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「大丈夫」の意味

「歳とったら誰にでも、なんなと出てくるねん」

 スマホ越しに何度も耳にした言葉なのに、母は明らかに大したことはないと自分を納得させようとしていた。
 ついでに、一週間くらいの手術入院なので、父のことも何とかなるから帰国しなくてもいいと言う。

 帰国しようかと何度も聞いてはみたけれど、そのたびに「何とかなるから大丈夫。あんたは、春になって気候が良くなったら帰っておいで」というだけだった。
 
「大丈夫?」と聞けば、「大丈夫」と答えが戻ってくる。
「大丈夫とちがう?」と聞いても「大丈夫」と言い、
「アカンやろ?」と言っても、やっぱり「大丈夫」と答える。
 
 私と母は似たところがある。母が自分のことを大丈夫だと誰かに言う時、その言葉は母自身に向けた呪文のようなもので、実際のところ、大丈夫で終わらせるにはかなりの無理が前提にあったりする。
それを知っていながら、

「本当にあかん時は言うてや!言うてくれんと分からんで!」

と決定権を母に押し付けた自分を、もう一人の自分が冷ややかな目で見ていた。
 
 ***
 
 結局、術後に発熱が5日間も続いたため、1週間の予定だった入院は10日間となった。母のことだから、やっと家に戻って来れたとしても、溜まった家事や洗濯を片付けてしまおうと無理をするに違いない。

 そう思って電話を入れてみたら、「もしもし?お母さん?」に続く声が曇っている。
 
「それが、歩けんのや……」

 全く意味が分からない。手術には足は全く関係なかったはずだし、転んだりぶつけたりもした記憶はない。発熱や、入院による一時的な筋力低下のせいなのか、本人も理由が分からないという。

 結局、担当医に電話で連絡し、明日、緊急で診察してもらうことになったらしい。

 「とりあえず、明日また連絡して」と電話を切った。
 いつになく真面目な口調の私の様子を夫が心配そうに見ている。説明したところで、私自身が理解していないことを説明する術もない。
 
 そしてその翌日、新たな展開に驚くことになる。
 
 
***

 
 
 夕刻、点滅しているスマホを開く。母からのLINEを開くと予測もしなかった漢字がLINEの画面に連なっている。
 
 ちょっと待って欲しい。次の展開が読めない。レントゲン検査の結果、『右大腿骨頸部骨折』とな。

 肝臓がんの治療でどうしたら『右大腿骨頚部骨折』となるのかと全く状況がよくわからないまま、唯一戻ってきた返事が、いつもの「大丈夫」ではなく、「骨が折れているので即入院。かえってきて」だった。
 
 今度は手術後3週間は少なくとも入院になるらしい。
 
 緊急事態発生!!を知らす赤ランプが音もなく頭の中で点滅している。私が生まれてこのかた一度も聞いたことがないヘルプ要請。あの母が大丈夫ではないのだから、よっぽどのことなのだ。
 
 「わかった。出来るだけ早く帰るし」

 返事をするが早いか、日本行きの飛行機チケットを探す。この6年間、何度も購入し損ねていた日本行き航空チケットを、たった30分で購入した。(意思の力というのはすごい)と、妙に感心したけれど、余計な事を思えるほど冷静なのが不思議でもあった。
 
 気づいたら、あとでゆっくり飲もうと用意していたお気に入りのオレンジとシナモンのハーブティーがいつの間にか冷めていた。もう湯気の立っていないカップを両手で持つと、ハーブティーの奥深くに残った温度が手に伝わってきた。

 6年ぶりの帰国。嬉しいはずなのに不安でしかない。

(とりあえず、帰ろう。それから考えよう……。)
 
 オレンジとシナモンの香りはまだ残っている。ゴクリと飲み込んだ液体が、喉元をかすかに温めながら胃の方へ広がっていった。
 


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