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ワレワレハ哺乳類ダ。

あ、タイトルは「ワレワレハ宇宙人ダ」のリズムでお願いしますね。
特に、意味はないけど。笑

人間て、私たちって、ほんとに哺乳類なんだな〜と先日からしみじみ思っているので、こう言ってみたくなっただけなのです。

来年の春くらいには我が家も子供が欲しいなぁと思っている昨今。
妊娠、出産、育児するということについて、あれこれと勉強しています。

基礎体温を測ることや、葉酸やビタミンを摂ることの是非、初期症状にどんなものがあるか、妊娠後の流れ、出産する時の流れや、そのあとの手続きの流れなど…

いろいろ制度面で考えると、来年の4月以後生まれを希望しています。
だって、保育園に枠が多いとされる0歳児クラスに入れる上に、1年ギリギリまで育休を使えますから。
こういう仕組みに世の中がなっている以上、どう考えても4月生まれから6月生まれくらいが働く女性には都合がいいようにしか思えません。
年末あたりに産まれたら、生後数ヶ月で保育園に預けて復帰か、保育園に落ちたら次はより難しい1歳児クラスになりますし、早生まれになってしまったら、場合によっては生後間もなすぎて、その年の0歳児クラスには受け付けてもらえず、1歳児クラス直撃です。それも落ちたら育休を一年半とか二年とか取ることに。
世帯に余裕がある方ならそれで万歳の場合もあるでしょう。
でも我が家は妻である私が世帯主なので、そうおちおちと育休を取っているわけにもいかない、かと言って生後半年で復帰とかだとやはり人生の数少ない休職期間であり子供と向き合える貴重な時間ですから、惜しいなと思うのです。
まあそもそも母親がフルタイムでも父親がフルタイムじゃなかったら保育園には入れないのかな…とも思わなくもないのですが。

加えて、女性で住宅ローンなど組んでいて住宅ローン控除を受けている場合、1月から12月の一年間に育休で収入がないと、その年は控除を受けられません。
そういう観点では、7月生まれとかで、産休に入る5月くらいまでの収入でその年は控除を受け、翌年の4月0歳児クラスで復活なら子供とは8ヶ月ほど過ごせる上、毎年少なくとも控除は受けられます。まあ月収にもよりますけど。
ちなみに我が家は私が世帯主なので住宅ローンももちろん私が組んでいるわけですが、昨年購入したので控除期間が通常の10年間から13年間に延長されています。それでも仮に子供を2人産むつもりだとしたら、2-3年分の控除を育休で潰すことに。
こういう場合、翌年に繰越せるようにとかしてもらえたら助かるんだけどなぁ。
住宅ローンてやっぱり男性が世帯主で家族を支える前提になっているのかな〜と思ったりします。
ローン商品によっては、明らかに男性が組むことを想定して、オプションで妻が女性特有の癌と診断されたらいくら、みたいな設定がありますから笑
それうちの場合世帯主は私なので、無駄になってしまいます。

とまあ制度上の都合をまず書きましたが、本当はそんな大人の事情など気にすることなく、欲しいと感じた時に取り組めたらいいんですけどね。

当然欲しいと思ったタイミングで妊娠できるとも限らないし、最終的には成り行きに任せるしかないのですが。

夫はというと、上記の社会的都合は説明してみたものの、よく分かんねえって感じで、なんでそんな計算する必要があるの?って感じでした。
そりゃぁ、そうですよね、夫からしたら、そんなの知ったこっちゃないでしょう笑

まあそれはさておき、冒頭のワレワレハ哺乳類ダ、と感じた理由について書いていきたいと思います。
(前置き長っ)

まず、基礎体温のこと。
私は2月くらいから測り始めました。
今のところ4ヶ月分くらいのデータが貯まっているわけですが、それでもやはり結構バラツキがあって、その中から傾向を捉えるのって難しいです。

体温計からスマホのアプリにデータを転送できるものを使っているのですが、ある程度データが揃うと生理日や排卵日の予測をしてくれます。
私は生理が遅れるということはほとんどなかったので超安定型だと思い込んでいたのと、これまで正確に周期を測ったことがなく、なんとなく前回の開始日から計算してこのくらいに次来るな、という大雑把な把握しかしていませんでした。

