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企業や社会が進歩・進化するために何が必要なのか

日本と諸外国を比較してみると、歴史的にも日本が立ち遅れるという場面が多くあることに気づきます。産業革命や明治維新、高度成長、宇宙開発や医療分野、政治システムや教育システムに至るまで、考えてみれば日本社会は、何故か一歩後ろから先行者の後を追うことばかりです。もちろん、そうすることで古き良きを温めることができるという良い部分もあります。しかし、この状態を繰り返す私たちは、一体、何を理解していないことが原因なのでしょう。日本と海外の生活し働いている私の経験から、簡単であっても我々がわかっていないこの理由をまとめてみました。

基本:当たり前のことを当たり前にできる文化

長期に渡って私はMicrosoft本社で勤務していました。10万人を超える社員を抱える大きな会社ですし、入社前のイメージは大企業なので色々な変革や変更は難しい会社なのだろうと勝手に決めかかっていました。ところが入社して直ぐにその思い込みが間違っていたことに気づきます。

働いている職場、チーム、上司の環境や能力に疑問が湧く、批判が溜まるというのは社会人の常ですが、社内では年に1度、チームごとでは年に数回のペースで社員からの無記名アンケートを実施します。そしてそのアンケートの結果によって見える化された問題点と良い点の統計を直ぐに発表し、社員自らも加わってその改善作業をすることになります。また、会社は結果によっては管理職の一団がうまく組織を回していないことがわかると、役員以下の管理職をゴッソリと取り替えることすらあるのです。

また、お客様からのクレームがデータ化された時、クレームの多い順番に製品改良をする優先順位をつけます。そして、多数のお客様の痛みから一つ一つ解決してデータにして出していくのです。当たり前のことと思うかもしれませんが、日本の大企業でこれが当たり前になっている企業を私は知りません。

ここで知っておきたいことは、Microsoftを始めとしてアメリカでの先進的な会社というのは、「当たり前なことを当たり前にできる」ためにあらゆることをします。それは時に人と人の間での尊重を元にした「当たり前なことをしている人を批判しない」ということであったり、「批判でなく建設的な意見で議論し必ず結論を得る」ということであったり、更には「自分の立場や地位を守ることはしない」という信念だったりします。

日本では良くも悪くも、必ず「批判」は付き物だったりします。しかし、その批判力の強さは多くの場合、当たり前のことをしようとする人を阻害してしまうことにもなります。倫理的・社会的に当たり前のことをしようとしている人がいたら、その方法やタイミングを間違えていたとしても、建設的に意見を伝え当たり前をお手伝いする文化というのは、必要不可欠なことでしょう。

第一歩:失敗はつきもの、失敗から学ぶという姿勢

進歩、進化するためには、前例にないことを行うのは必須ですね。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブス、GE創始者のトーマスエジソンなど先進企業を牽引した人たち、マーチンルーサーキング・ジュニアや最近ではオバマ元大統領など人々を導いた人たち、彼らに共通するのは多くの失敗をしていることです。そして社会がその失敗を批判し続けないということが、彼らの成功の大きな要因です。

またMicrosoft本社での例ですが、Windowsでのセキュリティ問題やブラウザーの独占禁止法違反の問題など、会社として数多くの失敗をしました。しかし、その失敗からの謝罪や回復、更には新しいセキュリティ対応の方策の開発など数々の技術が生まれたことも事実です。

アメリカという国は、過去にたくさんの失敗をしています。それは他の国でも同じことでしょう。しかし、その失敗から学びを得て次のステップに繋ぐという姿勢は一貫しています。核の問題や戦争、技術のドーナツ現象や教育問題など、この国は数々の失敗を学びに変える力に満ちています。

失敗が起きなければ、何も生まれないということをわかっている社会は、寛容な社会になります。寛容な社会は、新しいことに挑戦して失敗することを当然のこととして、子供から大人まで失敗して学ぶ、学びを生かして前に進むという雰囲気作りがなされます。ビル・ゲイツは、革新に一番大切なこととして「人に笑われたり批判されること」と言い切っています。こうしたことが無いと革新的なことはできないからです。

第二歩:「80・20ルール」、「”完璧”は”うまくいった”の最大の敵」

アメリカで物作りをしていると必ず出てくる言葉は「80・20ルール(eighty-twenty rule)」です。これはルールというよりも、教訓に近い形で使われます。簡単に言えばものを作る時、革新的なものを生み出そうとするとき、最初の80%はそれほど時間がかからずに作り上げることができます。しかし、最後の20%には莫大な時間がかかり「完璧主義」に徹すると革新のスピードが弱まってしまう、という意味です。人間が革新を遂げるには、とにかく最初の80%を作り、残りの20%に費やす時間があるならば、それは次のものへの80%に使おうという教えです。

同時によく使われる言葉は「”完璧”は”うまくいった”の最大の敵」というものです。これは、80・20に似ているのですが、完璧主義を貫くと、そもそもの目的を達成するどころか「こだわり」ばかりが強くなって、本来の目的をある程度達成するということに至らないことが多いという意味です。

日本とアメリカでソフトウェアやオンラインサービス作りに携わると、この違いがとても大きいことがわかります。現行バージョンの完成度を上げようとするのが日本流、次のバージョンに前の教訓を生かしつつ新しいものを追加しようというのがアメリカ流です。結果を見ると明らかですが、ソフトウェアにしてもハードウェアにしても結局革新的なものが世の中へ送り出され、世界で広く使われるのはiPhoneやアマゾン、ウーバーやWindowsなどアメリカのものが多くなってしまいます。

おわりに

この内容を「理想論だ」と片付ける人もいるでしょう。しかし、その理想を追わないその言葉が日本の進化を殺してしまいかねないことをわかっていたいですね。また、日本には日本の良さや日本流があると仰る人もいるでしょう。それは間違いないことですが、だからといって進化を諦める理由にはならず、良いバランスを見つけることこそが本来の日本流であり、日本の国力・競争力の向上に繋がるはずです。そうしているうちに、周辺国にどんどん追い抜かれている現実も、私たちは直視しなければなりません。私が個人的に心配しているのは、このコラムで書いた基本とステップを、日本のお隣の中国や台湾がきちんと理解していること、その上で物作りやサービス、そして政府づくりに至るまで行なっている事実です。日本の未来に責任をもち、今生きている私たちの世代がこうした「理想論」や「日本流」に囚われることなく前に進みたいものです。

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