自己嫌悪で苦しいから根本を探る

とても苦しい。
自分の「赦せない」という感情を赦せないターンに入ってしまったので。


そういう欠点を含めて「それが自分だよなあ」と受け入れている・諦めているから、実は自己肯定感が高いのでは?とかいう記事を先週書いていたのに、割とその直後くらいに「赦せない!」感情が爆発してしまった。
約一週間ずっとその自己嫌悪でぐるぐるしている。


なので、この私の感情はどうして生まれるのか、そもそもどうしたんだ?お前?という視点で整理して浄化を試みようと思う。


そもそも私が「赦せない」と思うのは、「自分のために他者を生贄にする行為・言動・考え」なのですが、その幅が超狭いと思う。

特に「考え」が入っているところ。
「そういう人なんだろうな~」と匂ってくる何気ない言動で、そういう人間性が自分に感染することを怖れて、心のシャッターを下ろしてしまうほど。

でもこれは、自分の身体・精神の疲労している時なんだと思う。
余裕があれば「まあ、人間なんてそういうものだよね」と流せる。
だからある意味、自分の無自覚の疲労度を測れる。

目安は、私に「言ってほしい言葉を言うように促す言動」に少しでもイラっとしたら疲れている。

「そんなことないよ」「あなたは悪くないよ」「すごいですね」「さすがですね」「おつかれさま」「がんばりすぎだよ」

こんななんてことない言葉くらい言ってあげればいいと思うんだけど、時々非常に怒りがわく。
自分が気持ちよくなるためにまた私のちょっとした時間と声を奪うのか?くらい思っちゃう。
そのくらいの自分のご機嫌は自分でとってくれよ、と。

ちなみに、こういう人達を振り返ると、私が今まででそういう言葉を欲しがっているなとわかった時には無尽蔵に与えてきた(この言い方が傲慢で自己嫌悪)から、もっともっとってぶくぶくになってきたんだろうな、と自分の今までの行いにも後悔して相手への嫌悪と「自分が蒔いた種」への自己嫌悪のループになって、嫌な気持が膨らんでいく。

これは、本当に一番些細なことで、これを基本にした問題が人間社会にはごろごろ転がっている。
生きづらい。もういやだ。


この場面の私の「怒り」が何かという視点で分析していくと、「搾取されている」と感じているのだと思う。

めちゃめちゃ腑に落ちた。これは自分のまだまだ根深い葛藤の部分。

数年前、それこそ自己肯定感云々で意識や考え方に転機が訪れた時期に「自己犠牲はやめよう。自分が満足している状態で、余力がある人間しか他者を救うことはできない」としみじみ思った。
それから、自分を労うようになったと思う。というか自分を認める?受け入れられる?ようになった気がする。順番が逆かもしれないけど。

まあ、そう思っても、自分がすっかり安全圏で満たされても自分の欲望を満たし続けることに夢中になって他者にその余力を使おうとしない人間が多いことも感じて、そこに怒りが沸くようにもなってしまったんですけどね。
難儀な奴。


「搾取されている」ことに過剰に反応する自分についてもっと掘り下げてみようと思う。
長くなりそうなので、今回はここまでにする。


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