いざ測ってしっかり記録してみると、自分が思っていたより周期が短かったり、数日のズレはたまにあることが分かりました。
ここ最近は練習がてら排卵日の予測をしてみてるのですが、結構わからないもんなんですよね。
私てっきり、アプリで予測してくれる日がもう排卵日で間違いないとなぜか思い込んでおりまして、この日に仲良しすればいいんじゃん、簡単じゃん、とか思ってたんですね笑
よく検索して勉強してみたら、結構ズレるし、いついわゆるガクッと下がるかは予測しづらいということで、あぁそういうことなのか、たしかにわからんな、と笑
そんでもって卵子は排卵から6-24時間の命、精子はYが1-2日、Xが2-3日だとか。
この卵子が排出されて生きている間にうまく精子が辿り着かないと受精卵はできないわけです。
そういうことが頭に入ってくると、本当に妊娠するということのタイミングがいかに限られているか、分かります。

授かりものと言われるのも納得ですし、すごいことなんだなぁ、と。
それが本人も完璧には予期できないタイミングで奇跡的にズレたり合ったりして妊娠するのですから、ほんとに奇跡なんだな、とすんなり感じました。

卵子についてもう少し勉強していると、卵子というのは女性が生まれてくる前に母親の胎内にいる時に生成されて、自分が生まれる頃には急激に減り、どんどん歳を重ねるごとに減っていき、体内で増やすことのできないものだということがわかりました。
なんかすごくないですか?自分が母親の胎内で胎児だった頃から自分の卵子は作られていて、それを持って生まれてくる。そしてそれを消費しながら生きているわけです。
私の卵子はあと何個くらい残っているのだろう笑
あぁ、私たちってほんとに生き物なんだな、と感じます。

世の中がどんなに我々人間の知恵と技術を持ってして進化しても、こういう自然の摂理には逆らえない、そう思わせる事実というか体の仕組みだな、と。
私たちは、布で服を作って身に纏い、木や鉄で建物を作りその中で暮らし、火を使って器用に調理して食事をして生きているけれど、本質的には動物であることに変わりはないのだと。
そう、改めて感じた次第です。

他にもですね、そんな奇跡的タイミングを経て妊娠できたとわかっても、その受精卵がちゃんと子宮内膜という受精卵が育つベッドに正しく着地しないとうまく育たなくていわゆる子宮外妊娠と呼ばれるものである可能性だとか、それできちんと着床してもうまく細胞分裂ができず正しく育たない為に流産してしまうこともまあまああるわけです。

ちなみにこのよく聞く流産は悲しい出来事としてよく耳や目にするのですが、健康な赤ちゃんを産むための体の判別機能と言っても過言ではなく、うまく初期段階で育たなかったら流産するようになっていて、いわゆる化学流産というやつですね、これはすごく動物的で優れた機能だと思います。
これがなかったら、もっと高い確率で身体に障がいなどがある赤ちゃんが生まれているはずですから。
こういうことを知っておくと、いざそうなっても、もちろん悲しくなるだろうしがっかりすると思うけれど、それなら仕方がないことだから、と割り切れる気がします。

それでまあそんな初期のあれこれの不具合の可能性を通過して、人によって様々な症状のつわりに耐え、やっとこさ、安定期に入っていくわけですよね。

でも安定期に入ったからといって、安心できるわけじゃなくて、切迫早産になってしまって絶対安静や即日入院なんてこともあったり、性別の判別ができる時期になって一喜一憂したり、羊水検査するとかしないとか、五体満足かどうかとか、考えだしたら、心配し出したらほんとにキリがないくらい、いろいろな課題を乗り越えて、人は生まれてくるんだということを知りました。

産む時も、会陰が切れないようにだとか切開されるだとか、自然分娩だとか無痛分娩だとか帝王切開だとか、予定日よりうんと早くなったり遅くなったり。

もちろん生まれてから分かる障がいもあるし、心配は尽きないわけですが。

こうした様々な可能性を考えると、自分が今こうして大きな障がいなく生きていること、それ自体がとても尊いことなのだと、そう思えたのです。

そして、こんなに多くのリスクや心配、不安があるなかで、子供は授かりものだけれども、最終的に産む産まないという選択権は母親にあるわけじゃないですか。
どうしても産みたくなければ、あるいは産めなければ中絶だってできたわけです。

