える。ヨシミの発言を聞いていて裏サイトに書き込むような暗い奴を突き止めればいいんだ。

「ああ、そうだ。だから今、田口の発言を聞いていた者を探してるんだ」

「えーじゃあジンさんが殺されるかもしれないってこと?」

 さっちんが鼻をほじりながら言うと、誰かが瞬発的な悲鳴を発した。

「嫌っ!」

 周りを見回してみたけれど、誰なのかは分からない。でも、ジンさんのことを好きな奴の仕業だろう。女が女を? 女同士で? ちょっと理解が出来ない。

「好き勝手に発言するなー。いまこうやって全員集めているからそんなことはさせない」

「山浦が殺しに来るんでしょー?」

 イズミンが悪ふざけで言う。

「黙れ!」

 あーあ、怒られちゃった。なんか泣いてる人もいるし。誰?

「…悪い。ちょっと先生も初めての事態で焦ってる」

「三条先生。この、殺害予告をした人物は、郷さんも殺したって事は考えられないんですか?」

 委員長が怖いことを言い出した。

「郷は自殺なんだ」

「何故そう言い切れるんですか?」

 三条先生は済んだ話を蒸し返されるのがウンザリといった様子で、面倒くさそうに言った。

「理由がない」

「理由なら、終業式の前の日に、郷さんのヘアピンがなくなる騒ぎがあったじゃないですか」

 埋田さんが言った。

「何それ。そんな話、初めて聞いた」

「えっ、ヘアピンって…何? どゆこと?」

 委員長と正恵が言う。あのときいなかった人は知らないことだけれど、面談でもその話はされなかったんだ。もうみんなに明かした方がいいんじゃないかと思ったから、わたしはゆっくりと説明した。

「終業式の前の日のね、4時間目の体育の後、サトミちゃんがね、ヘアピンがなくなったってパニックになったの」

「初めて聞いたんだけど。えっ、みんな知ってたん!?」

「私も知らなかった」

 正恵と月山さんが声を上げる。

「その時教室に残ってた者だけが知っていることだ」

 三条先生がそう言うと、ヨシミが怒ったように言った。

「ちょっとワタシも知らないんだけど!」

「あのね、サトミちゃんが、あの日休んでたヨシミちゃんには黙っててって、何回も言うから、みんな言えなかったんだよ」

 サトミちゃんに懇願されたけれど、彼女はもういない。真相を伝えたっていいだろう。

「じゃあ、郷さんそれが理由で自殺したわけ!? 盗まれたってこと?」

 正恵が驚いた声を上げる。

「落ち着けって。みんなも知ってるように、次の日の朝に大和が、郷を発見して俺に知らせてくれた。それで警察を呼んで遺体を調べたら、制服のポケットにヘアピンが入っていたのが分かったんだ。それは葬式の時に、田口にも確認してもらったよな?」

 三条先生が、ヨシミにではなく、みんなに言い聞かせるように言った。ヨシミは何か独り言を言った。

「え。っていうことは、盗まれてなかったってことですか?」

 野田さんが言う。やっぱりそこが違和感を覚えるところなんだよね。

「だからな、みんなに面談で話を聞いたけれど、いじめがあったわけじゃない。郷の遺書が残っているわけでもないから理由は分からないけれど、ヘアピンを盗まれたのが理由じゃないってことは、確かだ。ご家庭の事情のことまでは踏み込めないけれど、それが理由なんじゃないのか」

 面談のときと全く同じ。結局先生は何がしたかったんだろう?

