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ネットに投稿された航空管制の音声を過信してはいけない理由

先日の羽田空港におけるJAL機・海上保安庁機の衝突事故のように、航空事故の直後にはWeb上に航空管制を録音した音声データがアップロードされることがあります。
ただし、残念ながらそれらの多くは事故分析用としては不十分なものです。もちろん「編集されているかもしれない」という一般的な理由もあるのですが、本稿では航空管制特有の理由を説明します。

要約

LiveATCの音源を根拠に「管制やパイロットのやり取りが不明瞭だった」「交信がなかった」と言うことはできない。理由は2つ。

  • 空港で傍受されているわけではなく、障害物の影響を受ける可能性がある

  • 複数の周波数をまとめており、交信タイミングが重複すると音声が欠損する

なお、本稿では電波法59条に対する見解を示さない。


前提:電波法に関して

航空無線(エアバンド)を傍受すること自体は合法なのですが、その内容を録音・公開したり、配信したりといった「漏洩」は違法なのではないか、という指摘があります。

(秘密の保護)
第五十九条 何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信(電気通信事業法第四条第一項 又は第九十条第二項 の通信たるものを除く。第百九条において同じ。)を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/cybersecurity/kokumin/basic/basic_legal_07.html

この解釈に関しては長らく議論がなされており、Web上では意見が割れています。なぜなら、2024年1月時点で航空無線の漏洩によって逮捕された事例が存在していないことに加え、総務省および司法が文書において明確な立場を示しておらず、条文から推測するしかない状況にあるからです。

※参考:総合通信局に問い合わせ、「周波数が一般に公開されており、秘匿性もないため、電波法59条に抵触することはない」との回答を得た方もいらっしゃる(例:ゆいなかAIR氏)一方、総務省に問い合わせて「違反の可能性はあるが、最終判断は司法になる」との回答を得た方もいらっしゃいます(例:negi.moe氏)。総務省として統一の見解があるわけではなく、回答した部局によって対応が異なる状況のようです。

本稿の筆者は法律の専門家ではないため、本稿において条文から違法か否かを断言することは行いません。あくまで技術的な観点から「どのように傍受されるか」「投稿された内容は信用できるものであるか」について解説するのが本稿の目的です。
本件に関して、法的な観点から議論や根拠が必要な場合は専門家にご確認ください。

ネット上にある録音の大半はLiveATC由来

航空無線の解説を目的として常に活動しておられるYouTubeチャンネルや、報道を通じて公開された事例などを除き、Web上で出回っている管制音声の大半はLiveATCというサイトから転載されたものです。(なお、ATCは"Air Traffic Control"の略で、航空管制を意味します)

LiveATCは利用者が傍受した航空無線をWeb上にリアルタイムに共有(配信)し、別の利用者がそれを聴取できるという海外のサービスです。また、一定期間のアーカイブも残ります。

傍受したユーザが勝手に配信しているサイトに過ぎないため、公式な航空管制の記録ではありません

LiveATC由来の音声を過信してはならない!

理由1: 傍受位置によって聞こえ方は大きく変わる

傍受自体は非常に簡単で、市販の受信機(レシーバー)があれば誰でも可能です。また、周波数は国土交通省のWebサイトや市販の書籍などで広く出回っています。

Amazonで「航空無線」を検索した結果。自衛隊の周波数なども公に知られている。

しかし、無線は"アナログ"なもので、ちょっとしたことで聞こえ方が変わります。

以下は空港での無線傍受の様子を表した模式図です。
空港の展望デッキに受信機を持ち込んで、同じ周波数に合わせると通信内容を比較的クリアに傍受できます(当然、無線機の性能に左右されますが)。

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では、空港から離れた場所で傍受するとどうなるでしょうか。
建物や地形といった様々な障害物が存在するため、クリアに傍受できません。例えば、「上空を飛行している飛行機からの音声は傍受できるが、管制塔や地上走行中の機体からの音声が受信できない」といったことが生じます。
もちろん、受信機・アンテナの性能や立地によって左右されるのですが、LiveATCは配信者が匿名であり、そういった情報も得られないため、「この地点でこの機材を使って受信していれば欠損は少ないだろう」「ここなら欠損が多いだろう」といったことも判断できないわけです。

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理由2: LiveATCは複数の周波数を1つにまとめている