少し話がずれますが私は大人になるにつれて母親のことが嫌いになっていきました。ここで細かくは書きませんが、いろいろあるじゃないですか、親子にも。
まあ大人になってもしばらく同居してると親子なんてそんなにうまくいかないもんだとは思ってます。だって、動物はみなちゃんと巣立ちますからね笑
そういうふうにできてるんだと思う。

父親に関しては個人的に、一方的に、縁を切っています。まあ縁を切るなんて宣言だけで、日本の戸籍上、切れっこないことは知っていますが、まあ連絡は一切絶っているのでそれはいいのです。
これもまあいろいろあったからですが、そもそも両親は私が幼児の時に離婚しているので父親の記憶はほぼなく、大人になってから、なぜ母親と結婚し離婚したのか聞いてみたところ、正直に話してくれたのは良かったのですが、、当時子供は欲しくなかったのだと、言われました笑
実の子供にほんとは子供欲しくなかったんだよ、って言える神経、さすがだな、と思いました、ある意味。しかも本人は全然悪気がない。お前、子供か。笑
そんな父親に母親が妊娠したことを告げたら、子供なんか欲しくないとベッドから蹴飛ばされたと言ってました。だいぶ話を盛っているような気がしないでもないのですが、まあいずれにせよ、父親は子供が欲しくなかった、ということは間違いないわけです。

私ももう当時子供ではなかったので、問い詰めましたよ。
なら、なんでちゃんと避妊しなかったんだ、と。まあ今更生まれてきた私が問い詰めても仕方ないんですが笑
自分の子供にこんなこと聞かれてる親、うちの親くらいなんじゃないかと思うけど。
そもそもそういう子供がいつ頃欲しいかとかって夫婦で話し合うものじゃないんですかね。
まあ両親は結婚して割とすぐハネムーンくらいに授かったわけで、話し合う前に「できちゃった」んでしょうけど。
でもですね、この「できちゃった」は私からすると怠慢でしかないんですよ。
だって今時ピルさえちゃんと飲んでればほぼ間違いなく妊娠しませんから。まあ当時はバブル崩壊直前?くらいだったしそんなもの主流じゃなかったでしょうけど、まあゴムさえ使用してなかったみたいなんで、そんなんで欲しくなかったって言われても、自分の選択であなたたちがそうしたことじゃん、って話なんですけどね。
まあそんなわけで彼らは離婚したわけです。それが全てではなくいろいろあったようですけどね。

まあそんなこともあって、私って別に望まれて生まれてきたんじゃなかったんだなって、それからずっと思ってきたんですね。

でも、こうして今妊娠するということ、そして無事健康な子供が生まれるということがいかに奇跡的でいかに当たり前のようでいて難しく尊いことなのか知ると、それでも産むという選択をした母親に感謝はせざるを得ないな、とふと思ったのです。
もちろん無知は最強で、そんなこと知らず、中絶なんかできないという単なる罪悪感からの逃避による出産だったかもわかりませんけど笑

でも、繰り返しになりますが、そういうリスクや様々な壁を超えて、私は生まれてきたんだ、と思ったら急に、産んでくれてありがとう、と思えたんですね。
それまで、あまりそうは思えなかったです。なんか世間からそう思うのが当たり前だというプレッシャーは感じていたけど思えたことはなかった。
それがふと、納得のいく形で、今、そう思うことができました。

まさに、親の心子知らずだった。
悔しいけど笑

これからも今まで衝突したことや記憶が消えるわけじゃないし、たぶん今後もやっぱり大嫌いだと思わさせられることがあるとは思っているけれど、少しだけ母親に感謝の気持ちを素直に持てたことは良かったなと思っています。

こうやって、命は、人は、親から子へ受け継がれていくのかな。
自分が親になるまで、親の気持ちなんてわからないし、親になったとしても、同じ気持ちになるとは限らない。
でも親になること、子を産むことがどんなことであるのか少しだけでも理解できた今、少しだけ親に近づいた気がする。

そんなことを思う今日この頃です。


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