明日が来ると信じて疑わないことを疑ってみた話
また明日ね、って当たり前に交わす挨拶に違和感を覚えたのは、それを言わなくなったコロナ禍になってからだ。
大学に通うこともなくなって、誰かと顔を合わせて話すこともなくなった。
嫌でも毎日顔を合わせるような友達にすら会わなくて、孤独も感じるようになってきた頃。
ただ、そんな中でも予備校のアルバイトだけは続いていて、そんな生徒に対して帰り際に声をかける決まり文句は『じゃあまた明日ね、さようなら〜』だった。
何故かふと、『なんで私は明日が当たり前にくると思ってるんだろう』と考えてしまった。
別にきっかけもないし、特に心が疲れていたわけでもない。
ただ単純に、こんなに世界が大変な状況で、自分の生活も大幅に変化している中で、世の中の"当たり前“が簡単にひっくり返されてる時代の中で、私は明日が来ることをたったの一度も疑ったことはなかった。
そのことに気づいた。
その日はその少しの引っ掛かりが頭に残って、バイトの残りの時間を心ここに在らずみたいな感じで過ごした。
バイトが終わって家に帰る途中に、いつものコンビニに寄った。いつもと同じ豆乳のバナナ味を買う。ほとんど顔見知りの店員さんに商品を渡して、『PASMOで』と告げる。
ここまでがわたしのバイトの日のルーティン。
商品をもらって家に帰るときにまたふと思った。
果たして明日わたしはこのコンビニに来ることができているのだろうか。
このコンビニで、あの豆乳を買うことができているのだろうか。
もしかしたら、もしかしたら私がこの豆乳をPASMOで買えるのは今日が最後なのかもしれない。
そう思った瞬間、自分の人生の尊さに気づいた。
そんな大げさな、と思われるのは百も承知だが、少なくとも私はそう感じたのだ。
ありきたりの言葉の"今日は今日しかない"みたいな、"今日が一番人生の中で若い日だ"みたいな、そんな言葉たちが頭のどっかから命を吹き返して、わたしの頭を駆け回った。
明日が来ることが当たり前じゃないと、それすらも当たり前に分かっていた気でいた自分に気づいた。
私の1日は尊く、明日という1日も尊い
なんとなく、ふと、そう思ったら
私って実はすごい発見をしたんじゃないかと思って、なんか嬉しくて、
今この世界の中で、この瞬間に自分の人生の尊さに気づいた女子大生なんか私ぐらいなもんだろ
と思って、思わず帰り道に笑ってしまった
哲学的なことを言いたいわけでも、だから意味のある行動をしろとか言いたいわけじゃなくて
誰かにこの世紀の発見を伝えたかった、私が見つけたこのなんとも言えない小さくて大きな発見を
明日って、来るかわからないんだよ
だから、今日ちゃんと生きた1日は尊かったな
って、少し思ったの
明日もバナナの豆乳を買って帰ろうって思ったの
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