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所長コラム⑯自己言及のパラドックス


●嘘つきのパラドックス

 「嘘つきのパラドックス」と呼ばれている言説があります。有名なのが「エピメニデスのパラドックス」または「クレタ人のパラドックス」と言われるものです。

 新約聖書には、ギリシャのクレタ島クノッソス出身の哲学者エピメニデス(紀元前600年ごろ)が言ったとされる「クレタ人はいつも嘘をつく」というパラドックス(逆説)が取り上げられています。
 自分自身がクレタ人であるエピメニデスが「クレタ人はいつも嘘をつく」と言った場合、クレタ人であるエピメニデスのこの言葉も嘘になります。つまり、「クレタ人はいつも嘘をつく」ということが嘘になるので、要は「クレタ人はいつも嘘をつく訳ではない」ということになる、というのがパラドックスの内容です。

●自己否定的な相談者の言説

 これは、「自己言及のパラドックス」とも言われますが、カウンセリングの場面などでもよく出会う言説です。
 私も以前、「自分は何をやってもダメだから生きてる資格がないんです」と相談に来られた方と何回かやりとりさせて頂いたことがあります。「どこに行ってもうまくいかない」と繰り返し、「もっと、人に認められるようになりたい」という思いが語られました。このように、否定的に自己言及をされる相談者は少なくありません。

 例えば、「自分は嘘つきだ」と思っている人が、「正直な人間になりたい」と希望して相談に来たとします。
 相談者が本当に嘘つきだったら「正直な人間になりたい」という希望も、嘘になってしまいます。一方で「正直な人間になりたい」って希望が正直な気持ちだったら、「もともと嘘つきじゃない」ってことになると思います。

●未来を見据える際の立脚点

 「嘘つき」という自己認識に立脚したままで、「正直になりたい」という未来像を見据えると、その実現も難しくなってしまう気がしています。つまり「自分はダメだから、しっかりしたい」「自分は素直じゃないから、素直になりたい」など、自己否定的な土台のもとに未来の目標を立てると、その目標自体もやや脆弱なものになってしまう気がします。

 自己言及のパラドクスに対しては、集合論的観点など様々な指摘がありますが、素朴に人に当てはめたとき、「私は嘘つきなんです」という人も常に嘘つきな訳でなく、「私はダメなんです」という人も、常にダメな訳ではありません。
 未来像を描いていく際は、「自分は嘘つきだ」「私は何をやってもダメだ」という自己否定的な立脚点に立ったままではなく、どういうときに自分は嘘をついていないか、どういうときは自分はダメではないかを理解して、そのうえでビジョンを言語化していくことが大事なのではと感じています。

■著者プロフィール

松本 桂樹(まつもと けいき)
ビジョン・クラフティング研究所 所長
神奈川大学 客員教授

臨床心理士、公認心理師、精神保健福祉士、キャリアコンサルタント、1級キャリアコンサルティング技能士、健康経営エキスパートアドバイザー、日本キャリア・カウンセリング学会認定スーパーバイザー。