「せんせーこのホームルームいつ終わる? もう腹がぺっこぺこなんだけど!」

 さっちんが言う。わたしも何か食べたい。

「もうちょっと我慢しろ。まだ5時間目の最初だろ」

「もーむりー」

 さっちんは机に突っ伏してしまった。

「みんな協力してくれ。そしたら早く終われる。他に何か、思い当たることはないか?」

「サトミのこと?」

 のりんが聞くと、先生は否定した。

「いや、書き込みのことだ」

「先生。あの」

 つだまるが不安げに言う。

「なんだ、津田?」

「さっき、体育館の裏で、猫が死んでて…」

「それ何の関係があんだよ」

 イズミンが食ってかかった。

「あたしも一緒だったけど、猫が殺されてたっぽい」

 のりんも一緒だったのか。あいつら選択授業サボったんだな。

「どうして分かるの?」

 委員長が尋ねる。

「誰かが猫を拾ってきて、体育館の裏に段ボールで家を作って飼いだしたの。で、みんなで餌をやったりしてたから」

「ちょっとそれ顧問の先生が許可したの?」

「今そんな話じゃないっしょ委員長。その猫が、変な物食べさせられて死んでたのを、さっきあたしとつだまるで見つけたの」

 委員長って少しでもルール違反した人に対してすぐ目くじら立てるなあ。

「それはいつの話だ?」

 先生が聞いた。

「昼休みの前」

 やっぱり選択授業のときか。

「昨日の放課後は猫ちゃん元気にしてたのに…」

 つだまるは泣きそうにつぶやいた。

「だからさあ、猫と殺害予告と何の関係が」

 イズミンはいつまでも終わらないホームルームにイライラしているようだ。

「あのね、猫を殺した人間って、だいたい次に人間を狙うの」

 橋本が解説すると、つぐちゃんが声を上げた。

「もうやめてよぉぉぉぉ」

 そう叫ぶとつぐちゃんは耳を塞いでしまった。

「待って、体育館の裏?」

 今度は曽根さんが口を開いた。

「うん、バスケ部の部室の裏」

「…あの、何の確証もない、ただ見かけただけの情報でもいいんですか?」

 曽根さんに尋ねられた三条先生は、淡々と言った。

「それは聞いて判断する」

「朝に、体育館裏から伊村さんが一人で歩いてくるの見たんです」

 え、彼女は運動部だったでしょ。

「伊村は弓道部だろう? 部室から出てきたんじゃないのか?」

「だって私、弓道部の部室から出てきて見かけたんです」

 それは変だ。というか怪しい。伊村さんが猫を殺…しそうだなぁ…。

「先生さー。この写真、おかしくない?」

 正恵がいつのまにかデジカメをいじくりながら言った。

「何か撮ってあるのか?」

「私、卒業式前日の、体育の授業の前に、適当に写真撮ってたんだけど」

 そう言うと席を立った正恵は、デジカメを持って教卓まで歩いて行く。ヨシミと埋田さんもそれを見に行った。

「…なんだこれは」

 三条先生は困惑して言った。

「だから体育の前だって。ナオがヘアピンをポケットに入れる所が写ってるんだけど、これサトミちゃんの机なんだよ。私も今朝、栗原がこの写真をパソコンに表示するまで気がつかなかった」

「ナオがやってんじゃん!」

「盗んでたんだ!」

 ヨシミと埋田さんも興奮して声を上げる。あんなにみんなで探したヘアピンを、ナオが盗んでたって? ヤバいんじゃないの、さすがに。

「…いや、でも、首吊った時のポケットには、入っていたんだぞ? 何かの間違いだろ」

 そうだ、ヘアピンはあったんだ。じゃあ、どういうこと?

「先生。郷さんの遺体の第一発見者なんですけれど、大和さんだけじゃないでしょう」

 橋本が声を上げてびくっとした。さっき白状させられたことだ。

「…何を言ってるんだ?」

 困惑している三条先生を尻目に、橋本はわたしへ振り向いて尋ねてきた。

「ねえ、そうなんでしょ?」

 もう終わった話じゃなかったのか。なんでこんなみんなのいるところで惨めな思いをしなければいけないんだ。悔しいけれど仕方がない。わたしは観念して真実を述べた。

「…ハァ。そう。わたし、終業式の朝、下駄箱で出会ったナオと一緒に教室に入ったんで、ふたりでサトミちゃんを見つけたんです」

「おい! なんでそんな大事なこと黙ってたんだ!」

 三条先生が怒鳴ってきてびっくりしたら、ヨシミがそれに食ってかかった。

「あんただってヘアピンのこと黙ってただろ!」

「うるせえっ!」

 なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかな。ナオが悪いんだ。

「先生。怒鳴るのはやめてください。それで大和さん、だったら終業式の朝、あなたが先生に知らせに行っている間、細田さんはどうしてたの?」

 委員長が今度は尋ねてきた。そのとき、そういえばナオはどうしてたんだっけ。

「え、考えたことなかったけど…。なんか、わたしの手柄にしたらいいじゃんって言うから、わたしが先生に知らせに行って、先生と戻ってきた後に、初めて見る感じでナオが教室に入ってきた」

「…つまり、大和さんが先生に知らせに行っている間に、細田さんは前の日に盗んだヘアピンを、郷さんの遺体のポケットに戻すことだって出来たわけですよね?」

 橋本が顔を前に戻して言った。ナオ、そんなことしてたの? わたしを利用して、そんなことやってたの?

