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おいしい食事のある場所

1月も終わりに近づく週末の土曜日、ふらりとバレンシア南部アリカンテの海辺の町へ一泊二日のプチ旅行に出かけた。平日ならば地元の市場を覗き、地元ワインや食材を物色し、グルメイベントに足を伸ばしたりするのだけれど、残念ながら、週末は市場もお休み。必然的に、ドライブが中心となってしまって、旅のメインイベントは食事となる。地元の料理を安く美味しく食べられる場所を探し出すかに熱が入る。それはまるで、宝探しのようでもある。

インターネットの情報だけでなく、昔ながらの店構えをした薬局の主人、タバコ屋のオバサン、犬を散歩させている上品で清潔感のある中年男性。できるだけ地元の人たちの情報を集める。みんな、優しいのか食いしん坊なのか、たいていの場合、行き付けのお気に入りのお店を教えてくれる。紹介してもらったお店に言ったら、紹介してくれた本人のお店だったこともある。それはそれで、また一つの思い出となる。

こうして見つけた今回のお店。旧市街地にある、席数は60名ほどのお店だった。炭火焼き料理と揚げ物、米料理をウリにするお店のようで、外観は申し訳ないがお洒落でもないし、人気店という風貌もなく、どちらかというと、大衆食堂といった感じだった。

ところが、まあ、大丈夫だろうと予約をせずに店に入ったら、開店時間よりも早いにもかからわらず、既に予約席で満席。残念そうな面持ちでいると、店の反対側からフロアーマネージャーがやってきて、「予約までまだ時間があるからね」とウィンクしながら、席に案内してくれた。それから20分もしないうちに、エントランスには空席待ちの列が出来ていた。

我々のお目当ては、アロス・コン・ボガバンテ(オマール海老の米料理)というバレンシアから南方に広がる地中海沿岸部で食べられる米料理。スペイン語の「アロス」という言葉は、米という食材を意味すると同時に、米料理をも意味する。「パスタ」と同じような感じだ。

加えて、取っ手ある底の浅いパエリア鍋で作られたアロスはパエリア、耐熱性の高いカスエラ鍋で作られたらカスエラ、蓋つきのオジャおいう深鍋で作られたらオジャという具合に、調理器具の名前が付けられたりする。これについては、鍋料理を思い浮かべて欲しい。鍋で作った料理だから鍋。分かりやすい。

ただ、例外があって、日本でもよく知られているイカ墨のパエリアは、パエリア鍋を使って作られるのに、なぜかアロス・ネグロ(黒い米料理)と呼ばれている。不思議だ。そして、同じく、パエリア鍋で作られるパスタのパエリアは、なぜかフィデウアと呼ばれる。何だかよく分からないけれど、どちらも泣けるほどに美味しい。

店のメニューを開くまでもなくアロス・コン・ボガバンテをメイン料理に選らぶ。米料理は最低2人前からの注文受付。

「セコ? メロッソ?」

と聞いてくるウェイター。米料理は水分量によって呼び名が違う。「セコ」なら水分が無くなるように普通に炊き上げた状態。「メロッソ」なら、ミエル(ハチミツ)のようにもったりと仕上げた状態。さらに、スープが多くサラサラ感があるなら「カルドッソ」となる。

個人の好みもあるだろうけれど、アロス・コン・ボガバンテについては「メロッソ」がオススメ。お米の国の人だもの。魚介の出汁でやんわりと炊き上げられた米が美味しくないはずがない。もちろん「メロッソ」にする。

炊き上がるまでに20分ほどかかる。余計なものを胃に入れてしまうと、せっかくお待ちかねの米料理が食べられない。かと言って、20分間何もつまみがないのも寂しい。考えた結果、「魚介のフリッター盛り合わせ1/2」とやらもお願いすることにした。ハーフサイズだからきっと、ちょこっとつまむ程度だろう。

間もなく「魚介のフリッター盛り合わせ1/2」が運ばれてきた。ふわふわで揚げたてなのはすぐに分かる。ただ、多い。明らかに多い。あなた、どこが1/2なの??

「コレ、間違ってません?」

そう聞こうとした瞬間、二つ向こうのテーブルに座った中年夫婦が叫んだ。

「うわぁ、何てこったぁ!!」

彼らのテーブルにもやっぱり「魚介のフリッター盛り合わせ1/2」と、さらにテーブルからはみ出るくらい大きなサラダが追い討ちをかけていた。思わず、声に出して笑ってしまうと彼らと目が合った。

「もうコレだけで十分!タッパを持ってくれば良かった!」

「食べるしかないよね。夜はヨーグルトだけで充分!」

「海岸を散歩してもいいけど、消化するのにカタルーニャまで行かないと!」

はははっと笑い合う。もちろん、たまたま席が近かっただけの偶然の出会い。それでも、こうして笑い合う。地元の人たちに愛される庶民的な店を選ぶのは、ただ、その土地の料理が安くて美味しいだけじゃない。店の雰囲気、人との触れ合い、店内に流れる香りや色彩が、料理だけでなく時間そのものを美味しくしてくれる。これをきっと美味しい食事と言うんだと思う。

ようやく運ばれてきたメイン料理。ドンと運ばれてきたソレには、オマール海老が丸ごと乗っかっていた。これで二人前……。背筋を伸ばし、胃を垂直にする。意味のない気休めの空間確保。

大きめのスプーンで、それぞれの皿に取りわける。同時に魚の出汁の湯気がボワンと立ち上る。スプーンで鍋底につけた一文字が、トロリとしたスープの中に消えていく。黄色く蕩ける米を火傷をしないように、少しだけスプーンの先に乗っけて口に運ぶ。絶妙の塩味に、ニョラスという赤ピーマンの味わいが効いたやさしい味わい。米の炊き具合が微妙に足りないのは、料理を最後まで食べて欲しいからだ。

ハサミで殻を割りながらオマール海老の身をほじくる。割れた殻の間から黄色い汁が飛び散って手がベタベタになる。向かいに座る夫のシャツの胸元には既に黄色いメダルがついている。いいよ、洗えばいいよ。

ウェイターのお兄さんが食後のデザートの注文をとりに来たが、とてもじゃないけどもう食べられない。

「消化促進剤を一つ!」

と冗談で言ったら、にっこりと笑って食後酒にショットグラスに入ったウィスキーをサービスしてくれた。

「ナチュラル消化促進剤!!」

「はははは。そりゃ、薬よりもイイね」

最初っから最後までずっと笑っていられる素敵なお店。まだ食事の終わらない二つ隣の中年夫婦に「ごゆっくり!」と声を掛けて席を立った。

ありがとう。

とっても美味しい食事だったよ。またね。

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