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ちゃんと生きていくって大変だ

※本稿はただの自分語りです。

 最近になって財形を始めました。わたしの人生史においてはかなり画期的な出来事です。自分の将来のためにすることだからです。今まで避けてきた自分の将来とようやく向き合うことになったあり方の一つの結果ではないかと思っています。

 どうやって生計を建てていくかということそれ自体は10代の終わり頃から考え続けてはいましたが、あまり愉快な話ではありませんでしたね。どうやったら食いっぱぐれないか、みたいな後ろ向きで暗い発想で自分の人生を考えていました。功利的といえば功利的かも知れません。
 そういう発想がもろくも挫滅して、紆余曲折あって今のお仕事をすることになったのですが、ここでも基本的な思考の枠組みは変わりなく、最初の方は職場への適応、転職してからは市場競争力の維持向上がわたしの安全保障作戦のほとんどすべてでした。よろしくない発想と思われるかも知れませんが、クライエントと有効な合意を形成できることがソーシャルワーカーにとってかけがえのない(スキルの集合としての)技能だと考えており、実際にその技能がどこへ行っても求められるものである以上、クライエントのために尽力することとソーシャルワーカーの市場競争力とは一定程度は重なると思うんですよね。これがマネージメントや組織や社会の政治的なレイヤーに舞台を移すと話は多少変わってくるとは思いますが、そういうレイヤーに進出することはわたしの安全保障作戦上必要ではなかったのです。だからあくまで現場でクライエントと関わる立場に留まることに(ほとんど倫理と言ってもいい)価値を見出してきた、という面はあると思います。改めて書き出してみると傲慢の誹りを免れないな、と思いますね。

 今まで組織的、社会的、政治的レイヤーでクライエントの抱える生きづらさを解消することが求められる場面に何度も出くわしてきました。わかりやすいのは制度的不備でしょうか。そういう問題に対して過去のわたしがとってきた態度というのは一貫していて、わたしにはわたしのなすべき仕事があるとか言って、まあ要するに今にして思えばちゃんと向き合って来なかったんです。実はその態度、自分が支援者として有効でないことを棚上げして他の誰かや何かを非難する(わたしが敬遠してきた)人たちと鏡映しなのですよね。わたし自身が目の前のクライエントのために必要なマクロレイヤーの支援を拒絶してきたことは疑いようがなかったのです。将来に圧倒されてきた人間の生き方がそのまま支援の性質に反映されてしまっていました。

 わたしはもう何年も、死ぬまで働いて働けなくなったら自分の人生はそこで終わり、と考えてきました。冗談みたいな話ですが本当で、これはわたしにとっては本当に楽な生き方であり続けました。家族を持たないから教育問題を考えなくてよい、子どもを作らないから日本国の将来を案じなくてよい、未来の社会に責任を感じなくていい、ただ自分が生きていくための仕事のことだけ考えておればよい、というものです。
 心境が変わったのは、それなりにQOLに影響する付き合いの長くなりそうな病と残りの人生をともにすることになったからでしょうか。人生後ろ向きでもいいけどもう少し健康的に生きないと後々苦しいぞ、ということを病は教えてくれました。また、自分の健康問題に取り組んで一定の成果を上げたことで、長らくわたしの防衛の要であった外見という要素がわたしから剥がされてしまった。わたしはもう、自分の人生から目を逸らすことが難しくなっていました。

 自分と向き合うのは苦しい作業です。自分の人生について考えることは将来の不安や恐怖を抱えて生きることでもあります。自分が生きていく世界に目を見開いていかないとならないことでもあります。不快な現実と渡り合っていかないといけない、タフなものです。できるなら自分の人生を閉じたままのものということにしておきたい、かといって身一つで向き合えば病や障害、家族の軛等の環境因子に圧倒されてしまうとしても不思議ではありません。それらもまたつらい生き方には違いがありません。障害福祉分野で働いていると、障害が人間を圧倒してしまうだけの強い意味を持ち得ると感じます。一緒になって途方に暮れることもあります。また、一般に外的な環境因子の影響が強ければ強いほど、支援者を含む第三者が違う視点を提供するには丁寧な作業を要します。
 つくづく、自分と向き合う態度には斥力が働いているのだなぁと感じます。わたしは生業として自己の意思に基づく自己決定を支援してきたつもりですが、その斥力に抗うことがどんな苦しいか、わたしは本質的には何も理解していませんでした。

 そんなわたしがそれでも自分の人生のための行為に価値を見出すのは、ほとんど思想的なものかも知れません。経験的な価値を投影しているようで決まりも悪い。ともすると環境因子を度外視しているとも捉えられかねない(決してそうではないのですが)。頑張ったところで得られるものは内的な満足くらいしか思い当たらない。少なくともEBP的なものではあり得ません。
 しかし、鉄火場を乗り切って小康を得た後に支援がどこに向かうのかを考えたとき、そういう話をする段階がいつかは訪れてきたような気がします。このあたりの話に具体性を持たせるのは故あって避けますが、望ましくない展開を退けようと思うとそういう発想になります。そして自分と向き合っていく作業に必要なこころの準備、対人関係、制度や社会規範などの外的な環境因子を整えていくのが、わたしがしてもらってきたように支援者としてのわたしの仕事であるとうすぼんやりと理解しました。

 今後はもう少し幅のあるというか緩みのある、苦しみを強いるだけでない支援を提供していきたいところです。自分と向き合うことが苦しい作業であり、にも関わらずそれでしか得られない果実があることを知った上で支援に取り組んでいきたい、同時に今まで頬かむりしてきたマクロレイヤーでの仕事ももう少し真面目に考えて行動していきたいところですね。

おまけ

 自分を理解したぶん他人への想像力も豊かになる、というだけの話がこんなに長くなってしまいました。実は私淑している心理士の方がシミントンという分析家のことを書いておりまして、その内容の一部がたまたま今の自分のテーマと重なっていたもので、私事ですが思わず筆を取りました。リンクを下に貼っておきますので併せてご覧ください。

 


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