「じゃーナオがサトミ殺したってことじゃん!」

 イズミンが声を上げると、今度はヨシミに叱られた。

「さっきからうるせーんだよおめーはよ! じゃあなんでワタシがサトミを殺したって噂をあんたが流したことになってんだよ!」

「だからそれは、ナオがわたしのせいにしたんだって」

「証拠があんのかよ!」

「あの、証拠なら、保存しております」

 誰? その声のした方を見ると、最下層のメガネの人がなんか真面目な顔していた。

「…は? なんであんたが出てくんだよ」

 ヨシミが一瞥して言った。

「す、すみませぬ」

 ビビってるじゃん。情けな-。

「証拠ってなに? 教えてよ」

 イズミンは猫なで声ですり寄った。

「は。ええと、今日の1時間目のあとに、拙者、雪隠へ赴いたのですが…」

「さっちん?」

 キミちゃんが反応すると、さっちんがさらに反応する。

「パン食いてー!」

「うるさい! そんで?」

 イズミンはマジだから、ふたりの掛け合いがウザいらしい。

「ええと、個室の中で、たまたま、たまたまなんですが、私、音声を録音できるアプリを作動させまして…」

「ちょっとコイツ何言ってるかわかんねーんだけど」

 ヨシミがイライラして声を上げる。わたしも、何の話なのかさっぱり分からない。

「誰かの会話を録音したってこと?」

「さよう。これをお聞きください」

 変なしゃべり方の人のスマホから、ナオの愉しそうな声が再生された。

「サトミちゃんのことでしょー? なんかいずみちゃんが言うには、ヨシミが犯人とかって噂があるらしいよ? 怖くない? 信じられなくない?」

 曲がりなりにも死体の第一発見者の癖して、よく無責任にこんなこと言えるなと思った。まともじゃない。まともじゃなきゃ、ヘアピンを盗んで、死体を前にして何気なく元に戻すなんて芸当もできない。イズミンは疑いが晴れたとばかりに興奮した声を上げる。ヨシミは今の音声が本物か疑っているけれど、本人以外にこんなこと言えるわけがない。

「ナオがイズミンのせいにしようとしてたのは分かったよ。でも、なんでそんなことしたんだ?」

 のりんが疑問を口にすると、橋本が推理した。

「細田さんが、自分への疑いを反らしたかったんじゃ、ない…かな?」

 なんだか色んなことが繋がっていくような感じがした。ナオが裏で暗躍していたんだ。

「っていうことは、サトミちゃんが死んだのは、細田のせい?」

 埋田さんが不安げに言う。

「静かに。仮にそうだとしよう。俺がいま問題にしているのは、裏サイトで殺害予告がされたことだ」

 三条先生はもう、サトミちゃんのことを掘り返したくはないらしい。まだ何か隠していることがあるんだろうか。

「先生、この、ヨシミについて書き込んだのって、ナオなんじゃない?」

 つだまるが言う。それにイズミンも乗っかった。

「ありうる。つーかさー、このログ読み返してると、明らかにナオの書き込みって、分かるよね」

「あたし何が書いてあんのかわかんねーから説明してくんねー?」

 のりんはスマホで裏サイトを確認するなんて出来そうもないから、解説を求めた。

「ログを見ると、サトミの自殺の後から、やたらそれを茶化すような書き込みがあって、それがナオだと仮定すると、異常にしっくりくる」

 イズミンが解説すると、それを聞いた橋本がぽつりと言った。

「じゃあ、最後の書き込みの特定したっていうのは、細田さんだと特定したってこと…」

「狙われるのは、細田ってことか!」

 先生が大声で言った。

「先生! 伊村さんが細田さんを保健室に連れて行って、どれくらい経ちますか!」

 委員長も焦ったように尋ねる。そうか、猫を殺した伊村さんには、人間を殺そうと思ったらナオなんてちょうど良い標的になるじゃないか。さっき保健室へ連れて行ったのって、まずいんじゃないの? そう思っている間にも、橋本とジンさん、佐伯さんが席を立って教室を飛び出していった。わたしは、のりんが席を立ったのを見逃さなかった。絶対、別のこと考えてるでしょ。今が絶好のチャンスよね。わたしも慌てて席を立って、廊下へと急いだ。