「管制塔と航空機のパイロットが無線でやり取りしている」というイメージは多くの方がお持ちだと思いますが、「管制塔」という一つの存在が全ての航空機をコントロールしているわけではありません
地上走行の担当、滑走路の担当、離陸した直後の出発機の担当、空港に向かっている到着機の担当……のように細分化されており、航空機が移動していくにつれて管制側の担当が切り替わります。
(詳細が気になる方は国土交通省のサイトで公開されていた「エアバンドを聞いてみよう」をご覧ください)

航空管制の仕組み ─航空管制官の眼から─ http://www.is.kyusan-u.ac.jp/~abe/aircont1.pdf より引用

また、羽田空港ほどの大きな空港になると滑走路ごとに周波数が異なったり、地上もエリアによって周波数が分けられたりしています。

eAIP RJTT (Publication date : 28 Dec 2023 / Effective Date 1 Jan 2024) より

ここでLive ATCのRJTT Twr/TCAを見てみましょう。

RJTT TWR/TCA 2024/01/06時点
  • 124.75 MHz : TCA(有視界飛行機への情報提供)

  • 118.1 MHz : TWR A滑走路(RWY 34L/16R)

  • 118.575 MHz : TWR B滑走路(RWY 22/04)

  • 118.725 MHz : TWR C滑走路(RWY 34R/16L)
    ※RWY 23着陸時にも利用

  • 124.350 MHz : TWR D滑走路(RWY 05/23)

以上のように5本の周波数が1カ所の配信に束ねられています。

周波数が分けられている以上、実際の管制では「A滑走路の着陸機への指示が118.1 MHzで行われ、別の管制官がC滑走路での離陸指示を118.725 MHzで出す」といったことがよく発生します。しかし、そういった状況になると、iveATC上ではどちらかの音声が掻き消されてしまいます。そのため、「交信があった」ことは確認できても、「交信がなかった」ことを確認することはできないのです。

また、LiveATCには "RJTT Del/Twr/TCA/Gnd" という10個の周波数がまとめられたチャンネルも存在します。これは周波数を切り替えなくても空港全体の動きを一度に俯瞰できるというメリットから作られたものだと思われます。しかし、重複による欠損が発生する可能性がより高いのは言うまでもありませんし、事故分析には全く使えません。

RJTT Del/Twr/TCA/Gnd 2024/01/06時点

フライトレーダーやLiveATCは趣味用だと考えよう

フライトレーダーについては別の記事でも解説しましたが、こういったツールは「いま飛んでいる飛行機を追いかけたい」「飛行機の撮影をするために現在位置を知りたい」といった趣味用としては有用でしょう。しかし、技術的に制約があるため、事故の分析といった用途で信頼できるものではありません。「こんなやり取りがあったんだな」と、あくまで参考程度にとどめましょう。

厳密な記録は管制内部にしか残されておらず、事故調査委員会の報告を待つしかありません。

別の記事と同じ結論になってしまって恐縮なのですが、ツールの限界を知った上で情報を得ようとすること自体は良いと思います。ただし、一般人がアクセスできるサイト・アプリから入手できるものが全てであるという過信は禁物です。こういった情報由来の言説や考察を見かけた場合、常に「データの欠落を見逃しているのでは」といった認識を持つべきです。

余談:フライトレーダーは電波法的にどうなの?

本稿で電波法について言及したので、「フライトレーダーも懸念があるのでは?」という疑問をお持ちの方がいらっしゃると思いますので、余談ではありますが説明しておきます。

航空管制では、以下のようなやり取りが音声で行われます。

パイロット: Tokyo Tower, ABC Air 1001, on your frequency.
(羽田空港飛行場管制席、こちらABC航空1001便です。そちらの周波数に切り替えました)

管制塔: ABC Air 1001, Tokyo Tower. Hold short of runway 34R.
(ABC航空1001便、こちら羽田空港飛行場管制席です。滑走路34Rの手前で待機してください。)

例示のための架空のやり取り

このように通信中に「羽田空港飛行場管制席」「ABC航空1001便」のように相手を明示するため、電波法59条における「特定の相手方に対して行われる無線通信」に該当するのではないか、というのが前述した電波法に関する議論の発端です。

一方、Flightradar24が利用しているのは空中衝突防止のために発信されるADS-B(放送型自動従属監視)の信号です。これは自機の位置を周囲に知らせるため、文字通り「放送」されているもので、特定の相手方に向けられたものではありません。また、「放送」される内容はフォーマットに従った自機の情報と位置情報であるため、これに著作権などがある訳でもなく、フィードすることに法的な問題点はないと一般に解されており、特に意見が割れている状況ではありません。


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