「パン買いに行こう」

 廊下へ出るとのりんが言った。イズミンも出てきて言った。

「もちろん!」

「のりん、さすが~」

 わたしは本心からそう言った。つだまるも来るかなと思ったけど来なかったのは少し意外だった。お弁当持ってきてるからかな。パン組のわたしたちは、他の学年が買いに来る前に良いパンにありつけそうだ。保健室のある方へ走っていく橋本たちの背中を横目に、わたしたちは別の階段を降りて校門へ歩いていった。
 昼下がりの校庭には誰もいない。海からの北風が冷たく吹き抜けていく。非日常の時間に、正門の脇には日常のようにハセベのパンのバンが停まっていた。

「おばちゃん、フィッシュカツは?」

 のりんがハセベのおばちゃんに声を掛ける。

「あー、さっき三条先生が買っていったので最後なのー」

「ヤロー、いつの間に」

 イズミンが文句を言う。

「さっきのホームルームのとき、紙袋持って入ってきたもんね」

 みんな見てなかったのかな。のりんは並んでいるパンを一通り見てから注文した。

「じゃあ、焼きそばパンで」

「わ、炭水化物」

 思わず口にしてしまう。

「なに、あんたダイエットしてんの?」

 イズミンに噛みつかれた。

「してないけどぉー、気にはなるというか」

 言い訳したけれど、バッチリ気にしてるに決まってるでしょ。あんな炭水化物オン炭水化物なパンなんて食べられない。

「わたしメロンパンにしーよお」

 イズミンは砂糖たっぷりな菓子パンを選ぶ。わたしはなるべく軽そうなサンドイッチを選んだ。

「ハムサンドください」

 それぞれパンを買って、脇の自動販売機で飲み物も買って、ちょっと歩いてグラウンド脇のベンチに腰掛けた。

「結局、サトミは何で死んじゃったの?」

 のりんは焼きそばパンを食べながら言った。

「わたしに分かるわけねーじゃん。別にあの子とそこまで仲良かったわけでもないからよく知らないもん」

 イズミンがメロンパンにかぶり付きながら言う。

「サトミちゃん、誰が仲良かったんだっけ?」

 わたしが尋ねると、のりんが答えた。

「ヨシミ。あと山浦と埋田?」

「いじめとかないよね」

 なかったと思うけど、わたしの知らないところであったんだろうか。

「ねーよ。家の事情か、進路の悩みじゃねーの?」

 イズミンは興味なさそうに言う。

「何部だったっけ?」

 わたしはさらにのりんに尋ねた。

「サトミ? 演劇部じゃなかったっけ」

 そうなんだ。なんだかサトミちゃんが部活へ行っていた印象がないんだよな。

「なんで今さらサトミのことそんな考えてんだよ」

 イズミンは嫌そうに言った。

「いや考えちゃうっしょ、さすがに」

 のりんはイズミンの味方をしない。

「のりんまで、つだまるみたいに自分を責めてんの?」

 ヘアピン騒ぎのとき、イズミンつだまると一緒になってサトミちゃんを責めたんだ。その次の日にあんなことになって、つだまるは酷くショックを受けていたみたいだけれど、イズミンはそんな感じがなかったから、変だなとは思っていた。

「あんたはちっとも悪かったとか思ってないのかよ」

 のりんがイズミンを責める。

「いや、言い過ぎたなーとは思うけど、まさか死ぬとか思わないじゃん」

 あまりに無責任な発言に、思わず嫌みが出てしまう。

「誰も思ってなかったよね」

 わたしはハムサンドをかじって、ゆっくりゆっくり、回数を数えながら噛みしめた。しばらく間が開いて、のりんがしみじみ言った。

「人が死ぬときって、そんな感じなのかね」

「ナオ、大丈夫かな…」

 さすがにナオのことが少しは心配になって口にした。

「大丈夫っしょ。何人も走っていったんだし」

 イズミンがまた無責任にそう言ったとき、遠くでナオのような悲鳴が聞こえた。

「大丈夫じゃねーだろ」

 のりんが立ち上がり、駆け出した。わたしも慌ててハムサンドを口に放り込んで立ち上がり、後を追う。

「待って!」

 あれは体育館の方だろうか。のりんの背中を追いかけながら、失敗したと思った。イズミンと残されるよりものりんといた方が怖くないと瞬時に思ったのだけれど、よくよく考えると、現場へ向かう方が怖いじゃないか。振り向いてもイズミンの姿はない。冷たいんだなと思った。
 体育館の脇を走り抜けて裏側へ回ると、伊村さんたちの姿が見えた。向こう側からも誰かが走ってくるのが見える。

「ナオ、大丈夫?」

 わたしは三条先生の側でうずくまっているナオへ近づいた。

「痛いよぉぉぉ!」

 ナオはどこかを切られたみたいで、真っ赤な血が出ていた。

「伊村お前何でこんなことしたんだよ!」

 のりんが大きな声で言う。

「綺麗な鏡を割ってみただけさ」

 伊村さんが訳の分からないことを返すと、その場にいたさっちんが驚きの声を発した。

「お前マジか!」

 伊村さんはさっちんをチラリと見ると吐き捨てるように言った。

「豚は五月蠅いな」

 キョロキョロするさっちんの頭をキミちゃんが叩いて言う。

「お前だよ」

 向こうから走ってきたタイラーが、その掛け合いを見て笑い出した。

「ちょっと…タイラー」

 一緒にやって来た橘さんがそれを諫める。

「ポンコツ揃いだな」

 伊村さんは嫌味を言う。三条先生がナオをわたしに託すように立ち上がり、みんなに聞こえるように言った。

「いまこの場にいる全員、ひとまずこのことは黙っておいてくれるか?」

「…はぁ?」

 キミちゃんが大げさに聞き返す。

「何言ってんの先生ぇ警察! 警察呼んでよお! 痛いよおぉ!」

 ナオはパニックだ。どうしよう、救急手当ての仕方なんてわからない。

「これ使って」

 橘さんが駆け寄ってきて、ミニタオルをナオに渡した。ナオがそれを頬に当てると、ベイビーブルーのミニタオルはじんわりと赤く染まっていく。頬を結構切られたようだ。

「このことが公になったら、伊村、お前、真っ当な人生歩めないぞ。それでもいいのか? 先生は、警察沙汰にしてお前の未来を閉ざしたくはない」

 先生は伊村さんへの説得を続けている。

「屑」

 伊村さんは小声だけど、はっきりと言った。

「なんだって? おい何ニヤついてる」

 先生は伊村さんへ食ってかかる。

「先生、本気でそんなこと言ってるんですか」

 橘さんがそう言うと、くるっとこっちを向いて先生は言った。その目は血走っていた。

「本気とはなんだ。先生はいつだって一人一人の事を考えて」

「もういいよ」

 タイラーが強く言った。

「あ?」

 三条先生はタイラーの方へ顔を向ける。

「先生…カッコ悪いよ?」

 凄い。たった一言で切り捨てた。しばらく呆然と立っていた三条先生は、うなだれるように崩れ落ちた。向こうから橋本が、宮本先生を連れて走ってくるのが見える。ナオは苦痛にうめき続けている。いくらサトミちゃんの件で利用されたからって、それで不満に思う気持ちがあるからって、こんな酷い目に遭っては欲しくなかった。顔を切られてしまって、その傷が残らないと良いなと思った。はやく先生来てよ、急いでよ。苦しむナオの横でわたしはもどかしくてたまらなかった。


 クラスのヒエラルキーに変化が起こるのかと思ったけれど、結局変わらなかった。ただ、ヨシミは取り付かれたように勉強を始めたから、置いていかれたのりんやイズミンが彷徨ってる感じだ。わたしも見切りをつけるべきなんだと思った。
 本屋の雑誌コーナーへ行くとハナスの新刊が陳列してあって、表紙につぐちゃんが載っている。べつに悔しいわけじゃないけれど、こんなアホの子でも表紙を飾れる程度のショボい街なんだと思うと、やっぱり東京へ出なければと強く思う。転勤族の父親のせいでこんな地方都市へ住むことになったけれど、高校を出たら東京へ行くんだ。わたしにはもっとふさわしい場所があるんじゃないかと思う。ぜんぜん悔しくなんかない。ただムカつく。ムカつくだけなんだ。

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